第10話 ふゆちゃんの地獄:後

 ミフユ・バビロニャ。

 異世界で『聖女にして悪女』と呼ばれた娼婦。


 こいつは、とある小国の娼館で、十歳にして娼婦としてデビューした。

 しかも、デビュー後数日で、娼館がある国の王を篭絡し、たちまち名が広まった。


 以降、彼女は数多の英雄、賢者、貴族、悪党と体を重ね、全員を手玉に取った。

 当然、その人生は波乱万丈で命を狙われたことも一度や二度じゃない。


 一晩あたりの値段が世界最高値だった期間が何年続いたんだっけな。

 大国の頂に立つよりも、共に一晩を過ごす方が栄誉、とまで言われた女だ。


 だが、世界最高の大娼婦は、ある日突然引退した。

 何故なら、夢が叶ったからだ。

 派手な逸話や伝説を無数に残した娼婦の夢は『好きな人のお嫁さんになること』。


 ミフユ・バビロニャは、魔王と呼ばれた男と結婚した。

 そう、つまり――、ミフユ・バビロニャは、俺のカミさんだった女だ。



  ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



「マジか。マジか……」


 俺は、ガックリと肩を落とす。

 まさか世界を超えてまで、このババアとまみえることになろうとは。


「ちょっと、ジジイ。それ、わたしのセリフなんだけど。ホント、笑えないわねぇ」

「いや、もうここまで来るとね、なんかもう、笑うわ」


 浮かぶ笑いは無味乾燥としてるけどな!


「何でだぁ、何でよりによっておまえが『ふゆちゃん』なんだよぉ~!」

「それもわたしのセリフよ。何であんたが『アキラ』なのよ……」


 頭を抱える俺に、シーツを体に巻き付けたミフユも盛大に息をつく。


「そりゃさぁ、名前は一緒だったよ? でもさぁ、気づけるか? 無理だろ!」

「はいはい、それもわたしの以下同文よ。世界を超えて出会えたのに、冷たい男ね」


「だって、おまえのツラなんぞ見慣れた見飽きた越えて見極めたレベルだし」

「ひどい言い草よねぇ、人の胎を使って二桁以上も子供こさえたクセに」


「おまえが子沢山がいいって言ったんだろうがー! 人のせいにすんな!」

「そうね。わたしの希望だったわね。叶えてくれてありがとう、あ、な、た♪」


 そして、俺に向かってウィンクをするミフユ。


「ぐぎ、ぎぎ、ぎ……」

「アハハハ、本当に変わらないわね。アキラったら、家族には弱いんだから」


 そう言って朗らかに笑うミフユの顔に、俺は晩年のこいつの面影を見る。

 脳裏に浮かぶ、六十年以上を連れ添って白髪とシワだらけになったババアの顔。


 最悪だ、最悪すぎる。

 もはや『ふゆちゃん』へ仕返しする気なんて、完全に萎えちまった。


「あ~、その顔。わたしへの復讐、する気なくしちゃったのね。わかるわかる」

「クソが。的確に俺の表情を読み取りやがって……」


「あんたがやる気なくしたならさ、わたしの仕返しに付き合ってよ」

「あ?」


 げっそりとして言うと、ミフユがそんなことを返してきた。

 その視線が途端に険しくなって、床に転がってる勲と美遥へと向けられる。


「な、何なんだ! 一体どういうことだ! 美芙柚、このガキは何だ! 何でこんなガキを、あなたなんて呼ぶんだ!? ハラを使って子供をこさえた? 嘘だよな? 嘘なんだろ? 僕以外の男に、そんなッ、僕の美芙柚がそんなビッチであるものかッ! そうなんだろ美芙柚、美芙柚ッ! 美芙柚ゥゥゥゥゥゥゥ――――ッ!」


 わぁ、ペド。


「ちなみにこれ、わたしの死因その一ね」

「じゃあ、あっちが……」


 と、俺は未だ憤怒が冷めそうにない様子の美遥へと目をやる。


「そ。あっちがわたしの死因その二、っていうか、直接の死因ね」


 さっきの展開が、そのまんま起きたんだろうなー。

 前の『僕』もそうだが、こっちに戻ってくるヤツはみんな一回死んでるのか。

 ロクでもねぇ。


「わかるでしょ? 今のわたしの気持ち」

「あ~、まぁな。俺にも覚えがある」


 生き返った直後、豚とお袋を前にした俺の気持ちがまさにそれだった。


「だからね、わたしはこの二人の前で、佐村美芙柚を地獄に突き落とそうと思うの」

「ミフユ・バビロニャの手で、ってことか?」


 尋ねると、ミフユは無言でうなずいた。


「まぁ、いいさ。それも一興。で、俺は何をすればいいんだ?」

「見守って、見届けて。佐村美芙柚が地獄に落ちて死に果てるその瞬間を」

「わかったよ」


 俺は一歩引いて腕組みをし、マガツラを引っこめた。

 それと代わるように、ミフユが一歩前に出て、転がる勲へと近づく。


「パパ」

「み、美芙柚……」


 鎖に縛られて起き上がれずにいる勲が、自分を呼ぶミフユを見上げる。


「見て、パパ」


 ミフユは目を細め、アルカイックスマイルで巻き付けたシーツに手をかける。

 シーツはハラリと床に落ちて、勲の前にミフユの裸体が晒された。


「ぉ、おお……」


 声を漏らし、生唾を飲み込む勲。

 それまで幾度も目にしてきたはずの娘の裸。だが、今の美芙柚は美芙柚ではない。


 直に体を見せながら、表情と、息遣いと、細やかな所作で全身に色を帯びる。

 ほんのり上気した頬と、対照的に薄い闇の中に映える青白い肌。


 四肢の短さと細さは触れれば壊れそうなくらいに繊細で、だからこそ生々しい。

 成熟した豊満な体では醸し出すことのできない、幼児体型がゆえの妖しさと。


 そして顔には慈愛に満ちた母の笑み。

 こんなもの見せられたら、婆専だって一発でロリコン化待ったなしだ。

 事実、実の父である勲も完全に魅せられてしまっている。


「勲さん、目を覚まして、勲さんッ! そんな小娘の誘惑に乗らないでェ!」


 おやおや必死だねぇ、奥さん。

 けど、この人にゃ本当に母親としての自覚が一切感じられねぇな。


「美芙柚、美しいよ……、美芙柚」

「ありがとう、パパ」


 感動に瞳を潤ませる勲に、ミフユは笑顔のままうなずいて、両腕を振り上げた。

 その手には、いつの間にかゴルフクラブが握られていた。


「え、みふ……」

「くたばれ、ペド野郎」


 固まる勲の額に、ミフユがゴルフクラブを振り下ろす。

 鈍くて、硬い音がした。


「ィヤァァァァァァァァ! 勲さぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああんッ!」


 美遥が涙とつばを散らして、もがき暴れる。

 万が一にも邪魔が入らないよう、俺は彼女を縛り上げる鎖に魔力を込め直した。


 ミフユは、クラブを持ち替えて何度も勲の頭を殴りつけた。

 一本目がひん曲がり、二本目もひん曲がる。三本目はなかなか丈夫だった。


「み、ふゅ……」


 勲がゆるゆると手を伸ばそうとする。

 しかし無視して、ミフユはゴルフクラブで何度もその頭を殴り続けた。


 殴打。殴打。殴打。殴打。殴打。殴打。殴打。殴打。殴打。殴打。殴打。

 三本目が曲がっておシャカ。四本目に持ち替える。

 殴打。殴打。殴打。殴打。殴打。殴打。殴打。殴打。殴打。殴打。殴打――、


「…………ッ」


 勲が、動かなくなった。

 伏せた頭から、大量の血がだくだくと流れ出る。


 そしてできた真っ赤な血だまりの真ん中に立って、少女が髪を掻き上げる。

 一糸纏わぬその肌には、点々と血の跡。頬についたそれを指で掬って嘗めとる。


「まずいわ」


 自分の父親だったものの血に対し、彼女はそんな感想を漏らした。

 そして、ビクンビクンと小さく痙攣を繰り返す、父親だった肉の塊を踏みつけた。


 はぁ、と、小さなため息がその唇から漏れる。

 命潰えた肉の塊を、少女は何ら感慨のない瞳で見下ろし、呟いた。


「――笑えないわねぇ」


 そして、ミフユ・バビロニャは折れ曲がった四本目のクラブを放り捨てる。


「勲さぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――んッッ!!?」


 悲痛な嘆きを迸らせて、美遥がさらに激しくもがいた。

 ミフユは今度はそちらを向いて、床に血の足跡を残しながら母親へと寄っていく。


「ママ。パパが死んじゃった」

「うあぁぁああぁぁぁぁ! 美芙柚、あんたが、あんたがぁぁぁぁぁぁ!」


 噛み付かんばかりの勢いで絶叫する美遥。

 しかし、そんな母親にミフユが向けたのは、言葉ではなく足の裏だった。


「うるさいのよ、負け犬が」


 ミフユの足が、美遥の後頭部を勢いよく踏みつける。


「ぐぶッ!」

「経産婦のクセにいつまでメス気取りなのさ。色ボケがまともぶるんじゃないよ」


 さらに踏みつけて、踏みつけて、踏みつけて、


「ぐ、げ……」


 高かった鼻梁がひん曲がり、前歯が折れ飛んで、顔中が血にまみれる。

 美しかった美遥の顔は、ミフユの暴力によって見るも無残に壊れ果ててしまう。


「が、ぁぁ、あ! み、ふゆぅ、みふ、ゆぅぅ、ぅ、う……!」


 だが、かすれた声でそうして怨嗟を漏らす美遥には、今の顔こそ似合って見えた。


「ぁ、あんだなんが……、ぅ、うむんじゃながっだ。ぁんた、なんが……」

「そう。いいわよ、恨んでも」


 床に爪を立ててガリガリと掻く美遥を、ミフユは無表情に見下ろす。


「どうぞ、好きなだけ恨めばいいわ。憎めばいいのよ。女としてわたしに勝てなかったあんたにできることなんか、それしかないんだろうから」

「み、ふ、ゅううう、ぅぅぅぅぅぅ、う……!」


 声に怨念を、瞳に呪詛を溢れさせながら、美遥は自分の娘を睨み続ける。

 その目には映っているのだろうか。

 ミフユの背後に現れた、浮遊する白い半透明の影。ゆらゆら漂う、大きなもの。


「NULL、やりなさい」


 それはゴルフバッグを持ってきたミフユの異面体スキュラ

 無数の触手を生やした、巨大なくらげだった。

 名前はNULLヌル。常に色と形を変え、虚空を泳ぐ何物でもないもの。


 ヌルが長く伸ばした触手の先端が、美遥の首筋に触れた。

 すると、恨みに染まり切っていた彼女が急に顔色を悪くして、目を剥く。


「は、ッ、くは……ッ」

「強めのお薬を処方してあげたわ。眠るようにして、お逝きなさいな」


 ヌルの能力は魔法的な薬品の合成。もちろん、毒物もその範疇に含んでいる。


「み、ふ……」

「さようなら、ママ。わたしを産んでくれて、ありがとう」


 手向けの言葉は、とびっきりの皮肉。

 美遥はもう動かなかった。

 ミフユの言葉通りに、眠るようにして息を引き取った。


「終わったわ」


 彼女が、俺の方を向く。


「佐村美芙柚は死んだわ。ママが愛していたパパを殺して、自分が愛していたママも殺して、地獄に落ちたのよ。地獄は死ぬ人の行く場所。だから美芙柚は死んだのよ」

「おまえがそれでいいなら、俺は何も言わねぇよ」


「ありがとう、お爺さん」

「最悪だよ、今この場でのその呼び方は、最悪通り越しての最悪だよ」


「笑うわよね」

「笑えねぇんだが?」


 嬉しそうに笑っているミフユへ、俺は露骨に舌打ちをしてやった。

 翌日、佐村夫妻の『事故死』が新聞を騒がせた。

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