第3話 地獄の車輪


 ベッドの上で一週間俺は苦しみ続けた。俺はこの最初の試練を見事に越えて、ワーズワース少佐の部下、有り体に言えば、奴の奴隷に編入されたってことさ。

 軍籍では一応イギリス支援の特殊部隊に編入ってことになっていた。これは後で判ったことだがな。

 本当ならゴメスの野郎こそここに居るべきなんだが、あいつは要領がいいから、ワーズワース少佐の罠からまんまと逃げおおせたのだろう。


 パンジャンドラムってのはイギリスのサミュエル何とか言う名の作家が書いた物語に出てくる怪物の名前だ。最初にこの兵器のアイデアを思いついたのはイギリスの将校の一人で、それを見たワーズワース少佐がアイデアを引きついで発展させたという話だ。

 目標は迫り来るDデイに行われるフランス海岸への上陸戦だ。

 ナチスの野郎どもはフランスの広い海岸線を隙間無く武装しやがった。どこもかしこも鉄条網に覆われているし、硬いコンクリート製のトーチカまで埋まっている。そこにハリネズミのように武装したドイツ兵が立てこもると、ちっとやそっとじゃ上陸できない。

 トーチカって知っているか? あんた。

 分厚いコンクリートと鉄板で囲まれた建物だ。空から飛行機で爆撃しようが、海の上から戦艦で撃とうが、穴なんか開きはしない。唯一効き目のあるのが歩兵での突撃だが、機関銃で武装したトーチカには近づくだけで命取りだ。船で簡単に輸送できるような軽戦車もただの餌食だ。トーチカには対戦車砲も置かれているからな。

 そこで登場するのがパンジャンドラム。こいつで目の前の鉄条網を切り裂き、トーチカを串刺しにして、歩兵か戦車が突入する隙を作ろうって計画だ。


 だが、パンジャンドラムには大きな欠点がある。パンジャンドラムはものすごい乗物酔いを引き起こすってことだ。真っ直ぐ動いているときはともかく、ちょっとでも操縦席が回転を始めるともう駄目だ。どんな人間でもこれには耐えられない。人によっては、パンジャンドラムに乗った後の眩暈と吐き気で病院から出られなくなることもある。

 技術屋の連中は何とかして操縦席の回転を止める方法を見つけようとしたが、それは部分的にしか成功しなかった。転がり始めは何とか安定するんだが、一度全力回転に入れば、操縦席は即席の遠心分離機へと変ずる。それほどパンジャンドラムのロケットの出力は強力だったんだ。俺もいままでの人生の中でいろんな機械を見てきたが、あれほどの短時間にあれほど大量のエネルギーをまき散らす機械は、パンジャンドラムぐらいのものだろう。


 この問題に対して、ワーズワース少佐はまったく別の解決方法を見つけたんだ。そいつは少佐の懇意にしている軍医が調合したもので、どこの国でも間違いなく違法となるような劇薬を幾つも幾つも混ぜ合わせて作った代物だった。

 ゲラゲラジュースと俺たちは呼んでいたな。

 こいつを飲んだ人間は、奇妙に気分が良くなって突然ゲラゲラと笑い出す。その発作が治まると、薬の本来の効果が発揮される。つまり、上下の感覚がまったく消失し、続いて左右の感覚が完全に消え去る。結果はへろへろでまっすぐ立つこともできない人間のでき上がりだ。その代わりに、この人間は全力回転しているパンジャンドラムの中でも、へらへらと笑い続けることが可能となる。頭の働きそのものにはほんの少ししか影響しないんで、十分にパンジャンドラムのパイロットが勤まると、まあこういうわけだ。

 ゲラゲラジュースの成分に関しては、色々と兵士のあいだでも噂されていたよ。俺はその味から考えて、悪魔の小便と、酔っぱらいの吐いたゲロ、それに陸軍の古参兵が三年間ずっと洗わずに履き続けた靴下が原料ではないかと想像した。

 俺の話を聞いたパイロットの一人は、いやワーズワースのことだ、それよりももっと非人道的な何かが入っているに違いないと断言した。

 ではそれは何かと俺が尋ねると、奴は青い顔をしていきなり沈黙してしまった。奴が何か知っていたのかどうかは判らないし、俺は知りたいとも思わない。あれから何十年も経った今に至ってもだ。


 ゲラゲラジュースに関しては、ちょっとばかりびっくりしたものを見たことがある。

 ある日、訓練が早めに終わったので、俺は酒ビンを引っつかんで、訓練所の近くの森の中に散歩に出たことがあった。ところが森の中まで来たときに、何か大きくて細長いものが道の向こうからやって来るのを見掛けたんだ。

 何だと思う?

 まあ、物として見れば、珍しいものじゃない。ただの人間だ。もっと正確に言えば、パンジャンドラムのパイロットの一人だ。そいつも俺と同じに、食堂から酒ビンを失敬して、森の散歩へと出ていたんだ。

 この話でもっとも奇妙なのは、そいつの姿じゃなくて、そいつの姿勢だったんだ。そいつは奇妙なことに、道の上を歩いているんではなかった。そいつは何と、道の上を逆さまに歩いていたんだ。木の梢をな。ゲラゲラジュースを飲んだ人間は上も下も判らなくなる。その野郎は、上も下も判らないままに道を歩いていたんだよ。

 よくもまあ、そんなへろへろの状態で、木の枝の間から見える、青空の中に落ち込まなかったものだと思うよ。そうなれば、どういう結果が生じただろう?

 ゲラゲラジュースが切れるまで、青空の中をどこまでも、上へ上へと落ち込み、それから正気に戻って今度は物理学的に正しい自由落下を開始するのだろうか?

 ニュートンの時代に、このゲラゲラシュースがなかったのは幸運だったな。もしそうだったら、彼とリンゴは揃って発狂しただろうから。

 実を言えば、この話をしたのはあんたが初めてだよ。ワーズワース少佐がこのゲラゲラジュースの副作用を知れば、少佐のことだ、また新しい兵器を開発しかねなかったからな。

 空飛ぶゲラゲラ兵士隊。冗談じゃない。その役をやらされるのは、間違いなくこの俺だ。沈黙は金なり。そうだろ?

 まあ、そういうわけで、パイロットの乗り物酔いの問題が解決したので、パンジャンドラムはもう少しで実用可能なところまで漕ぎ着けていた。

 後は哀れなパイロットたち・・・パンジャンドラマーの訓練が完了するのを待つだけだった。

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