第9話 ふゆちゃんの地獄:前
真っ赤な血だまりの真ん中に立って、少女が髪を掻き上げる。
一糸纏わぬその肌には、点々と血の跡。頬についたそれを指で掬って嘗めとる。
「まずいわ」
自分の父親だったものの血に対し、彼女はそんな感想を漏らした。
そして、ビクンビクンと小さく痙攣を繰り返す、父親だった肉の塊を踏みつけた。
はぁ、と、小さなため息がその唇から漏れる。
命潰えた肉の塊を、少女は何ら感慨のない瞳で見下ろし、呟いた。
「――笑えないわねぇ」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
佐村家から明かりが消えた。
空の上から様子を窺っていた俺は、かけていたゴーグルを外す。
パイロットゴーグルにも似たそれは、遠視と透視の両方を兼ね備えた魔法道具。
傭兵時代、主に偵察用に用いていたこっちでいう双眼鏡的なヤツだ。
魔法で空に上がった俺は、ここ数時間ほど佐村家を観察し続けた。
そしたらまぁ、親父はペドだわ母親は娘を『女』として敵視してるわで、何これ。
俺が何かするまでもなく『ふゆちゃん』、とっくに地獄やんけ。
いや、でも、待てよ。そうか。
こういう事情だからこそ美芙柚は母親からの愛情と助けを求めてやまないのか。
そこに気づいた俺は、頭の中で素早く計画を組み上げていった。
まずは、母親の美遥の前で父親の勲を殺す。
できれば美芙柚も一緒にいるところがいいな。殺し方は何でもいい。
父親は前菜。いや、食前酒にも値しないか。
本命は母親の方。勲が死ねば、美遥は確実に発狂する。母親じゃなく女だからな。
そのとき、美遥は散々溜め込んだ美芙柚への負の念を爆発させるはずだ。
どんな悪口雑言が飛び出すか、楽しみでたまらない。これは期待が高まるな。
そして、美芙柚に絶望を感じさせて、目の前で美遥を殺す。
そののち、美芙柚に何らかの罰を与える。
さすがにイバラヘビはもう使わない。同じ手ばっかりでも飽きるだけだし。
「ふゆちゃんは、精神的に叩く方が面白そうだ。ノゾミアゲハでもけしかけるか?」
ノゾミアゲハは強力な幻惑効果と催淫効果を備える鱗粉を持つ魔獣だ。
こいつの鱗粉を吸った対象は、自分の望みが叶う幻惑に囚われる。
だが、望みが叶った瞬間、今度はそれが壊される幻覚に苛まれることになる。
幻の世界の中で、途切れることのない希望と絶望の繰り返し。
そうしていたぶった対象の体液を啜って養分を得るのがこいつの生態だ。
「うんうん、よきかな。女の子はちょうちょ好きだもんね」
メインディッシュの召し上がり方もこれで決まった。
本当は『ふゆちゃん』はもっとじっくり痛めつけるつもりだった。
しかし、こんな事情を見せつけられたら、そんなこと言ってられなくなった。
愛する母親に己を全否定され、その上で目の前で母親が殺されたら。
そのとき、果たして『ふゆちゃん』はその顔にどんな表情を浮かべるのだろうか。
それを想像するだけで、あかんね、勃ちそう。
まだ精通もしてないんですけどねぇ、俺。
「やるか」
指の間にアイテムボックスから取り出した『異階化』用の符を挟み込む。
それを真下の豪邸に投げつけると、佐村家一帯が『異階化』した。
これにて準備完了。
さぁ、三木島家に続いて佐村家にも地獄を作りに行くとしよう。
空に浮かぶ俺の周りで、空間が歪み、ひしゃげていく。
そして現れる、真っ黒い鎧を着た鋼仮面の大男。
この『異階化』した空間でのみ具現可能な俺の
あんまり父親の方に用はないので、母親が来たらこいつにブチ殺させよう。
派手に殺すなら、マガツラの馬力に任せるのが一番だ。
「行くぜ、マガツラ。仕返しの時間だ」
そして俺は、飛翔の魔法を中断する。
空中にあった俺とマガツラが、魔法効果を失って自由落下を開始した。
俺はマガツラの肩にしがみつき、こいつをクッション代わりに使う。
落下地点は佐村家の一角、勲と美芙柚が乳繰り合っているデケェ寝室だ。
「夜分遅くに、お邪魔しまぁ~す!」
マガツラの巨体が、屋敷の頑健な建材を容易くブチ抜き、寝室に着地した。
轟音が響き渡り、佐村家の屋敷一帯が軽く揺れる。
が、ここは『異階化』した空間。
景色は現実と変わらずとも、その影響はこの空間に留められる。
「な、何だ……!?」
ベッドから立ち上がる勲と、寝かされている美芙柚が見えた。
どっちも真っ裸で、勲の股間は……、おうおう、漲ってんねぇ、こりゃあ。
「よぉ、おまえも実は大変だったんだなぁ、『ふゆちゃん』」
「あ、あんた……、アキラ!?」
俺に気づいた美芙柚が、驚愕に顔色を失う。
隣の勲は眼鏡をかけようとするが、のん気なもんだな、社長さんよ。
「縛れ」
俺が命じると、落下の際に放り投げておいた捕縛用の鎖が勲の身に巻きつく。
「う、わぁ! な、なぁぁぁ!?」
所有者の思い通りに動く。
それだけの機能しかない鎖だが、最大の特徴はその頑丈さ。
ドラゴンでも噛み切れない強度を誇るんだぜ、こいつ。
「何なの、アキラ。これ、どういうことよ!」
シーツで自分の裸を隠す美芙柚が、俺に向かって怒鳴ってくる。
いやいや、おまえみたいな幼女の裸なんぞ誰が見たがる――、ああ、父親がか。
「くっ、う、動けない。何だ、おまえは。誰なんだ、一体……!?」
「まぁまぁ、少し待ちましょうよ。奥さんがもうすぐ来るでしょ」
動きを封じられてもがく勲に言うと、ちょうどそのタイミングで美遥が現れた。
「い、今の音は何……? って、きゃあああああ! い、勲さん!?」
来たよ来たよ、本命が。
手に人形とアイスピック持ったままなのが怖ェよ、奥さん。
「やぁ、『ふゆちゃん』のお母さん。ちょっとこれから旦那さんを惨たらしく――」
俺は言いかけるが、美遥が見たのはこっちではなく、美芙柚。
「美芙柚、あんたね!」
「え?」
あれぇ?
「あんたが、あんたが勲さんにこんなことを!」
唖然となる俺の前で、美遥が美芙柚に向かってアイスピックを振り上げる。
「マ、ママ……」
「あんたなんかァァァァ――――ッ!」
細い声で呟く美芙柚の胸に、アイスピックの先端が深々と突き立った。
幼い体に穿たれた小さな穴から、鮮血がパッとしぶく。
「ぁ……」
美芙柚の体が、ベッドの上にとさと崩れて、だがそこに美遥はなおも、
「あんたなんか、あんたなんかが! 勲さんに、私の勲さんに、あんたなんかが!」
幾度も、幾度も、アイスピックを突き立てた。
幼さの残る童顔は獣じみた獰猛さに歪み切って、完全に瞳孔が開いている。
「チッ、縛れ!」
俺は新たに取り出した鎖で、勲同様に美遥も縛り付けた。
「がぁぁぁぁっ! 何でよ、何で邪魔するのよ! 全部、あの子が悪いのにぃ!」
「知るか、そンなこと。俺の仕返しの邪魔しやがってよ……」
床に転がって激しくのたうつ美遥につばを吐きつつ、俺は美芙柚に目をやる。
高飛車な小娘は、ベッドのシーツを真っ赤に染めて動かなくなっていた。
口は半ば開いたまま。
涙をこぼす瞳は、もう何も映すことなく、天井を見つめている。
「うあああああああ! 美芙柚、美芙柚! ああああああああああああああ!」
勲の嘆きが聞こえるが、そんなモンはどうでもいい。
何だよ、この展開は。クソつまんねぇ。せっかく最高のプランを練ってきたのに。
あ~ぁ、とんだ興覚めだ。
これで『ふゆちゃん』を蘇生したところで、俺のモチベがダダ下がりよ。
もう、帰っちまおうかな。
ここにいるペド野郎とクソ女は、マガツラに処理させるかぁ?
――そう、俺が判断しようとしたときだった。
「
ゾクリとするほどの、艶にまみれた声。
そして、ベッドに起きた魔力反応が、俺を振り向かせた。
「な……?」
驚きに硬直する俺の前で、息絶えたはずの全裸の少女が、むくりと身を起こす。
「ふわ、ぁ……」
少女はけだるげにあくびをしながら、軽く伸びをした。
「ええと、ここは……?」
探るように視線を巡らせる彼女と、俺の視線がぶつかる。
すると、少女はハッと気づいたようにして、俺の名を呼んできた。
「あら、あなた。もしかして、……アキラ・バーンズ?」
それは、異世界で傭兵をしていたときの俺の名前だった。
そしてその声の響きに、俺の中にも思い当たるものがあった。
「嘘だろ……。その声、まさかおまえ、バビロニャ、か!?」
「そう、みたいねぇ。ああ、そう。そういうこと……」
薄暗い寝室を見回して、少女は現状を納得し、うなずいた。
「そっかぁ、こっちの世界に戻っちゃったワケか。……笑えないわねぇ」
異世界にて『聖女にして悪女』、『愛憎の繰り手』と謳われた大娼婦。
ミフユ・バビロニャは、そう零して嘆息した。
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