第414話 漬物石の初恋
1月3日の夜、俺は、ミフユの頭をひたすら撫でていた。
「もぉ~、ホント何なのよ、あの女~、もぉ~」
「よしよし」
「わたしのリリスママにぃ~、わたしのリリスママなのにぃ~!」
ミフユは俺にしがみつく形で床に寝そべり、ひたすら夢莉について愚痴っている。
「おまえのその反応からすると、リリス義母さんも即お断りじゃなかったんだな?」
「むぅぅぅぅぅ~~~~!」
ミフユちゃん様、ほっぺが焼いたもち状態。
「ほれほれ、聞いてやるから話してみ」
「それがさぁ~! む~~! む~~~~!」
俺に頭をグリグリしつつ、ミフユは話し始めた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
広いホテルの部屋の中、プロポーズの言葉の余韻だけが残っている。
「……叔母様?」
最初に反応したのは、ミフユだった。
正直な感想は『何言ってんだ、この処女』である。
そう、佐村夢莉は三十路の処女だ。
見た目こそ、非常に整った容姿をしているが、性格ゆえ浮いた話など一つもない。
真面目一途で几帳面で石頭な堅物女史。
そんな彼女に対し、佐村家の親族がつけたあだ名が『佐村家の漬物石』。
ただ硬いだけでなくミフユの後見人という立場の重さに対する揶揄でもある。
本人、そんなものは一切気にしないブレなさがウリなのだが。
「――夢莉さん?」
リリスも、そんな夢莉からの突然のプロポーズにはさすがに平静ではいられず、
「あなたは、ご自分が口にした言葉の意味を理解しておられますか?」
「あ、ぁ、ああッ、当たり前じゃないですかァ!」
漬物石が顔を真っ赤にして、声を裏返らせておられる。
それを見てミフユは頭を抱えた。ヤバイ、本気だ。バチクソに本気だ、この叔母。
ミフユにはわかる。全て、わかってしまう。
リリスを見る、熱く潤んだ瞳。羞恥半ばの気持ちを抱えながら朱に染まる頬。
唇は震えているのではなく、わなないている。自分の言葉に畏れ多さに。
完全に、恋する乙女の顔つきではないか
そして同時にミフユは悟った。
女がこんな顔をするのは生涯に一度、初めての恋のときくらいなモノだ。
「夢莉さん、ぶしつけながら、恋愛経験などは?」
「う……」
リリスが一直線にブッ込んで、夢莉がそれに呻きを返す。
ミフユにわかることだ。リリスだってわかるに決まっている。その上での確認だ。
「その、恥ずかしながら、恋愛らしい恋愛は一度も……」
完全に身を縮こまらせている辺り、それはいけないと思っているようではある。
「夢莉さん――」
「ですが、わ、私は本気です!」
一転して、夢莉は声を張り上げてリリスに向かって思いの丈をぶつけようとする。
「私は、興宮さんのことを、本気で、ぁ、あの、本気で……ッ」
「言うのは、簡単なのです」
が、リリスの一声に、夢莉は一発で黙らされる。
「か、簡単……」
「そうです。あなたはきっと一世一代の決意のつもりで俺にそれを言ってくれたのでしょう。これ以上ない重大な決意をもって、それを口に出したのだと思います」
「そうです。ぁ、当たり前じゃないですか……!」
「ですが、実際に行動することに比べれば、言うこと自体はひどく簡単なことなのです。今のあなたには、きっとそれは理解できないことだと思いますが」
「…………ッ」
先程から、普段は見せないレベルで取り乱す夢莉に対し、リリスは至って冷静だ。
一世一代の告白をされた側なのに、表情一つ変わっていない。
「しかし、どうして俺なのですか?」
「それはッ!」
リリスに問われ、夢莉は食ってかかるかのような勢いで、理由を語る。
「昨日の『会』であなたが私を助けてくれたのが、その、か、かっこ、よくて……」
言い終えるまでに、彼女の勢いは急速に失われていく。
もはやリリスの顔も見ていられず、赤い顔のままで深く俯いてしまう。
「……そうですか」
「チャンスを、私に、チャンスをくださいませんか!」
呟くリリスに、バッと顔をあげた夢莉がそんなことを言ってくる。
その顔に浮かんでいるのは、激しい焦燥の色。
リリスの反応に芳しくないものを感じ、必死なのだとミフユは理解する。
『ママ……?』
『大丈夫よ、ミフユちゃん』
ミフユが念話で問いかけると、返ってくるのはリリスの柔らかな微笑み。
それで安堵はできるが、何故リリスは夢莉に真実を告げないのかが気になった。
二日目に騒動はあれども今年の『年始の会』は何とか終わった。
リリスも、リリトなどという偽名を使い続ける必要はないと思うのだが……。
「私が、興宮さんの妻に相応しい女かどうか、テストしてくださいませんか!」
そして、この叔母の暴走っぷりである。
さすがに見ているのも限界で、ミフユはリリスの邪魔にならない程度に口を出す。
「……ねぇ、叔母様。リリト兄様に相手がいないかどうかは、確かめないの?」
「え、いるん、ですか……?」
リリスを見る夢莉が、一瞬で絶望的な表情になる。
それに、ミフユはまたしても頭を抱えそうになってしまった。
「最初に確認するべきはそこじゃないの? ねぇ? 叔母様?」
「だ、だって、だって……! そんなのわかんないわよ! そ、そんなの……!」
夢莉が駄々をこねる。
その光景は、ミフユが最もあり得ないと思っていたものの一つだ。
え~、この女、本当にあの『佐村家の漬物石』なの~?
なんてことを思ってしまうのも、仕方がないことだろう。これは仕方がない。
とりあえずわかったのは、佐村夢莉という女の恋愛偏差値の低さだ。
恋に恋する、という段階にも至れていない。やりとりが小学生の恋愛だ、この人。
「……あの、興宮さん?」
夢莉が、リリスに恐る恐る尋ねる。
するとリリスはミフユの方をチラリと見てから、ゆるくかぶりを振った。
「今のところ、俺にそういった相手はいませんね」
「よかった……!」
夢莉が、胸の前で両手を重ねて、本気の安堵を見せる。九死に一生を得た感じで。
「ただ、だからといってそれは俺が夢莉さんとそういう仲になる、ということではありませんよ? お互い、出会ってまだ三日も経っていないでしょう?」
「でも、恋に時間は必要ないともいうじゃないですか……!」
どこの恋愛作品にもありふれてる言葉を持ってきたなー、と、ミフユは思った。
が、彼女自身、アキラから一目惚れされているため、あまり否定できない。
「そうですね、恋に時間は必要ありません」
リリスも、夢莉の言葉を拒むことなくすんなりと受け入れる。
一瞬、夢莉の表情が輝くが、しかし、リリスの言葉はまだ終わっていない。
「恋に時間は必要ありません。ですが理解には時間が必要です」
「理解、ですか……?」
「例えば、俺の趣味があなたが到底受け入れられないものだったらどうしますか?」
「え……」
「俺の大好物の料理が、あなたがこの世で一番嫌いな食べ物だったら?」
「そ、それは……ッ」
「俺が好きな動物を、あなたが大嫌いだったら? とか、他にも色々ありますよね」
「なるほど、お互いを理解しないままの恋愛は――」
「どこかで破綻しますよ。必ずね」
リリスはそれを断言する。ミフユもこれには同意だった。
相手を理解しようとしない恋愛は、本質的に恋愛と呼べるモノにすらならない。
「…………」
夢莉は、考え込んでいるようだった。
無駄なことを、と、ミフユは内心にため息をつく。ママが受けるワケないってば。
それを思うと、夢莉も少し可哀相かもしれない。
彼女が前にしているのは、絶対になびく可能性のない相手なのだから。
だが、今ここで生まれて死のうとしている恋を見届けるのも、自分の役割か。
漬物石の初恋を目にすることになろうとは、思いもしていなかった。
ミフユは、別に夢莉を嫌ってはいない。苦手だが。
できれば幸せになって欲しい程度には思っているが、今回は絶望しかないだろう。
そう高を括っている彼女の耳に『ギッ……』という小さな音が届く。
軋み音にも似た音がした方を振り向くと、この部屋に入るためのドアがあった。
「あの、興宮さん……!」
夢莉が、改めてリリスと相対する。
そこに浮かぶのは、これまで以上に固い決意の表情。再度のプロポーズか。
ミフユの意識はそっちに向けられて、音のことは頭から消える。
「今の私が至らぬ女であることは重々承知しています。でも、私は今の自分の中にある気持ちを諦めたくありません。どうか、私と結婚を前提にお付き合いを――」
必死の表情で、夢莉、二度目のプロポーズ。
ミフユは、彼女が散る様をしっかりと見届けるべく、リリスの返答に注目する。
「今すぐは無理ですね」
ほ~ら、やっぱり無理だった。そんなの最初から――、って、今すぐは?
「え、それは……」
「理由は、今言いましたよ。お互いを理解するためには時間が必要だ、と」
え? え? 待って、リリスママ。その言い方って、まるで……?
ミフユの表情が凍りつく一方で、夢莉の顔から強張りがとれていって、笑みが、
「別にYESではありません」
が、リリスは夢莉の早合点を一言のもとに断ち切る。
「興宮さん……?」
「YESではありません。NOでもありません。言葉の通りです。俺と夢莉さんは、お互いについて知らなすぎます。付き合う付き合わない以前の段階です。いえ、以前にいたる以前の段階、でしょうかね。結論を出すには到底時間が足りなさすぎます」
言葉にしてみれば、リリスの言い分はもっともな話である。
しかし、それでは納得がいかないのか、夢莉は全く余裕を欠いた顔で食い下がる。
「でも、私はそれで構いません! 私の中にある想いは、本物です!」
「自分の気持ちに酔っている人間の言葉に、どれだけの説得力があるでしょうか」
「う……」
だが、リリスの言葉が持つ力は強く、夢莉もそれ以上の反論はできなかった。
彼女は聡い。今の自分が普通ではないことも、しっかりと自覚していた。
「ですので、まずは連絡先を交換しましょう」
ここで、初めてのリリスからの提案。
沈みかけていた夢莉の表情が、そこでまた救いを得たようにパッと花開く。
「ちょっと、ママ……?」
信じられないのはミフユであった。
てっきり、この話はこの場で終止符が打たれると思っていた。
だが現実はどうだ。
目の前で、リリスと夢莉が連絡先を交換している。
その光景に、ミフユの中で感情が嵐の如く荒れ狂いそうになる。しかし、
『大丈夫よ、ミフユちゃん』
届いたリリスからの念話が、彼女の気持ちを優しく包み込んだ。
『私は、あなたのママですからね。悪いようにはしないわ』
『…………うん』
そんな風に言われては、うなずく以外にないミフユであった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ああ、それは引き下がらざるを得ない。
聞き終えた俺も、そこは納得するしかないなぁ。リリス義母さんが言ってるなら。
「でも、収まりはついてないワケだ?」
「つくわけないでしょ~! も~! も~! ふざけんじゃないわよ~!」
ミフユが、俺の腹に頭を押しつけながらポコポコ両手でぶってくる。
「リリス義母さんには何らかの考えがあるんだろ。だったら、任せていんじゃね?」
「わかってるわよ! そんなことくらい!」
だろうねぇ。
リリス義母さんがミフユの理解者であるように、ミフユも義母さんの理解者だ。
だけど、頭でわかっててもってヤツかね、これは。
俺とお袋に当てはめて考えてみると、う~~~~ん、すごくモヤモヤするね!
「で、二人はその後は?」
「何か、今週末に会うみたいよ~」
ひょえ~、行動が速い……!
「え、誘ったのは……?」
「叔母様に決まってるでしょ~! あの女~! わたしのリリスママなのに~!」
リリス義母さんに任せるつもりではあっても、今のミフユは憤懣やる形無し、と。
しっかし、リリス義母さんもどんな考えがあるんだか……。
「だからアキラ、今週末、空けておいて」
「あの、ミフユさん?」
何が『だから』なんですかねぇ……?
「わたしのリリスママの隣に立つ女は、すべからくわたしのバビロニャ・チェックを受けなければならないのよ。それは宇宙開闢から存在する、絶対の掟なんだから!」
「初耳ですよ、その絶対の掟」
「いいから付き合ってよ~! 一緒についてきてよ~!」
ポカスカポカスカと俺を軽く叩きながら、ミフユが大声で甘えてくる。
全く、本当に仕方がないなぁ~、ミフユ太くんは~。
「他に誰か応援呼ぶ?」
「それは別にいいわよ。多くなりすぎてもアレだし」
と、いうワケで今週末は俺とミフユの二人で、リリス義母さんストーキング決定。
なお、当日は意外な面子が同行することになってしまうんですけどね?
さすがに、現時点でそれを予測しろってのは、無理な話なのだった。
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