第4話 エマ
エマが配属されたのは、ようやくこの基地での訓練に慣れてきて、イギリス野郎どもとも仲良くなった頃だった。
一言で言えば、彼女は地上に降り立った天使だった。知的なその顔立ち。誰にでも分け隔てなく与えられる笑顔。そしてもっとも魅力的だったのは、何よりも豊満なそのバストとヒップ。
いや、いまの時代、女性に対してこんな風な見方すると批難されることなんだろうけどな。坊や。当時はごく普通だったんだ。
だいたい、荒くれの兵隊どもに、それ以外の何が必要だっていうんだ?
未来はあってもせいぜいが一、二週間。その先はと言うと、さあ分からないっていう返事が返って来る時代だったからなあ。
どうして彼女がこの基地に配属されたのかはわからない。もっと上の軍のお偉方のそばで、秘書を勤めていてもおかしくない女性だったんだから。
そりゃもちろん。彼女が配属された途端に、基地中の男たち全員が恋に落ちたさ。
言うならばこれは、飢えたオオカミの群れの中に羊を追い込んだみたいなもんだった。だけど、これだけオオカミが多くちゃ、お互いに抜け駆けする暇なんて無いってものさ。
おまけにワーズワース少佐が、エマを不用意に悩ませた者には特別なお仕置きを考えていると宣言するに至っては、それ以上の混乱はおきようがないってもんだった。
エマはしばらくの間、基地のあちらこちらに顔を見せていたが、やがてワーズワース少佐の秘書の地位へと落ち着いた。まあ、妥当なところだな。
ワーズワース少佐は女性にはまったく関心が無いようだった。頭の中はパンジャンドラムで一杯だったんだ。寝る暇も無く、パイロットの育成や、パンジャンドラムの強化や量産ばかり考えていた。
性格はともかく、仕事はできる男だったよ。確かに。
何が面白いのかエマは、俺たちパンジャンドラムのパイロット連中のたまり場によく顔を出した。ケーキを焼いたと言って持ってくることもあれば、クッキーを焼いたと言って持ってくることもあった。手ぶらでごめんね、なんて言いながら、止まっているパンジャンドラムの間を散歩していることもあった。
俺もエマに恋した一人だから、これは願ったり叶ったりの状況だった。それは他のパイロットも同じであって、ここに熾烈な競争が繰り広げられた。
そうだな。彼女がパンジャンドラムの操縦を見にきているとなれば、良いところを見せようと操縦にも力が入る。つまりこれはパンジャンドラムの回転数が上がるということで、それはパンジャンドラムの操縦席の回転数が上がることに直結する。
そうして操縦席ごと散々に回転した挙げ句に、パイロットはよろよろとパンジャンドラムから這い出してきて、お大事のエマが見守る中で、盛大にゲロを吐くことになる。
これを二、三度やったところで、パイロットが良い格好をしようとする傾向はすっかりと治まった。どんなに頭の鈍い奴でも、それが逆効果であることだけは理解したのだ。
その次に巻き起こったのが、エマを食事に誘うことだったな。こんな山奥に気の利いたレストランなんかあるわけがなかったから、自ずからそれはピクニックへの誘いとなった。
俺も散々それをやった口だ。二人で近くの山に登り、遠くの景色を眺めるんだ。眼下に横たわった基地の上には、たくさんの刺の生えた車輪が転がっていた。パンジャンドラムだ。この距離から見ても、それはそれは異様な姿をしていた。
エマははしゃいでいたな。カメラを出して景色を写したりしていたが、基地を背景に俺と写真を撮ろう言い出したときは驚いた。これはさては彼女が俺に惚れている証拠だな、なんて勝手なことを思って俺は内心にやりとしたものだったな。
うん。エマの作るサンドイッチはうまかった。あんな旨いサンドイッチはそれまで食べたことがない。
俺たちはいい雰囲気だったが、残りのパイロット連中が紳士協定を組もうと言い出した。この戦争が終わるまでエマには手を出さないという協定だ。誰とくっつこうが、そいつは戦争で死ぬ可能性が高い。エマを未亡人にするぐらいなら、生き残った奴が改めて立候補する方が良い。そういった主旨だった。
冗談じゃない。ここまでエマに近づいたのに。
でも結局は俺もそれに賛成した。紳士協定に入らないと訓練中に事故に見せかけて殺される、そういった雰囲気があったからだ。実際に紳士協定に入ることを拒んだ野郎もいたが、その代表であった野郎が事故で死ぬと、残りの連中も考え方を変えた。
やれやれ、お楽しみは戦争が終わった後か。
まあそんなわけで、俺たちのぐるぐる回る日常も、終わりへと向かって着実に進んでいった。
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