第159話 片桐商事期待の新人、北大路麻夜!
タクマ・バーンズは、その日も朝から悶々としていた。
理由は、もちろんシイナのことだ。
数日前の朝、電話でミフユから聞かされた。
シイナが、あっちの世界で夫だったユウヤと再会し、しかも告白された、と。
『あんたはシイナと仲が良かったでしょ。あんたくらいには言っておかなきゃね』
という、ミフユの配慮によるものだった。
しかしタクマの中にあるのは感謝ではなく、怒り。純然たる怒りだった。
何だよそれ、と、思った。
無論、怒りを向ける先はミフユでもなく、シイナでもなく、ユウヤに対してだ。
ユウヤ・ブレナン。シイナの元夫で『異彩にして異才』と呼ばれた豪商だ。
ミフユの話によれば、こちらの世界でも社長をやっているらしい。
自分も一応は社長だが、それこそ雲泥の差だろう。
だが、そこに妬みを感じる分のリソースまで、タクマはユウヤへの怒りに変える。
シイナへ告白した。その事実が、タクマの中に怒りの炎を燃え上がらせる。
「へェ、ユウヤッさん、やるッじゃんか! シイナ姉、やッとこ彼氏ゲットかよ!」
だが、彼は表面上にはそれをおくびにも出さない。
ミフユと話すその声は、いつも通りの快活でノリの軽いバーンズ家三男だった。
内心は、今もユウヤに対してあらん限りの罵倒を浴びせているのだが。
『あんたも、マヤちゃんのこと、しっかりしなさいよ?』
「~ッてるッての、言われッねぇでもよォ~!」
いつもの声、いつもの調子、タクマはその日も、平常運転だ。表面上は。
そして、ミフユとの電話を切って、スマホをベッドに叩きつけた。それが数日前。
そこから時間が経って、今、彼は朝から眉間にしわが寄りっぱなしだった。
「……ひっでぇツラだわ」
洗面所で、鏡に映る自分の顔を確認する。
目にクマができている。顔色も青ざめていて、血色の悪さは誰の面も明らかだ。
「
全回復魔法によって、ひとまず目のクマと顔色を戻しておく。
この魔法、身体を治す上では役に立つのだが、精神までは作用してくれない。
よって、今日も一日シイナについて考えながら、ジリジリ過ごすしかないワケだ。
辛ェわァ~、超絶辛ェわぁ~……。
だが、彼の仕事は何でも屋。笑顔が第一、仕事が第二。
全市民が客になる可能性を秘めているのだから、笑って過ごすしかない。
幸い、作り笑いは得意だし、表面を取り繕うのには慣れ切っている。
マガコーでの日々も、ガタイのデカさと表面上の怖さだけで何とか乗り切った。
運悪く、それが通用しない輩に絡まれて『出戻り』する羽目になったけど。
そう思うと、あっちでもこっちでも、自分という人間は変わらないな。
タクマは、鏡の自分を見つめながらそんなことを思った。
表面は繕って、常に周りと程よい距離感を保ち、前に出過ぎないよう立ち回る。
重要なのは、相手を不快にしないことだ。
好きの反対は無関心というが、タクマは嫌われるなら無関心の方がマシだと思う。
そっちの方が、相手も自分も、イヤな思いをせずに済むからだ。
「……あ~、今はいいわ、ンなこたぁ」
はたと気づいて、息をつく。
この数日、特にこうやって一人で考えることが多くなった。
原因は明白だ。しかし、今は仕事前。そのことは考えないように努める。
「さッて、あのねぼッすけを起こしに行くッかね」
二階に通じる階段を見上げ、タクマは呟く。
タクマの家は一戸建てだ。ただし借家であり、彼個人のものではない。
仕事上、ミニバスを停められる空間が必要なため、借りた家であった。
なので本体は駐車スペースで家はおまけ。
とはいえ、築年数こそ経っているが、二階建てのしっかりしたいい物件だ。
将来的には、金を貯めてこの物件を買い取りたいと思っている。
「オッラァ、起ッきやがれ、マヤ! 朝だッての!」
マヤに貸し与えた部屋のドアを無遠慮にノックする。
すると、ドアの向こうから「む~」と呻く声が聞こえる。タクマはさらにノック。
「起きッろ! オラ、朝だッての!」
ガンガンと容赦なくドアを叩き、また数秒。
「うぅ~るさいぃ~、起きる、起きるからぁ~」
ドアの向こうに聞こえる声にうなずいて、タクマはノックするのをやめた。
マヤは、朝が弱いが、一度目が覚めればちゃんと起きてくる。
それを知るタクマは一回に降りて朝食の準備をする。
と、いっても凝ったものは作らない。
トースターでパンを焼き、軽いおかずを一品二品、作る程度だ。
本日はスクランブルエッグにウィンナーを炒めた。
二人分の朝食の準備を終える頃になって、マヤがやっと一階に降りてくる。
髪はボサボサで、いかにも眠そうだ。
ベッドから出てそのまま来たのだろう。ぼんやりした様子で目を擦っている。
「ほッれ、軽く顔洗ッてこいよ」
「う~、わかってるわよ~ぅ」
そのまま、マヤは洗面所へと向かい、タクマは朝食の準備を続ける。
そういえば、異世界でも一緒だったときはこんな調子だった。
昼と夜はそうでもないのだが、朝はもっぱら家のことはタクマがやっていた。
マヤは家事もこなすのだが、本当に朝は使いものにならなかった。
「なッつかしいモンッだわ」
作り終えた朝食をテーブルに並べてひとりごちていると、マヤが戻ってくる。
「何? 何の話よ?」
「ん~? おめ~と一緒だッたッときも、朝はこんッな感じだッたッしょ」
「そういえばそうだったかもね~。……ぁふ、まだ眠いぃ~」
あくびをし、伸びをするマヤ。タクマはジトッとした目で彼女を見る。
「さッさと食ッてくれよ。今日ッも仕事だッぞ」
「わぁ~かってるってば~、もぉ~、うるさいわよ!」
「おめッがダラダラしてッからだろが!」
そして二人はテーブルで向かい合って座り、手を合わせた。
「「いただきます!」」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
朝食を終えて準備をし、本日も片桐商事は宙色の街に出る。
今までと違うのは、新人が一人、加わったことだ。
「何であたしまで働かなきゃいけないのよ~……」
と、ミニバスの座席にてマヤがボヤくが、タクマは「バカ言うな」とバッサリ。
「俺の座右の銘ッしょ。『働かざる者飢えて死ね』ッてのが」
「元ネタより過激に走ってるのは何なのよ!?」
過激ではあろうが、元ネタから意味はそんなに変わっていない自負がある。
変わってないから何だよ、というツッコミには無言を貫く姿勢だ。
「ぃッや~、でもッよ、マヤがいてッくれて助かるッぜぇ~!」
バスを運転しながら、タクマがそう語る。
器用で、おおよそのことはできる彼ではあるが、やはり人手が増えるのは助かる。
組む相手としても、マヤは自分並に色々器用なので、大助かりだ。
「あっちでもこっちでも、あんたがやることって変わらないわよね~」
「好きッでやッてッかんな」
言うマヤに、タクマはニシシと笑う。
「そッれより、指輪、ぜッてぇ外すッなよ~?」
「わかってるわよ。外していいことなんか何もないんだから」
二人が言う指輪とは、現在、マヤが右手の中指にはめている銀色の指輪だ。
それは、彼女の宿す強い魔力を抑制する『魔力封じの指輪』だった。
マヤ個人の持ち物であり、これを使うことで、魔法による探知から逃れられる。
さらに、マヤにはジルーの手の者に見つからないよう、変装もしてもらっている。
長髪のカツラに、銀縁の眼鏡。
たったそれだけでも、だいぶ印象が変わるのが面白い。
「さてさッて、本日は三件ッほど仕事の予約入ッてッから、気合入れてッくぜ~」
「新入社員、
北大路、というのはこちらでのマヤの苗字だ。
大仰な名前ではあるが、先祖に侍がいたというだけで、家自体は普通らしい。
「そーねー、親父は女作って逃げる程度で、母親はパチンカスであたしがバイトで入れた金も全部使いこむくらいの、どこにでもあるありふれたご家庭よ」
「キッツ、ッて、うちも似たよッなモンだッたわ」
バスの中に、二人の朗らかな笑い声が響いた。
そして本日も『何でもやッたる片桐商事!』の何でも屋稼業が始まる。
――お仕事一件目、ペットのお散歩。
「こ~ら、ジョン! そっちはダメよ~! ほら、ミミちゃん、他のワンコと喧嘩しないで! って、何やってるの、ゴンちゃん、そこでオシッコしないで! あ~!」
「ウヒヒヒッ、ワッチャワチャやッてンねェ!」
大量の犬を、二人で何本ものリードをもって散歩させる。
それは一見すると簡単なことだが、慣れないとただただ混乱するしかなくなる。
今のマヤのように。
「な、何であんたはそんな楽そうにやれてるのよぉ~!」
「何でッて、そッりゃ、俺ァ慣れてッかんな~」
マヤよりさらに多い犬のリードを手に持って、タクマはすいすい歩いていく。
「何か納得いかないわよ!」
「そりゃッおめ~、年季の違いッしょ~」
「って、ああああああああ、引っ張られるぅ~~~~!?」
さらに抗議しようとするマヤだったが、ワンコに引きずられていった。
タクマはそれを、笑いながら見送った。
――お仕事二件目、家の外壁塗装の塗り替え。
「……嘘でしょ、これを一日かけずにやれ、っての?」
マヤが見上げる家は二階建ての二世帯住宅で、かなり大きい。そして広い。
この家の外壁を全て塗り替える。
少なくとも二人がかりでも一日では無理。と、マヤには思えたが――、
「出ッ番だぜェ、『
『ヘ~イ、親方ァ~!』
「出たわね、お仕事妖精さん……!」
金属符により『異階化』した空間内で、タクマは自分の異面体を呼び出す。
それは、タクマから独立した意識を持った自律群体型の、別名『妖精さん』だ。
「今日のッ仕事ァ、ペンキ塗りッだぜェ! やッちまいな~!」
『『ハイホ~!』』
元夫の元気な様子を傍らに見つつ、マヤは呟いた。
「一時間、かからなそうかぁ……」
実際は三十分もかからなかった。
――お仕事三件目、子守り。
「……ッベ、チョー強敵ッしょ」
子供が、泣きやまない。
母親が買い物に行っている間の二時間ほど、子守りを頼まれたのだ。
しかし、その子供(一歳)がなかなかの難物だった。
抱いてもあやしても、おもちゃを見せてもなかなか泣きやまず、途方に暮れる。
「もぉ、仕方ないヤツ。ほら、こっち」
マヤが手招きするので、タクマは彼女に泣いている子供を抱かせてみる。
「はぁ~い、いい子ね~、よしよし」
そうしてマヤがしばし抱えた子供をあやしていると泣き声が小さくなっていく。
それには、タクマも驚かされた。
「マジッかよ……」
三分も経たないうちに、部屋の中に子供の寝息が聞こえるようになる。
マヤは、手の内に抱く子供をいとおしげに見つめ、呟いた。
「ね、タクマ」
「あン?」
「もしかしたらあたし達にもさ、こうやって子供を抱く未来、あったのかな……」
「そッりゃ、おめぇ……」
そりゃ、とは何なのか。自分は今、何を言おうとしたのか。
タクマは言いかけて、結局結論が出ずに、そのまま口ごもってしまう。
「ごめん、困らせるつもりはないんだ」
タクマの様子に気づいて、マヤも苦笑する。
そして、深く眠った子供をベビーベッドにそっと寝かせ、マヤは彼を見る。
「でもさ、一つだけ、あんたに言いたいこと、言っていいかな?」
「ンッだよ、いいッけどよ」
何の気なしにタクマが返すと、マヤは意を決したように息を飲み、そして言う。
「あたし達さ、ヨリ戻さない?」
「…………あ?」
タクマがその言葉を理解するまで、三秒ほどかかった。
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