第6話 初出撃


 パンジャンドラムの本当の投入実験は、ノルマンディ上陸作戦の二週間前に実行された。この実験で良い結果が出れば、残りのパンジャンドラムもろとも、そのままノルマンディへ投入しようという目論見であった。二週間という期間は、敵がパンジャンドラムへの対処策を編み出すには短すぎるが、味方が実戦で明らかになるパンジャンドラムの問題点を修正するには、十分な期間として決められたものだ。

 投入される先には、フランス沿岸地帯の小さな浜辺が選ばれた。当時、ドイツ軍はここに比較的に強固とも言える防御陣地を構築していた、というのが、この場所が選ばれた理由だった。


 夜を隠れ蓑にして、パンジャンドラムを運ぶために特別に改装された揚陸艦が送り込まれた。この揚陸艦はアメリカから供与された艦を改造したもので、一艦につきパンジャンドラム一機を搭載できる。これらの艦の甲板の上には、パンジャンドラムを打ち出すための巨大なカタパルトが設置されていた。これに加えて、護衛用の駆逐艦が数隻と、普通の上陸用舟艇が背後に控えていた。この船の中は工兵隊が一杯乗船していた。彼らの目的は上陸作戦に加わるのではなく、この作戦の終了後できる限りすみやかに使用したパンジャンドラムを回収、または破壊することであった。

 作戦は日の出とともに開始された。

 まず駆逐艦が海岸線に近づき威嚇射撃を加える。敵砲兵陣地に圧力を加えるためだ。ノルマンディ上陸作戦の戦艦による支援砲撃の役目を、今回は駆逐艦が肩代わりする形である。用意された四機のパンジャンドラムだけが、日の光が注さぬかのように黒々とした巨体を見せている。

 浜辺の上の防御陣地が混乱したところで、パンジャンドラム揚陸艇 -俺たちはこれを縮めてP揚陸艇と呼んでいた- が突進すると、船体の前面を成しているタラップを降ろした。

 今でもときどき思うのだが、あの海岸線の防御陣地に詰めていた兵士は、そのとき何を考えただろう?

 P揚陸艇の前が大きく開くと、そこにあるのは巨大な鋼鉄の車輪だ。全体に恐ろしげな刃が隙間無く生えている。

 そいつが化け物の咆哮を上げたと思うと、次の瞬間、全身から炎を吹き上げる地獄の車輪となって襲いかかって来たのだからさぞかし恐ろしかっただろう。

 一つの車輪に付けられたロケットモーターは七十五基。最初に点火するのはそのうち五基。噴射時間はわずかに三十秒。噴射開始から十秒経つと次の五基のロケットが点火する。動き出してから二十秒で巡航速度に達し、このときは全部で十五基のロケットが炎を吹き出すことになる。もし、パイロットがアクセルを吹かさなければ、の話だが。

 P揚陸艦が爆発カタパルトを作動させた。爆発カタパルトってのは、ショットガンや地雷なんかに使われている派手な爆風を作り出す火薬を、カタパルトの動力にするやつだ。

 爆発カタパルトはたった一度しか使用できないが、それでいいんだ。パンジャンドラムはP揚陸艇一隻につき一機しか搭載していないからな。それに一度、パンジャンドラムが火を吹き始めれば、ぐずぐずなんかしていられない。この悪魔の車輪が全力で回転するのに巻き込まれれば、ひ弱な揚陸艇なんか、あっと言う間にバラバラになってしまう。

 いや、パンジャンドラムが飛び出す瞬間は実に壮観だったな。俺はその操縦席にいて、ゲラゲラジュースのせいですでにへろへろだった。上も下もありゃしない。回転する車輪と、敵のトーチカ、それが世界の総てだったな。とにもかくにも俺は空中にあり、周囲は炎の渦巻だった。俺が近づいているのは、空中に浮かんだように見える砂地であり、その中にコンクリートで出来た小さなトーチカが幾つも並んでいた。どのトーチカにも重機関銃が装備されていたし、速射砲だってついていた。

 相手が歩兵や戦車なら、そういったものも役には立っただろうに。

 機関銃で倒すには、この悪魔の車輪は硬すぎる。大砲を当てるには、この悪魔の車輪は速過ぎる。

 やがて、偉大なる重力の働きで、俺のパンジャンドラムは着地し、それから地獄が出現した。

 空中でぐんぐんに回転していたパンジャンドラムは、最初に触れた砂地に大きな半円形の溝を掘り出した。それから車輪の周囲についている鋼鉄のヒレが大地に突き刺さり、その反動で弾けるように転がり始めた。

 最初に突っ込んだのは三重に施設された鉄条網だ。実を言えば、俺はこのとき、ひやひやしていた。パンジャンドラムの唯一の弱点がこの鉄条網だったからだ。車輪の周囲の刃に触れれば鋼鉄線と言えでも容易く切断される。だが下手に車軸に絡まると厄介なことになる。それも物凄く厄介なことにだ。

 俺のパンジャンドラムはその鋭い鋼鉄のヒレを使って、目にも止まらぬ高速回転で鉄条網を切り裂いていった。細かく切り刻まれた刺つきの針金が、操縦席の窓に幾つも当たって、小さな金属音を立てる中、俺は強引にパンジャンドラムを鉄条網の中へと追い込んで行った。

 鉄条網の一本がパンジャンドラムの車輪の主軸へと絡みついた。それは恐るべき勢いで車輪の刺の回りに巻き付くと、パンジャンドラムの回転にブレーキをかけた。車軸がきしみ、衝撃とともにパンジャンドラムがよろめいた。万事休すだ。一度でも車輪の回転が止まれば、パンジャンドラムは倒れて起き上がれなくなる。そうなれば俺はとんでもなく厄介な状況へと追い込まれることになる。

 俺が緊急脱出装置のボタンを叩き込もうとしたその瞬間に、パンジャンドラムの周囲に吹き出しているロケットの噴射炎の一つが、限界まで伸びていた鉄条網を焼き切った。それから、車軸の回りに巻き付いていた針金が緊張に耐え切れずにばらばらに千切れる。俺の乗ったパンジャンドラムは、まるで何事もなかったかのように、地獄の行進を再開した。

 鉄条網地帯からトーチカまでの三百フィートをわずかに五秒で駆け抜けると、パンジャンドラムは敵に襲いかかった。ようやく何が起きているのかを理解した敵が、発砲を開始したが、時すでに遅くパンジャンドラムの車輪は要塞のコンクリートの屋根の上をまっすぐに駆け抜けた。鋼鉄の爪がコンクリートを引っ掻いて火花を上げると、続いて装甲鉄板の巨大な刃がそこに食い込んだ。一秒に数百回転にも上る戯けた回転力は、言い換えれば、神が振るう恐怖の回転ノコギリだ。パンジャンドラムは歩みを緩めずに要塞の上を通り過ぎると、中にいた兵士もろともその要塞をまっぷたつに切断した。

 パンジャンドラムが要塞を二つに引き裂いた時点では、生き残った兵士も、あるいはいたかも知れなかった。だが、パンジャンドラムの動力源、車輪の周囲に装備されたロケットモーターの噴射炎は、彼らを見逃さなかった。超高温の水蒸気を大量に含んだ無色の炎は、要塞の傷口の中へと容赦なく吹き込み、そこにあった総てを蒸し焼きにした。

 そのとき俺が何を感じたかって?

 何も感じなかったさ。感じるひまなんてありゃしない。総てが終わるのに、一秒もかからなかったんだからな。ただ後で、完全密閉されているはずの操縦席の中に、微かに人の肉が焼ける匂いが漂っているように思えたものさ。

 次の五秒でパンジャンドラムは残りの砂浜を駆け抜けて、固い道路の上に出た。道路の敷石を穴だらけにしながら、俺はパンジャンドラムの向きを変えると、背後から残りの要塞へと襲いかかった。幸いと言ってよいことに、未だに操縦席は回転を始めていなかったので、俺は要塞を照準の中に捉えると、正確にその上を走り抜けた。

 引き裂かれた敵兵の肉片が宙に撒き散らされる。気のせいか、空が何かで赤く染まっている。

 地雷を踏んだ。対戦車用の地雷だったらしく派手な爆発が周囲を満たした。だが、それもパンジャンドラムに取ってはそよ風のようなものだ。鋼鉄の刃が数本折れて飛んだが、何の痛手でもない。

 俺はパンジャンドラムを操って、次々とトーチカや塹壕の上を転がり回った。地獄の車輪の周りについた刺に引き裂かれて、体を半分断ち切られた兵士が空中に投げ上げられながら絶叫し、ロケットの噴出炎を受けて誘爆した兵器がそれに彩りを添えた。炎に巻き込まれた機関銃の弾帯が、中国人が鳴らす爆竹のように火花を上げて弾け、続いて地雷が死のあくびを漏らす。すでに操縦席は回転を始めていて、俺の周囲はぐるぐると回る地獄のカーニバルだった。


 ようやく、敵の大部分が片付いて、俺に味方の様子を見るだけの余裕ができた。まず最初に目についたのは、浜辺の中央で狂気のように回転しているパンジャンドラムだった。そのパンジャンドラムは不幸にも、車輪の主軸に砲弾の直撃を食らったらしかった。外れた車輪はと言えば、その近くに開いている大穴の中らしく、そこからは派手に砂と炎が跳ね上がっていた。倒れたパンジャンドラムはいわば巨大な回転ドリルだ。ロケットモータの燃料が尽きるまでに、どのぐらいの深さの穴ができるのかは、神のみぞ知ると言うところだ。

 パンジャンドラムの操縦席の中がどうなっているのかは、そこからは見えなかった。しかし地面についた操縦席を中心にして、残りの車輪がその周りに高速回転しているのだ。

 大きなひき肉を作る機械の中に飛び込んだハエ。とにかく俺が思ったのはそういうイメージだな。


 もう一つのパンジャンドラムは、俺の前を勢いよく走っていた。それが右に向けて走っていたのか、左に向けて走っていたのか、いまに至るまで俺には判断できていない。ゲラゲラジュースを飲むと、自分の右手も左手も判らなくなる。ついでに言えば、頭と尻の区別もつかなくなるし、前と後ろの区別もつかなくる。こんな状態でもしセックスでもしようものなら、たとえ相手が男でも妊娠させちまうだろうな。

 まあ、とにかく、そのパンジャンドラムは俺の目の前にいたのは間違いない。そうでなければ俺がそいつを見られるわけがないからな。そいつは最後のトーチカを破壊すると、戦車用の障害物をあっさりと踏み潰し、地雷を幾つか誘爆させながら、何事もなかったかのように走り続けていた。

 惨劇が起きたのは、そいつが再び鉄条網地帯へ飛び込んだときだ。

 俺が前にそこに飛び込んだときには、横に敷かれた鉄条網に対して直角に飛び込んだ。だがそのパンジャンドラムのパイロットは、鉄条網に沿う形で飛び込んだんだ。ワーズワース少佐に絶対にやるなと言われていた行動の一つだ。

 そいつがどうしてそんなことをしたのかは、俺は知らない。あるいはそいつにはゲラゲラジュースが効き過ぎていたのかも知れないな。とにかく、ワーズワース少佐が予言していたことがそいつの身に起った。つまり鉄条網がパンジャンドラムの刺に引っ掛かり、それから絡みついたんだ。前に俺がそれをやったときとは違い、今度のは数本いっぺんにだ。パンジャンドラムの軸に針金が巻き付き、とうとう片側の車輪が止まりかけるところまでいった。それからどうなったと思う?

 パンジャンドラムの回転力は車輪の周囲についたロケットモーターだ。針金がいかに巻き付こうと、その回転力には変わりはない。パンジャンドラムの車輪が完全に止まるかわりに、操縦席の方が車輪と一緒に回り始めた。俺には操縦者の悲鳴が聞こえたような気がしたよ。それと反吐を吐く音もだ。一瞬の間を置いて、パンジャンドラムの中央の操縦席がわずかに赤くなるのが見えた。いや、あれほどの速さで回転しているんだ。操縦席自体はまともに見えない。外から見るとそれは小刻みに振動する球でしかないんだ。

 あんたはヨーヨーって玩具を見たことがあるかね?

 縞模様に塗られたヨーヨーを回転させると、縞模様の色は混ざり合ってのっぺりとして見える。それと同じだ。恐らくは操縦席の中は血の海だろう。操縦者の頭は天井に張り付き、足は床に張り付く。それが結末だ。

 それから操縦者を失ったそのパンジャンドラムはデタラメな方向へと動き始めると、たったいま自分が破壊した砲台へと斜めに突っ込んだ。ねじくれ曲がった砲の先がパンジャンドラムの車輪へと突き刺さり、そこにあったロケットモータを突き破った。

 ロケットモータの爆発というものがあれほど凄まじいものだとは、俺は想像もしなかったよ。パンジャンドラムの巨大で頑丈な車輪が二つに裂けると、統制を失った残りのロケットモータが固定している金具をねじ切り、思い思いの方向へと飛び始めた。それは逆さになった流星のように昼の空を砂浜から青空へと目掛けて切り裂くと、復讐の天使の降臨のようにやがてまた砂浜の上に舞い降りた。ロケットモータは落下とともに爆発の断末魔を叫び、周辺にあるもの全てを吹き飛ばした。そのうち一つは沖で待っていた揚陸艇の近くに落ち、ちょっとばかり乗っている奴らをびっくりさせた。

 運が悪かったのだと言いたい。この爆弾の雨から必死で逃れようとしたもう一つのパンジャンドラムの近くで、飛び散ったロケットモータの最後の一つが爆発したのは。

 爆風がそのパンジャンドラムの軌道を歪め、避ける暇こそあれ、そいつは海に目掛けて勢いよく突っ込んでしまった。車輪の半分が海水に浸かりながらも、パンジャンドラムは止まることなく、海のただなかへと泳ぎ出して行った。もちろん、鋼鉄の車輪が水に浮くわけはない。やがて車輪の全体がすっぽりと海の中に潜り、そして破局が訪れた。

 ロケットモータの噴射炎の先っぽは超高温だ。それをまともに食らえば装甲鉄板でも瞬時に穴が開く。海水がそれに触れれば大量の水蒸気が生まれる。しかもそいつは超高温だ。水蒸気は、何と言ったっけ、そう、酸素と水素に分解し、再びそいつに火がつくことになる。これを水蒸気爆発というのだとは後で教わった。

 パンジャンドラムが沈んだ辺りの海面に大爆発が起きた。とっても大きな、青と赤の混ざったきれいな火の球だ。続いて大音響が、完全防音のはずの操縦席の中にまで届いて来た。後で聞いた話では、この爆発音は遥か遠くのイングランドの沿岸にまで聞こえたって話だな。とにもかくにも、揚陸艇に乗りこんでいた連中の半分が、鼓膜が破れて気絶したってことだから、その爆発がどんなもんだったか判って貰えると思う。

 ワーズワース少佐だけは別だ。やっこさんは駆逐艦の上から全てを見守っていたんだが、ご丁寧にその耳には栓を詰め込んでいたんだからな。

 全ては奴の予想通りってわけだ。


 敵上陸の連絡を受けた敵の爆撃隊が飛んで来る前に、危うくも俺たちはそこを脱出することができた。俺のパンジャンドラムは無事だったが、結局はこれも回収を諦めて爆破することになった。揚陸艇に乗っていた兵士のうちで、満足に動けるものが少なかったからだ。

 知っているか?

 人間ってのは両方の鼓膜が破れた直後は、ろくに立ち上がることもできなくなるってことを。

 まあ、一度でも全力回転したパンジャンドラムは信頼性がなくなる。あまりにもロケットモータの力が強いために、回転軸そのものが微妙に歪んでしまうためらしい。だからワーズワースはこの損失を痛いとは思わなかった。

 それどころか、やつは、パンジャンドラムから転げ降りてきた俺を抱きしめてこう言いやがったんだ。

「やったぞ! 実験は大成功だ! たった四機のパンジャンドラムで、堅固な防御陣地が完全に壊滅だ」


 死んで行ったパイロットたちへの、慰めの言葉は無しだ。


 ああ、俺はいまでもワーズワース少佐を憎んでいるよ。それでも尊敬だけはしていた。あそこまで狂った男はちょっと他にはいなかったからな。

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