第418.5話 『知られたがり』の帰還

 桃色の髪を風にたなびかせて、十にも満たぬ年齢の少女は往く。


「クハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」


 真冬の往来に響き渡る、けたたましいまでの高笑い。

 ここは宙色市の街角。

 近くに仁堂小学校があり、週末だけあって多くの通行人がいる。


「ハァッハハハハハハハハハハハハハハハ! ヌハハハハハハハハハハハハハ!」


 笑っている。少女は笑い続けている。

 奇異な見た目の少女である。

 髪の色は混じりっ気のない桃色で、腰にまで届きそうな長さだ。


 背は低く、瞳は大きく、着ている服装は真冬なのに白い袖なしのワンピース。

 その上に羽織っているのは、ファー付きの真っ赤なマント


 そして最も目立つのは頭の上に載せている、大きな冠。いわゆる王冠だ。

 ダイヤにルビー、サファイヤ、エメラルドと、様々な宝石があしらわれている。


 際立って尖った釣り目は、彼女自身の尖りっぷりを示しているかのようだ。

 さらに大きく開かれた口に生え揃うそれは、歯ではなく、牙。大型肉食獣のそれ。


「クハッハハハハハハハハハハハハハ! ギャハハハハハハハハハハハハハッ!」


 笑っている。少女はバカみたいに笑っている。

 天下の往来で。週末の街角で。

 衆人環視の中を、知ったことかと笑い続けている。どこまでも、延々と。


 だが、おかしい。

 周りの誰も、少女の方を見ていない。


 これ以上なく目立つ格好なのに。

 これ以上なく目立つ笑い声なのに。


 道を歩く家族も、主婦も、男も女も、子供も老人も。

 誰一人として、少女を見ていない。無視しているワケでもなく、気づいていない。


「ガハハハハハハハハハハハハハハハッ! 見ろよ、長兄! 誰も俺達に気づいちゃいないぞ。面白いなぁ、ああ、面白いだろう! 誰もこの覇王様を見ちゃいない!」

「そうだなだぞ」


 笑う少女の隣を、体格のいい男が歩いている。

 見た目、二十代前半ほどの、炎の如く燃え立つ赤い髪を持った青年である。


 瞳の色も赤。その顔つきは精悍で、雄々しさに溢れている。

 現代日本には似つかわしくない、歴戦の戦士の形相。といった感じの風貌だ。

 頭に、ハチマキのようにして黒いバンダナを巻いている。


 着ている服装はこれまた赤いレザーのジャケット。

 前は開かれており、下に着込んでいる黒いタンクトップが見えている。

 少女と同じく、やはり季節感が合っていない服装だった。


 タンクトップのさらに奥には、鍛えこまれた鋼の如き筋肉が覗いている。

 しかし、全体的には細身で、その筋肉には強靭さとしなやかさが同居している。


 太い眉の下、力を宿した瞳はまっすぐ前を見つめていた。

 彼は『長兄』。

 そして、隣を歩く少女は『末妹』。


「この先か?」

「ガハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ! 知らァん!」


 言葉少なな『長兄』の問いに『末妹』は堂々とそう答える。


「そうか」


 それに対して『長兄』は一度うなずくと、スマホを取り出して電話をかける。


『……何?』


 幾度かのコールののち、出たのは抑揚のない女の声。


「『長女』、標的の場所を教えろだぞ」

『迷った?』


「そうだぞ」

『……バカが』


 電話の向こうの『長女』は、ひどく辛辣だった。


『事前に行き先を確認しろと言ったでしょ。クソボケ共』

「すまん。で、標的の場所はどこだぞ?」

『……謝意のない謝罪なんていらない。方向はそっちで合ってる。あと少しよ』


 場所はこの先で間違いないようだ。


「こっちで合ってるらしいぞ」

「やはりそうか! グハハハハハハハハハハハハハハ! さすがは覇王の俺様よ! しるべなくともただ歩きさえすれば運命にブチ当たる! クハハハハハハハハハ!」


『『末妹』は戻ったら〆る』

「フハハハハハハハハハハハハハハハ! 勘弁するがいいぞ『長女』! ガッハハハハハハハハハハハハハハ! 待ってお願い! 覇王の覇王的懇願なんだからな!」

K・Kくたばれクソが


 電話は切れた。


「俺は知らないんだぞ」

「ナッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ! おのれ『長兄』ッ! 貴様とて俺様と同じく事前確認なしに出発した分際でェ~~! クハハハハハハハハ!」


 高笑いを続けながらも『末妹』の顔が汗にまみれていた。

 通行人に一切注目を浴びることなく、二人はさらに歩き続ける。


 すると、一人の少年が走ってくる。

 彼はそのまま『長兄』にぶつかりそうになるが、『長兄』は避けようともしない。


 二人がぶつかるかと思われたそのとき、少年は『長兄』の体をすり抜けた。

 隣では『末妹』が、走っている車をすり抜けている。


 二人は、宙色の街角を歩いていながら、その場には存在していなかった。

 ここは『重複異階』。

 現実とわずかに重なりながら、しかし異なる、位相がズレた空間。


 ここにいる者は、現実空間と同じ場所にいながら干渉されず、干渉できない。

 現実側にいる者は、この空間にいる者を認識することすらできない。


 だから『末妹』は誰にも気づかれないのだ。

 あれだけ派手に笑っても、これだけ派手な格好をしていても。


「……あれだな」

「フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ! ついに見つけたか! グハハハハハハハハハハハハハハハ! 覇王的に見ても、運命の邂逅というヤツだァ!」


 歩いていた『長兄』と『末妹』が各々の反応を見せて足を止める。

 そこは住宅地の外側、幅広い道路が伸びているその一角に、目的の人物はいた。


「…………」


 その人物は、歩道の隅っこに身を丸めて座り込んでいた。

 着てる服は汚れ果て、伸びた髪はボサボサ。体は枯れ木のようにやせ衰えている。


 焦点の合わない瞳はまばたきもせず、地面に固定されたまま何かを呟いている。

 二人が近づいていくと、やがて、その呟きの内容も耳に届くようになった。


「……わたしをみて、だれか、わたしをみて」


 その人物は、枡間井未来ますまい みくだった。

 アキラによって『異階放逐』を受け、この空間に取り残された『出戻り』の少女。

 異世界では『無音にして無残』の名で恐れられた、凄腕の暗殺者でもある。


「生きてたか」

「ガハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ! だろうなぁ! この空間は生き物から認識はされないが『異階』であることに間違いはない! 現実空間にあるものならば、ここにもあるからなぁ! 水も、食料も! ないのは生き物だけだ!」

「……わたしをみて、わたしをみて」


 眼前に『長男』と『末妹』が立っているのに、未来はまるで気づいていない。

 ただ、地面に座り込んだまま、ブツブツと同じ呟きを繰り返している。


「壊れてるんだぞ?」

「クハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ! そりゃあそうだろう。この女が『異界放逐』を受けて何か月経ってると思っているのだ? むしろよく生きてたモンだぜ! 多少壊れた程度で済んでるンだから大したモンだろ!」

「元々の強靭な精神力あってのことか。そりゃとんだ地獄だぞ」


 誰よりも人に見られたい彼女が、誰にも見られないここに放り込まれた。

 だが、強い心のおかげですぐに狂うこともできず、未来はさまよい続けたのだ。


「本当に使えるんだぞ、こいつ?」

「ナッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ! 壊れたおもちゃをまた使えるようにするにはどうすればいいかわかるか、『長兄』よ!』

「知らねぇんだぞ」


 首を横に振る『長兄』に、『末妹』は笑みの質を変えてみせる。

 それは、隣に立つ『長兄』が思わずゾッとするほどに冷たい笑みだった。


「中途半端に壊れてるから使えないのだ。徹底的に壊し尽くせば、おもちゃとは違うものとして、新たな使い道も生まれてくるだろう。――出番だぞ、高天朱央たかま すお

「おお、なるほどだぞ」


 朱央と呼ばれた『長兄』が、納得したようにポンと手を打つ。

 そして、彼はコキリと首を鳴らして『応』とうなずく。


「見てろだぞ、高天祢緒たかま ねお


 朱央はそう言うと、自分達を見ていない未来へとその左手を伸ばし、


「……だれか、わたしをみて、わたし、わた、ぐ、ぅげ」


 彼女の細い首をその大きな手で掴んで引き上げて、宙づりの状態にする。


「そんなに誰かに見てほしいなら、まずはおまえが俺達を見ろだぞ」


 告げた朱央の右拳に真っ赤な炎が噴き上がる。


怒涛流・清撃どとうりゅう・しんうち。――むんッ!」


 そして繰り出された右拳が、未来の体のど真ん中に遠慮なしにブチ込まれる。


「が――ッ」


 彼女の矮躯は、燃え滾る拳の直撃を受けて、高々と宙に舞い上がる。

 そのまま、未来は地面に墜落するかと思われたが――、


「フン」


 彼女を目で追っていた祢緒が、軽く笑い声を発した。

 二人の前で、空中の未来がクルリと身を翻し、そのまま地面に着地したのだ。


「……痛い。何よ、何するの?」


 そう零して自分の腹をさする未来の瞳には、確かな意志の光が戻ってた。


「ククッ、クフフフフフフフフフ! フハッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ! 見事だ、実に見事だぞ、我が兄、高天朱央よ!」

「俺にゃ、これしかできねぇんだぞ」

「フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ! 善哉善哉よきかなよきかな!」


 腕を組む朱央と、同じく腕を組んで高笑いをブチかます祢緒。

 珍妙な二人を前にして、枡間井未来は収納空間からその手に刃物を取り出す。


「あなた達、誰? 私に何か用事?」

「クハハハハハハハハハハハハハハハ! これは剣呑。貴様を救ってやった俺達に、随分な態度じゃないか。ええ、『無音にして無残』のミク・ガイアルドさんよ!」


「……私の名前。どうして知ってるの?」

「ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ! そんなこたぁ、どうでもいいんだよ! それよりも、ほら、出してみろ! 貴様の異面体をよ!」


 祢緒がゲラゲラ笑いながら未来にそれを促す。

 すると、未来は怪訝そうな顔を見せながら、首を横に振る。


「無理。使えない。骸邪螺ガラジャラは、もう――」

「使えるぞ」


「え……」

「俺の『清撃』は絶対浄化の一撃。おまえを蝕むものを跡形もなく消し去るだぞ」

「…………」


 朱央の説明を受けて、未来はますます警戒を深める。

 だが、彼女の乾ききった唇が、その名を呼んだ。


「……ガラジャラ」


 すると、未来の傍らで空間がグニャリと歪み、巨大な七色の骨格標本が出現する。

 あまりにも目にうるさい、露骨に存在を主張する巨大な四本腕の人骨。


 ――ミク・ガイアルドの異面体である、骸邪螺ガラジャラである。


「あぁ、ああああああああ……ッ!」


 その場に現れた自分の相棒に、未来は目に涙を浮かべて低く呻いた。


「カハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ! これは報酬の先払いだぜ、ミク・ガイアルド。先細って朽ち果てるしかなかった貴様を、今、この俺達が救ってやったんだ。だから働いてもらう。俺達のために、働いてもらうぜェ~?」

「誰を殺せばいいの?」


 一瞬にして、未来の表情が切り替わる。

 浮かんでいた涙も消えて、その顔にあるのは冷徹な暗殺者としての無表情。


「私は誰を殺せばいいの? 殺したら、あなた達は私を見てくれる? 私は見てほしいの。知ってほしいの。私を見てほしいの。私を見て、私を見て、私を見てよ!」


 そして、その暗殺者としての側面でも抑えきれない、尋常ならざる自己顕示欲。

 未来は目を大きく見開いて、自分を救ってくれた二人に何度も繰り返す。


「私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を見て、私を――」


 いつまでもやまないその呟きのうち、未来の隣に立つ骨格標本がジワリとにじむ。

 それに気づいて、祢緒の頬を一筋の汗が伝った。


「……

「親父殿の仕返しを耐えきる精神力だぞ。そうもなるってモンだぞ」

「――親父殿」


 未来の呟きが、ピタリと止まる。


「それは誰? もしかして金鐘崎君? あの、金鐘崎アキラ君なの?」

「そうだぞ」

「クハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ! その通ォォォォ~~り! 貴様をこの場に放り込んだ金鐘崎アキラこそ、俺達の唯一無二の父上さんよォ!」


 あっさりとそれを肯定する二人に、未来は改めて尋ねた。


「あなた達は、一体、誰?」


 最初に名乗ったのは、祢緒。次に名乗ったのは、朱央だった。


「クッハハハハハハハハハハハハハハハハハハ! 俺様は頂点、俺様は覇王! 俺様こそが『地にして天』! 俺様の名は、ネオ・バーンズだァァァァァ――――ッ!」

「俺は『超人にして鉄人』、スオ・バーンズ」


 次いで、二人は声を揃える。


「「俺達は、『高天一党ハイランダー』。俺達が、ギオ・バーンズだ」」


 ――トリックスターは、暗躍する。

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