第418話 バビロニャ・ストーキング!/結
異世界で、俺はリリス義母さんにきいたことがある。
『リリス義母さんは、今まで所帯とか持ったことあるんすか?』
本当に何の気もない、興味本位の質問だった。
ミフユの里帰りに付き合ったある日のこと。場所は天空娼館ル・クピディア。
『何ですの、アキラさん。急に』
『ちょっと気になりましてね。ほら、義母さんってハイエルフじゃないですか』
ハイエルフは、異世界でドラゴンと並んで寿命が長い種族だ。
リリス義母さんにミフユをお願いした時点で、この人は八百歳を超えていた。
それだけの年月、何もないとは思えないのだが――、
『そうですわね。婚姻の話は今までにも幾度かありましたわ』
『ああ、やっぱり……』
『けれども、私は一度もそれ受けたことはありませんの』
その返答を聞いたとき、ちょっとビックリした。
つまりこの人は、八百年間、未婚だったってことだからだ。
『そりゃまた、何で?』
『本当にズケズケきいてきますのね』
ちょっとした呆れ顔を見せるリリス義母さんだが、こればっかは仕方がないのだ。
『しゃーないじゃないっすかー、ガキ共の食事中なんですからー。ヒマなんすよー』
このとき、子供はすでに四人いた。
タマキ、シンラ、マリクとヒメノだ。現在、ミフユがメシを食わせている。
『アキラさんもお手伝いなさったら?』
『手伝うって言っても断られる場合はどうすれば……?』
『ああ、そうですわね。アキラさん、細かいところは気が利きませんものね……』
『ケントの野郎はタマキの食事手伝ってるのにぃ~!』
ちょっとした嫉妬を見せる俺に、リリス義母さんはクスリと小さく苦笑する。
『本当に、かしましいご家族ですこと』
『何言ってんですか。リリス義母さんだってその一員でしょうに』
『あら……』
俺がそう返すと、何故か義母さんは軽く驚いたような顔を見せる。
『そういえばそうでしたわね』
そのときの義母さんの微笑みが、とても印象に残っている。
ほんのささやかな微笑だったが、その奥にとても大きな感情が垣間見えた気がした。
俺がそのとき見たものは、きっと――、
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
スマホ越しに、二人の会話が聞こえている。
『結婚式は、どれくらいの人を呼ぶのが相場なのでしょうか? 式場なんかも――』
主に、語っているのは夢莉の方だ。
リリス義母さんを前にして、瞳を輝かせて喋っているのが容易に想像できる。
それくらいには勢いと張りのある声で、普段の夢莉からはおよそかけ離れている。
普段は、通る声ではあるものの、もっとピシッとした声をしているのに。
これだけでも、夢莉の浮かれ具合が知れるというものだ。
一方で、リリス義母さんの方は――、
『そうですね。俺もそういったことには疎いので、ハッキリしたことは言えませんけど、二人で決めた式なら、それがきっと二人にとって一番いい式なのでは?』
こちらは、いつも通りの涼やかで落ち着き払った声。
自分からの明確な返答は避けながらも、夢莉が望むであろう答えを的確に返す。
『そうですよね。はい、私もそう思います! 二人で決めるのが、一番ですよね!』
そしてさらに上がる、夢莉のテンションと声のトーン、と。
二人は会話はおおむねこんな感じで、義母さんの返答に夢莉がいちいち歓喜する。
傍から聞いてりゃ、それは完全に結婚を考えているカップルの会話だ。
まぁ、夢莉が一方的にテンション高めなのは、誰の目から見ても明らかだが。
に、しても、リリス義母さんは一体どういうつもりなんだ?
自分の意見を口にはしていないが、それでも夢莉の好意を受け入れるかのような。
あの人なら、ミフユがそれを望まないことくらいはわかるだろうに。
そう思いながら、俺はチラリとミフユを横目に観察する。
「…………」
無言。無表情。
されどその身から放たれる、鬼気迫る何か。
お、鬼じゃ……。
この七歳児、背中に鬼を背負っておるぞ……!
「……あぁ」
「……うぅ~ん」
「……ク、クククッ」
周りにいるタイジュとクラマとヤジロが、揃って汗しつつ息を飲んでおるわ。
俺も、ここまで内心荒れ狂ってるミフユを見るのは久しぶりだな。
釘を刺しておかないと今すぐにでも飛び出しかねない。
そう判断した俺が口を開きかける。だが、
『――ミフユちゃん』
スマホの向こう側から、いきなりミフユの名前が聞こえてくる。
言ったのは、夢莉の方だった。
『リリトさんは、あちらの世界ではミフユちゃんのお兄様、だったんですよね?』
『はい、そうですね。とても可愛い子でしたよ、ミフユは』
と、義母さんが褒めた途端、ミフユが『フフン』と得意げに鼻を鳴らす。
そして、全身から放たれていた殺気よりおぞましい邪気が、一瞬にして霧散する。
「……安いなぁ、おまえ」
思わず、そう口に出してしまった。ミフユには届いていないようだが。笑うわ。
『異世界では、ミフユちゃんはどんな子だったんですか?』
だが、夢莉の質問に俺の意識もスマホへと向けられる。
そういえば、ミフユが異世界で何をしていたのか、夢莉には話していなかったか。
俺は話したらどうかと提案したが、ミフユが却下したのだ。
別にそこまで深く関わる相手ではないから、めんどくさい。教える必要ない、と。
『異世界でのミフユ、ですか?』
『ええ、聞いたことがなくて……』
夢莉達の話題が、ミフユのことになっていた。
余計な詮索、ではあるまい。夢莉にとっては聞いておく必要があることだ。
目の前の男を、自分の夫にしたいと思っている夢莉にとっては。
『ミフユは――』
リリス義母さんが、夢莉に言う。
『ミフユは、異世界では娼婦をしていました』
『……え?』
夢莉の声音が、硬く変じた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
スマホからも伝わってくる。
リリス義母さんと佐村夢莉の間に流れる空気が、若干ながらも変質する。
「…………」
敏感にもそれを察したか、ミフユの顔つきが少しだけ硬度を増す。
『娼婦、ですか……?』
問い返す夢莉。
『そうです。ミフユは娼婦でした』
それに答えるリリス義母さん。
そうしてまた、二人の間に短い沈黙が流れる。
夢莉の声から感じられるのは驚きと、隠しようのない悪感情。
侮蔑とも嫌悪ともつかない微弱なものでしかないが、否定的な感情が声ににじむ。
『卑しいとお思いですか?』
そこへ、リリス義母さんが敢然と切り込んでいく。
義母さんにしてみれば、娼婦を卑しいものとする認識は受け入れられないものだ。
この質問はある意味、義母さんから夢莉への試しでもある。
『それは――』
夢莉は、言い淀む。
リリス義母さんの質問の意図を察したらしく、一生懸命に考えていることだろう。
『……そう、ですね』
そして、数秒の黙考ののち、夢莉は沈んだ声で肯定してしまう。
『恥ずかしながら、最初に聞いて、そう思った自分は否めません』
『それだけではない、と……?』
リリス義母さんが先を促す。
俺もタイジュ達も、何よりミフユも、夢莉の返答を聞き逃すまいとスマホに集中。
『それだけではない、といいますか、自分の価値観で安易に判断してはいけない話だと思いました。だって異世界のことですから。こちらとは違うでしょう?』
『確かに、それはそうですね。異世界は文字通りに異なる世界です。言葉は同じでも中身が違うものなんて山ほどあるでしょう。――なるほど、そういうことですか』
リリス義母さんがうなずくのが、スマホ越しの気配でわかる。
『異なる世界の文明、文化、習慣、風俗、そういったものを何も知らない夢莉さんが、こちら側の価値観だけで判断するのは正しくない。そう言いたいわけですか』
『そうです。異世界の、し、娼婦……、というものについて、そう思いました』
さっきは普通に『娼婦』と言えたクセに、何故か夢莉は露骨にドモる。
そういえば、こいつ、色恋とR18方面はてんで弱かったっけ。うわ~、笑うわ。
まぁ、三十路すぎてリリス義母さんに初恋カマすような女だしなぁ……。
『異世界でのミフユちゃんは、どんな子だったんですか?』
ミフユの経歴を踏まえた上での、改めての夢莉の問いかけ。
リリス義母さんが会話を打ち切らないということは、夢莉は合格したようだ。
そして、義母さんが夢莉に答える。
『ミフユは、世界で一番の娼婦でしたよ』
『へぇ、そうなんですね』
夢莉が、微笑ましいものを眺めてるような感じの相槌を打つ。
きっと義母さんがミフユを贔屓目に見てるとか、そんな風に思ってんだろう。
『あ、事実ですよ。ミフユは一晩の値段が世界で一番高価な娼婦でした』
『え』
そう、世界一の娼婦っていう称号、贔屓じゃなくてただの事実です。
一声で固まった夢莉が、目に浮かびますわ。おもろい。
『『世界最高値の女』、『聖女にして悪女』、『愛憎の繰り手』、そんな風にも呼ばれていた、俺が知る限りでは間違いなく史上最高の娼婦でしたよ、ミフユは』
千年以上生きた義母さんの『知る限り』は『人類史上』と変わらないと思うわ。
『そ、そうなんですね……』
『多分ですけど、ミフユが異世界で稼いだ金額は、今のミフユが継いだ佐村勲さんの遺産と同等か、もしかしたらそれよりも若干多いかもしれません』
『えええええッ!?』
夢莉。驚愕の悲鳴。
そして聞こえてくるザワめき。店内ではお静かにお願いいたします。
今、確実に夢莉は他の客の注目を集めていることだろう。
そう考えると、そんな中で誰にも気づかれず佇んでいるケンゴがすげぇな……。
さすがは『岩にして草』と呼ばれた忍者。
タマキが決着をつけられなかった相手ってのもうなずける。で――、
「……おまえ、そんなに稼いでたっけ?」
俺は、自分の隣にいるカミさんに直球で尋ねた。
「あんた、わたしとの二年間を買うために二回も破産したの、覚えてないの?」
「そういやそうだったな~! 傭兵団の運営がキツキツでキツかったぜ~!」
「語彙力……」
俺とミフユがそんなやり取りをしている間にも、スマホの向こうで会話は続く。
『す、すごかったんですね、異世界のミフユちゃん……』
『そうですね。俺にとっては、まさにあの子は夢でしたよ』
『夢、ですか?』
『ええ。異世界の、俺がいた娼館における娼婦は『夢を与える存在』でした』
義母さんはどこか懐かしむような口調で語る。ああ、その通りだと俺は思った。
世界で一番高い場所にある、世界で一番高い娼館、ル・クピディア。
そこはまさに男にとっては夢の宮殿。
自分が成し遂げた武勇伝と、それで得た金銭を掴んで乗り込む、快楽の城。
『あの娼館で、俺はマネージャーのようなことをしていまして、様々な子達がいましたが、中でもミフユは最高の娼婦でしたよ。そう、本当に俺の夢の体現者だった』
『そこまで……』
夢莉も、そしてこっちではミフユも、リリス義母さんの言葉を聞き入っている。
「……ママ」
聞こえたミフユの呟きは、聞こえないフリをした。
『そう、少なくとも俺が知る娼婦はそういう存在でした。何か大きな仕事を成し遂げて疲れ切ったお客様に、最高の夢と最高の癒しを与えられる娘。……素敵だよね?』
最後だけ、リリス義母さんは何故か敬語をやめた。
そこに何らかの意図が隠れている気がして、俺は「ん?」と眉根を寄せる。
「あ……」
だが、ミフユのその声。
どうやら、ミフユは俺達には気づけない何かに気づいたようだった。
一方で、夢莉はというと――、
『……そうですね。そう考えると、素敵ですね。異世界のミフユちゃんは』
まぁ、夢莉に話していないことも色々あるけどな。
その娼婦のミフユ自体、ミフユが緊急避難的に作り上げた虚像だったとか。
実際はメンタル面で死にかけてて、リリス義母さんに助けてもらったりだとか。
あっちでも本当に色々あった。色々あったよ。語るまでもないことだが。
『でも私は、そんなミフユちゃんを支えたリリトさんも素敵だと思います』
『アハハ、そうでしょうか。もしそうなら、嬉しいですけど』
『素敵です! ミフユちゃん、リリトさんにはとても懐いて! 見てわかります!』
おっとぉ~、ここで夢莉がリリス義母さんへの忌憚なき称賛を開始したぞ~。
声のトーンも上がって、さっきまでの恋する夢莉ちゃんになっちゃったぞぉ~!
『本当に、リリトさんは素敵な……』
ほら、もう、完全に考える力が喪失されちゃってるよ。語彙力、語彙力ゥ!
ここから、夢莉は義母さんを褒めちぎるのだろうか。俺はスマホに耳を寄せる。
『――――ギッ』
プツッ。
「……ん?」
何やら、最後に小さく軋むような音がして、通話が途切れてしまった。
「どうかしたんですかね?」
「電波障害かな~?」
「フ、アンテナバリ立ちで電波障害とは、なかなかに叛逆的じゃねぇか!」
同行者共が口々に言うが、俺はそこには加わらずミフユを見る。
「どうする?」
「ここで待ちましょう。多分、ケンゴはこっちに戻ってくるわ」
このときのミフユの物言いがやけに断定的だったのが気になった。
ケンゴが戻ってくるって、その理由を、ミフユはもしかしたら知っているのか。
疑問の答えは、数分後に明らかになった。
本当にケンゴが戻ってきたからだ。
「音に聞こえた『岩にして草』ともあろう者が、途中で任務放棄? 情けないわね」
「…………」
帰ってきて早々のミフユの罵倒に、だが、ケンゴは無言を貫く。
言い訳をするつもりもない、ということか。
だがそれを、ミフユもわかっているようだった。これみよがしにため息をつく。
「……軋む音がしたわね」
軋む音。
通話が途切れる前に聞こえた、あの小さな音か。
「わたしがあの音を聞くのは二回目。一回目は、ホテルで叔母様が告白したとき」
ん? そんなことがあったのか?
ミフユがケンゴに対して何か含むものがあるように見えるのは、まさか、それか?
「一回目も二回目も、叔母様がウチのママに熱を上げていたときに聞こえたわね」
「あ、もしかして……」
ミフユの説明を聞いて、俺は何となくだが、わかった気がした。
まさか、あの軋み音って――、
「ケンゴが拳を握り締めた音、でしょうね」
強く拳を握り込んで、肉が軋んだ音。それがあの軋み音の正体か。
え、だとすると、ケンゴがそれを鳴らした理由って、え、え? もしかして?
「ママに対する嫉妬でこれ以上気持ちを乱してしまえば、周りに存在を気づかれるかもしれない。そう思って戻ってきたんでしょ、ケンゴ・ガイアルド」
「あの、ミフユさん、それって……」
俺の中に出た信じがたいその結論に、ミフユはコクリとうなずいた。
「そうよ、多分だけど、ケンゴは夢莉叔母様のことが好きなのよ」
「…………」
ケンゴ・ガイアルドは、やはり無言のままだった。
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