第420話 お地蔵様の初恋

 ケンゴ・ガイアルドが固まっている。

 いや、元から一切動かない、地蔵みたいなヤツではあるんだけど……。


 ――今は、無表情のまま耳まで真っ赤になっていらっしゃる。


「自覚したわね、ケンゴ・ガイアルド」


 茹でダコになっているケンゴの右肩を、ミフユが優しく見つめてポンと叩く。


「そうよ、あんたは恋をしてるのよ」


 どうもそうらしいですよ。

 しかも、初恋。

 人生初めての恋。ファーストラブ。たった一度の、最初の恋、……え、マジで?


「何でそんなことになってんの?」


 俺は、抱いた疑問をそのまま口にする。

 だっておかしいじゃん、さすがに。ケンゴは夢莉とは違って『出戻り』だぞ。


 あっちで一回人生終えてるのに恋愛経験ゼロは、さすがに考えにくくないか?

 と、そう思ったのだが――、


「忘れたの、アキラ」


 ミフユにそう言われてしまった。


「何がだよ?」

「こいつはあの子の弟なのよ。――枡間井未来ますまい みくの」

「あー……」


 一発で納得させられてしまった。

 枡間井未来。俺が『出戻り』して早々に遭遇した相手で、凄腕の暗殺者だった女。


「そうか、ガイアルドの家は暗殺者の家系。つまり――」

「こいつは異世界でもロクな家庭環境じゃなかったってことよ。叔母様と同じくね」

「……自覚はなかった」


 これまでのように無言を貫くことはなく、最低限ながらもケンゴは言葉を紡ぐ。


「そう、じゃあ今から説明してみなさい。異世界でのあんたの人生を」

「その必要が――」

「あるわ。まずは、あんた自身が自分の異常さを自覚するところから始めなきゃ」


 人生二周目でようやくの初恋。

 それだけでも、ケンゴの過ごしてきた人生の異常さが垣間見える。


 だがそれを、ケンゴ自身が自覚していない。

 それは、今はいいが、今後何事かの厄介ごとのきっかけに発展する可能性もある。


「俺は――」


 ケンゴ・ガイアルドは語り出す。

 あまりにも『何もなさすぎる』、異世界での地獄のような人生を。


「十二になるまで、闇の中で殺され続けた。十二になって逃げだした」

「……えェ?」


 え、それだけ? え、十二になるまで、ずっとそれ?


「十二の頃に出奔するまで、俺は自分の顔も知らずにいた。無論、親の顔も、姉の顔も見たことがなかった。食事も、それ以外も、全て何もかも闇の中で過ごした」

「徹底してるわね……」

「目を闇に慣らすため――、いや、目を闇に適応させるためだな」


 人間の目に無理矢理暗視能力を付与するための訓練、ってところか。

 闇の中で過ごすだけでなく、おそらくは食事に錬金薬なども使われていたはずだ。


 他にも、気配を殺し、他者の気配を掴む感覚を養う。とかの目的もありそうだ。

 それを訓練時だけではなく、日常生活の時点で、かよ。


 なるほどね。

 こいつや未来が持ってた『気配の掴みにくさ』の原点が見えた気分だわ。


「外に逃げてからは、自力で生きねばならなかった。だから俺はアシがつかないよう大陸の反対側にまで移動して、そこで要人護衛を生業として自活し始めた」

「――それで?」


「それで終わりだ。一人で生き続け、死んだ」

「マジか~い……」


 な、何て味気のない人生だ。


「闇の中で育った俺は、人に自分の姿を見られることに忌避感を抱いていた。異世界で俺の姿を見ることができたのは、精々、あの女くらいなものだった」

「あの女……?」


 と、俺は疑問符を口にして、すぐに答えに行き着いた。


「タマキか」

「そう、タマキ・バーンズ。異世界で唯一、俺の姿を見た女だ」


 そこまで徹底して自分の姿を隠し続けたのか、こいつ。

 だから異世界で『岩にして草』なんていう異名で呼ばれるようになったんだな。


「あの女を殺すべく幾度か狙ったが、結局、それは叶わなかった」

「一時期、タマキがはしゃいでたわねぇ。強いヤツがいて殺しにくるんだー、って」

「あったあった」


 喜々として迎撃してたのを覚えておりますわ、俺も。

 しかし話を聞く限り――、


「人としての情緒の育ちようがない人生だったワケかー。異世界のこいつは」

「そういうことよ。だから、この見た目で……」


 と、ミフユが言いかけたところで、急に言葉を切る。


「そういえばあんた、今、年齢幾つよ?」

「む? ……23だが」

「「「ぶっ」」」


 至極真顔でケンゴに言われ、俺とミフユとクラマが同時に噴き出した。


「フッ! こいつはとんだ見た目への叛逆だな! あんた、なかなかのアウトローっぷりだ。見たところ、三十代半ばでも通用しそうなゴツさと貫禄なんだがな!」


 カウボーイハット深くかぶり直すヤジロの頭上で、スズメがチッチと鳴いている。


「あ、ああ、そう……。叔母様の方が年上だったのね」


 ミフユもそれには気づいていないようだった。それは仕方がないか。


「ケンゴさんは、こっちではどういう生活をしてたんです?」


 それはタイジュからの質問。

 ケンゴ・ガイアルドの異世界での人生はわかった。とすると、次はそっちだが、


「あっちほどではないが似たようなものだ。高市は武術を伝える家だ。星葛にある」

「あ、ぁ~……」


 俺は、思わず納得の唸り声を出してしまった。

 そっか~、星葛の田舎にあるとなると、考え方とかもいかにも古そうだモンなー。


「学校は、中・高一貫の男子校を出た」

「あ~らら、それは何とも……。徹底して異性と接する機会がないんだねぇ~」

「むぅ……」


 苦笑いするクラマの言葉に、ケンゴは肯定とも否定とつかない声を漏らす。


「そろそろ自覚できてきたでしょ、ケンゴ。あんたのこれまでの人生は、とことん偏り過ぎてたのよ。その結果が、今の叔母様への初恋よ。……笑えないわねぇ」


 ミフユさんが嘆息。確かにこれは笑えない。色々と。


「だが……」


 と、ケンゴはなおも何か抗うような姿勢を見せる。


「このまま、お嬢さんがあの男と一緒になれれば、問題は――」

「今日の夜にはママに振られるわよ、叔母様」


 うおおおおおおおお、ミフユがケンゴに剛速球を投げつけたァ!

 これにはケンゴも目を見開く。俺も結末は想像してたが、それでも少し驚いた。


「振られるって言い方はそぐわないかもね。正しくは『現実に引き戻される』かしら。今の叔母様はママに夢を見せてもらっている状態。でもね、夢から現実に目覚めるときには刺激が必要でしょ。目覚まし時計のベルだったり、揺すられたりね」

「ああ、そういうことか……」


 俺は言い切るミフユを見て、俺はこいつがストーキングをやめた理由に気づいた。

 ケンゴのスマホを介して盗み聞きしているとき、ミフユは「あ」と声を出した。


 きっと、あのときに気づいたんだろう。

 リリス義母さんの本心と、二人にこれから訪れる展開について。


 おそらくだが、義母さんは察していたのかもしれない。

 俺達が、二人のコトを監視している事実を。方法はともかくとして。


「今日の夜、夢莉叔母様の恋は破れるわ。そしてあの人は深く傷つくことになる」

「お嬢さん……」


 予言ではなく、もはや確定事項としてそれを告げるミフユに、ケンゴはますますゴツゴツの顔を歪ませて、夢莉を心配するように声を漏らす。

 そこに、ミフユが告げる。


「だからケンゴ・ガイアルド――」


 ミフユがグッと強く拳を握り締める。


「あんたは、失恋して傷心の夢莉叔母様に、全力でつけ込みなさい!」


 い、言ったァ――――ッ!?


「初めての恋に破れた直後の女はね、最初の妊娠のつわりのときと同じくらい不安定になって弱るわよ! そこに、ママを除けば一番近くにいるあんたが少しでも優しくしてみなさい。すぐさまあんたを意識するようになるわよ。間違いなくね!」

「え、えげつねぇコトをすすめてらっしゃる……」


 要は、夢莉を口説きやすい状況作ってやるから、とっとと口説き落とせ。

 ミフユが語っているのはそういうことである。


「…………」


 だがそれに対し、ケンゴが見せるのは、深々とした眉間のしわ。


「あら、何よ、そのツラ?」

「精神的に弱りきったお嬢さんにつけ込むなど、そのような卑怯な真似はできん」


 卑怯て。

 いや、ミフユの言ってる案が正々堂々としたものでないのは確かだけどさ……?


「はぁ~あ、このクソ童貞がッ」


 だがミフユさん、ケンゴの言い分を一言のもとに投げ捨てる。


「今のあんたの考えてること、当ててあげるわ。夢莉叔母様とリリスママをくっつけるのが正しい道だから、その手伝いをしてやるのが自分のやるべきこと。でしょ?」

「な、何故……ッ!?」

「ホンット、クソ童貞の恋愛初心者って、現実見ないわよね~。笑えないわねぇ」


 狼狽するケンゴを前にして、ミフユはその表情に一気に険しさを強める。


「ナメてんじゃないわよ、ガキが。自分の気持ちにも気づけない程度の視野しか持ち合わせてない分際で、他人について正しいだどうだと、よくも考えられたものね」

「ならば、おまえは――」

「わたしは叔母様の気持ちなんか知らない。でも、ママの気持ちは知ってる。あの人は、わたしのことを考えてくれている。だからわたしもママのことを考えるわ」


 リリス義母さんの気持ち。それはきっと――、


「ママには夢莉叔母様の気持ちに応える気はない。それならわたしは、それを尊重するまでよ。ケンゴ・ガイアルド、あんたがそれを邪魔するなら、今度こそ、わたしはあんたも、そして夢莉叔母様も殺すわ。あんたが、リリスママの気持ちを無視して、あの二人をくっつけようなんて、くだらないことを考えるのならね」

「物騒な話になっちゃってるねぇ……」


 殺気を漂わせ始めるミフユに、クラマもまた苦い笑いを浮かべる。

 ことは義母さんが関わる話だ。ミフユがこうなるのも仕方がないってモンだ。


「どうするの、ケンゴ。あんたは自分の気持ちを押し殺して、叔母様とママをくっつけようとするの? だったらこの話は終わりよ。ついでに、あんたの人生もね」


 すげぇ面と向かっての脅迫。ちょっと笑うわ。

 でも、ミフユがそういうつもりなら、俺もいつでも動けるようにしておくか。


「俺は――」


 だがそこで、ケンゴのリアクションはミフユへの返答ではなかった。

 その顔をどこか苦しげに歪ませて、ケンゴは声をかすれさせる。


「俺には、お嬢さんと結ばれる資格など、ない」


 そして漏らした呟きは、もう、どこから聞いてもめんどくさそうなものだった。

 これだから、大人の初恋はよォ~~~~!

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