第413話 ミフユちゃんの回想:後

 ――ミフユの顔色が最悪に近い。


「ホンットさぁ、あの女さぁ……!」



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 事件は『会』がそろそろ終わりそうだ、という頃に起きた。


「困ります、お客様! お客様ッ!」


 会場の入り口の方から、そんな声が聞こえてきたのだ。


「何かしら?」


 客への対応も終えてリリスからジュースを受け取ったミフユがそちらを見る。

 すると、場に似つかわしくない怒り顔をした男が十人ほど、会場に入ってきた。


 全員、この『会』に参加している客のように着飾ってはおらず、普段着姿だ。

 ドカドカと靴音を鳴らし、随分と物々しい雰囲気を放っている。

 その中の代表者っぽい印象の五十代後半ほどの白髪男が、辺りに視線を巡らせる。


「いたぞ、あそこだ!」


 と、白髪男が指さした先にいるのは、夢莉だった。

 彼女の姿を認めるなり、白髪男を始めとして他の男達も一層表情を険しくする。


「何だ……?」

「おや、彼は――」


 祝賀の場に全く合わない空気を放つ彼らに、周りの客達も気づき始める。

 誰一人として男達を止めようとする者はいない。客にとっては対岸の火事だ。


「オイ、あんた! 佐村夢莉さん!」


 客の一人と話していた夢莉を、白髪男が呼ぶ。

 肩をいからせて、歯を剥きだしにして全身で憤怒を表現する彼を、夢莉が見る。


「あら? あなたは……」


 その反応を見るなり、夢莉が知っている人物のようだった。


『ミフユちゃん、あの方はどなたかしら?』


 リリスが、白髪男を眺めながら魔力念話で尋ねてくる。

 しかし、ミフユにも見覚えはなく、首をかしげるしかない。


『知らない。誰かしら、あのオッサン連中』

『どう見ても、新年の御挨拶に伺いましたという雰囲気ではないわね』


 二人が眺める先で、白髪男と他の男達が近くにいた客を押しのけて夢莉を囲む。


「……これは?」


 高市堅悟を傍らに置いたまま、夢莉は顔つきを引き締める。

 そして正面に相対する白髪男に、彼女は率直に問いを投げた。


「一体、どういったご用件でしょうか、松林さん」


 松林というのが、白髪男の名前であるらしい。

 ザワつく客達をよそに、松林と同行者達は囲んだ夢莉をジッと睨みつけている。


「オイ、夢莉さん、佐村夢莉さんよ……ッ」


 その名を口に出すのも忌々しいといわんばかりの物言いで、松林が夢莉を呼ぶ。

 彼はその身に滾る怒りの原因を、夢莉に叩きつけた。


「何で私らは『会』に呼ばれてないんだ! これは一体、どういうことだ!?」

「そうだ! 俺達が呼ばれてないのは何でだ! おかしいだろう!」

「ふざけるなよ、佐村! こっちは散々あんたらに尽くしてきてやっただろうが!」


 松林の怒声をきっかけに、他の男達も口々に夢莉に文句を垂れ始める。

 それを聞いて、ミフユは男達の正体と怒りの理由を知ると共に、念話で呟いた。


『くっだらな……』

『あらあら、そういうことですか』


 リリスも苦笑しているようだった。

 要するに、彼らは去年まで『会』に呼ばれていたが、今年はあぶれた組なワケだ。


「私らは、甚太社長に様々な便宜を図ってきたんだよ! だってのに……!」


 ああ、そういうことか。

 と、ミフユは松林が出した名前を聞いて、さらなる納得を得る。


『甚太絡みか~、それはお気の毒に』

『知ってるのかしら、ミフユちゃん?』


『わたしの後見人になりたがった大おじだったんだけど、アキラの恨みを買ったの』

『ああ、なるほど。アキラさんから恨みを、ね……』


 リリスも全てを察したようで、それ以上はきいてこなかった。


「この『会』に参加できないことがどれだけの損失か、あんたにはわからないんだろう、夢莉さん! 今日一日で、私らは業界で大きく出遅れることになるんだよ!」

「そうだッ! 俺達は佐村家のために必死に働いて、なのに、それに対する仕打ちがこれか! 冗談じゃない! 我々にだって『会』に参加する資格はあるはずだ!」


 松林も、他の男達も、随分と必死なようだった。

 切羽詰まった顔は、アキラに仕返しされる人間が浮かべる表情を彷彿とさせる。


「何とも見苦しいものですな――」

「ほら、甚太社長が失踪した影響で――」


「あの松林という男、自分から甚太さんの右腕を自称していましたな――」

「親分がいなくなって、勢力をたもてなくなった、と。諸行無常ですな――」


 客達が、松林を珍獣のように観察しながら囁き合う。

 この『年始の会』に参加するには、佐村家の人間との繋がりが必要となる。


 松林達は、甚太がいなくなったことでそれを失ってしまったのだ。

 この場にいる客達は佐村との繋がりを保持している勝ち組で、松林らは負け組。


 非常に単純な構図である。

 そんな客達の嘲りも目に入っていない様子で、松林達は夢莉を責め立てた。


「これからの事業計画に大きな影響が出ることになるんだぞ、どうしてくれる!」

「俺達は全員、社員の生活を背負ってるんだぞ! それなのに……!」


 夢莉を囲む全員、すさまじい剣幕だ。

 あまりに怒気が激しくて、やってきた警備員も容易に近づけないでいる。


 下手に手を出せば夢莉に危険が及びかねないと判断したのだろう。

 しかし、男達に囲まれ、散々怒鳴り散らされた夢莉は、表情一つ変えていない。

 それどころか、目が据わっていることにミフユが気づく。


『あ、ヤバ』


 彼女が念話で漏らした、その直後だった。


「言いたいことはそれだけですか、松林さん?」


 松林の声が途切れたタイミングで、夢莉が決然たる態度で確認をする。


「……何だって?」


 怯えるでもなく、反論されるでもなく、ただ確認される。

 そんな反応は想定していなかったようで、松林は勢いを失い問い返してしまった。


「皆さんの言い分は『『会』に呼ばれなかったのが不服だ』ということで間違いありませんか? それとも何か他に、言いたいことなどはありますか?」

「え……」

「ぁ、いや、その……」


 激しい怒声を浴びせられても動じない夢莉に、彼女を囲む男達の方がたじろぐ。

 はたから見ていたミフユは、これからどういう展開になるか、予想がついていた。


「そうですか。それではお引き取りください」


 うなずき、一言のもとに退去を促す夢莉。

 松林と男達が、それにまた驚き、一旦は霧散しかけた怒気が再び膨れ上がる。


「おい、あんた……!」

「本日の『年始の会』に参加できるのは、あらかじめ招待した方々のみとなっております。松林さん始め、皆さんは違いますね? では、お引き取りください」


 だが、夢莉は松林達の怒りなど意に介することもなく『帰れ』と命じる。


「そりゃないだろう、夢莉さん! 私らが今までどれだけ佐村に尽くしたと……!」

「それは、皆さんと佐村甚太との間にあったことであって、私共が関知するところではありません。私に言われても困ります」


「じゃあ、誰に言えばいいんだよ!」

「その質問にも答えかねます。私には関わりのないことですので」


 叫ぶ男の一人に、夢莉はピシャリと言い返す。

 身をわななかせる松林や他数人を前に、夢莉は無表情のまま告げる。


「当家の『年始の会』はあくまでも年始めを祝う催しであって、それ以上でもそれ以下でもありません。ご参加いただきましたお客様が『会』の中でどのようなお話をされても、それは当家のあずかり知るところではございません」

「な、な、ぁ、あ、あんた……ッ!」


 自分達の主張を『知ったことか』と一蹴されて、松林の顔が憤怒に真っ赤になる。

 こうなることがわかっていたミフユは『あちゃ~』と額に右手を当てた。


『なるほど、あれが夢莉さんという方なのね』

『そうなのよ、ママ。あれが夢莉叔母様なのよ。あの絶対正論ぶつける女が……』


 自分が置かれている状況を理解しているはずなのに、わざわざ正論を浴びせる。

 松林達にしてみれば煽っているとしか思えないだろうが、これが夢莉という女だ。


「何だ、その言い草は! 俺達は、社員の生活を背負ってるんだぞ!」

「そうですか。経営は大変でしょうが、がんばってください」


「そうだ! こ、この『会』に参加できなきゃ、今後の経営に影響が……!」

「あなたの企業は佐村ではなく、あなたのものであるはずですね。違いますか」


「そ、それはそうだが、しかし……!」

「それはそうなのですよね。では、それはそうなのです」


 感情に駆られる経営者達を前にして、夢莉は一歩も引かなかった。

 彼らとは対照的に無感情に正論のみを述べて、自分を囲む男達に対抗している。


『何て見事な『火に油』でしょう……』

『ああいうのがあるから夢莉叔母様が苦手なのよねー、わたし』


 しみじみとした調子で言うミフユを、リリスが軽く撫でる。

 一方で、夢莉に正論をぶつけられ続けて、いよいよ松林もヒートアップする。


「いい加減にしろよ、あんた! 人が下手したてに出てれば、いい気になって!」

「何が下手ですか。勝手に乗り込んできて、一方的に言いたいことだけ言って」

「黙れェェェェェェェェ――――ッ!」


 全く引くことをしない夢莉に、ついに松林も限界を迎えて殴りかかろうとする。

 夢莉も身を強張らせるが、振り上げられた松林の拳は、彼女には当たらなかった。


「…………」


 高市堅悟である。

 彼が、夢莉の前に出て、松林の拳を分厚い胸板で受け止めたのだ。


「ぅぐっ、痛ッ!?」


 殴った松林の拳方が、高市の体の硬さに負けてしまう。

 他の男達も身構えたりするが、巨漢である高市が放つ迫力に身動きが取れない。


「……クソ」


 そんな中で一人、高市からは死角になっている位置にいる男が、舌を打った。

 彼もまた松林と同じく『会』に呼ばれなかった実業家の一人である。


 夢莉を囲う男達の中で、彼は最も若い。二十代半ばだ。

 それもあってか、彼はナメられるということに対して殊更敏感だった。


「このババア、俺を、この俺を、ナメやがって」


 その高すぎるプライドを夢莉の正論にいたく傷つけられ、頭は怒りでいっぱいだ。

 完全に見境をなくした彼は、懐から折り畳み式のナイフを取り出す。


「ババアが、ナメやがって!」

「え……」


 激情に叫び、ナイフを突き出して駆け出す彼に、夢莉もやっと気づく。

 他の男達の相手をしていた高市が、夢莉の方を振り向いた。


「俺を、ナメるなァ――――ッ!」

「ぃ、いや!」


 迫るナイフを前にして、夢莉が恐怖に目をつむる。

 だが次の瞬間、その耳に届いたのは涼やかながらも重みを感じさせる、男の声。


「祝いの場での刃傷沙汰はさすがに見逃せませんね」


 その声にハッとなって、夢莉が目を開ける。

 すると、そこには大きな背中があった。


「ぅわ、わあああああああああああああああああああああああああッ!?」


 その悲鳴は、背負い投げをされたナイフ男のものだった。

 夢莉との間に割って入ったリリスが、ナイフ男を鮮やかに投げ飛ばしていた。


「今だ、取り押さえろ!」


 ナイフ男が背中を床に打ちつけたところで、警備員が一斉に動き出す。


「く、は、離せ! まだ話は……!」


 高市の前で動けずにいた松林達も、ナイフ男と共に警備員に押さえつけられる。

 周りが一気に騒然となる中、だが夢莉の視線は眼前の背中に釘付けになっている。


「大丈夫ですか、夢莉さん」


 振り返ったリリスが、ニコリと彼女に笑いかける。

 その瞬間、青ざめていた夢莉の頬が、ほのかに朱に染まった。


「……ちょっと」


 それを、ミフユは見逃していなかった。

 リリスを見る夢莉の顔にイヤな予感を覚えつつ、彼女はひとまず様子見に徹する。


 結局は警察まで出動する騒ぎになって『会』はなし崩しのうちに終わった。

 事情聴取などもあり、ミフユと夢莉は会場となったホテルに宿泊。


 全てが終わったのは翌日――、1月3日の昼間のことだった。

 当初はこの日も『年始の会』が行われる予定だったが、さすがに中止になった。


 かくしてミフユは無事に役割を果たし、宙色に戻ることになった。

 だが、彼女と夢莉がそろそろホテルを出るというタイミングで、それは起きた。


「興宮凛々人さん、どうか、私と結婚を前提にお付き合いしていただけませんか?」


 夢莉が、リリスに対してプロポーズを敢行しやがったのである。

 彼女が借りたホテルの部屋でのことであった。

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