第2話 パンジャンドラマー

 パンジャンドラマーこそはこの世でもっとも過酷な職業だ。


 1・9・4・3の夏。俺はそこに居た。それはもちろん第二次世界大戦の最中で、世間ではドイツへ向けての上陸作戦が何時行われるのかが噂されていた時代だった。飛ぶ鳥を落とす勢いだったナチスどももここに来て息切れしていたんだな。V2なんて珍妙な名前の新兵器でロンドンを爆撃していたが、それでもナチスどもの劣勢は止まらなかった。

 当時の俺はイギリスへと送り込まれたアメリカの支援兵の一人だった。それほど真面目な兵隊じゃ無かったが、一応は除隊にならないだけの仕事はしていた。できれば本国に留まって危ない最前線なんかには出たくはなかった。他に志願兵は山ほどいたんだから、それほど難しい話じゃないはずなんだけどな、どういうわけか俺のところに命令が来ちまった。さんざんゴネた末に何とかイギリス駐留軍に回して貰ってね、意外と平和に過ごせたものさ。


 でもな、物事ってのは願い通りにはいかないものさ。


 事の起こりはやっぱり女の取り合いであり。俺ともう一人の戦友は一ヶ月に渡って通い続けた兵隊相手の酒場の女たちをついにくどき落とし、ようやく夜の海岸の散歩への約束を取り付けたところだった。そこへ割り込んで来たのはやつら、お高く止まったイギリスの兵士たち。俺たちヒラの兵隊なんてどこの国でも変わらないものなのに、何故だか知らないが俺たちをヤンキーと見下す奴等だ。俺も俺の友達も、毎夜のごとく酒場に通ったお陰で財布の中身は空っぽ、お寒い限りであったので、その夜が酒場女を口説き落とせる最後の機会でもあったわけだ。だからここで引くわけには行かない。俺は奴等を意気地無しの腰抜けと呼び、奴等は俺たちをアメリカ出身の田舎者と呼んだ。

 どちらの言葉も真実であったのが良くなかった。頭で否定できないなら、拳で否定するしかない。

 最初に殴りかかったのがどちらだったのかは覚えていない。実を言えば一ヶ月もかけて口説き落とした女の名前も今ではすっかり忘れ去ってしまっている。覚えているのは、あの夏、俺がパンジャンドラムに出会ったこと。

 そうそう、喧嘩の話だったな。俺と奴等の殴り合いに引き寄せられるかのように、暇を持て余していた両軍の兵士たちが集まって来た。誰も喧嘩の理由なんか訊かなかった。退屈を紛らわせてくれるものならば何でも、俺たちは歓迎していた。アメリカ兵の標的はイギリスの奴等であり、イギリス兵の標的はアメリカ兵だった。もしそこにドイツ兵でも居れば、もちろんそいつがタコ殴りにされて終わっていたわけだが。

 ゴメスはイタリアから移民して来た男で、兵隊になる前はボクシングの重量級の選手だったという触れ込みの大男だ。それはどうやら本当の話だったようで、ゴメスの振るうハンマーを思わせる拳の前にたちまちにイギリス兵が壁まで吹っ飛ばされて動かなくなった。てんやわんやの騒ぎの末に誰かが、恐らくはイギリス兵だとは思うが、ゴメスの脳天に椅子を叩きつけた。これには流石のゴメスの野郎も耐えきれずにお寝んねと相成った。まあそれでもゴメスのお陰でその夜の喧嘩は俺たちの側の勝利に終わり、俺は鼻歌混じりに約束の女を連れて、酒場からご退場することが出来た。


 ここまでは良くある話だ。だが、問題はその次の日だ。

 どういうわけか駐屯地から本部への連絡員に任命された俺は、その日、オンボロのバイクを駆ってイギリスの田舎道をいい気分で飛ばしていたんだ。森の中に入ったところで、道の向こうに急ごしらえのバリケードが張られているのが見えた。そのときにおかしいと思うべきだったんだが、俺は少しばかり戦争ボケしていたらしい。バリケードの側まで行ってからバイクを止めると、迂回路は無いかと調べるためにバイクを降りてしまったんだから。たちまちにして隠れていた奴等が飛び出して来て、大勢で俺を押さえつけた。それが昨晩の酒場の奴等だと思い出すのに随分とかかったよ。だが終いに俺は自分がどういう状況に追い込まれたのかを理解した。

 俺を捕まえた連中の首謀者はワーズワースという名前だった。ワーズワース少佐。兵士専用の酒場に将校が来るなんてのがそもそもおかしいのだが、奴は一風変わった男であり、それ故に俺を巻き込むことに何も躊躇しなかった。


 奴が俺を何に巻き込んだかって?

 もちろん、あの悪夢の兵器、転げまわる地獄の車輪。パンジャンドラムさ。


 奴等は俺をロープでぐるぐる巻きにすると、俺を荷物か何かのように車に積んで走りだした。

 喚いたかって?

 もちろんさ。口には何も巻かれていなかったからな。賭けてもいい。奴等は俺が喚き散らすのをたっぷりと楽しんでいた。これから何が起こるのかを、誰もが知っていたのだから。

 車の行き着いた先はイギリス軍の秘密兵器研究所だ。そこは見た目はただの牧場、但し、迂闊にそこに近づく者は誰でも無警告で逮捕される。俺のように。ワーズワース少佐は俺のことを逮捕したスパイだと監視員に説明し、その研究所の門をあっさりと通り抜けた。いや、彼はこの研究所の隠れた支配者であり、実際には誰も彼に逆らえなかったのだから、これも彼一流の演出だったのかも知れない。

 基地の誰もが知っていた。新しい犠牲者が来たのだと。

 とにかく俺は、やっとロープを解かれたかと思うと、その牧場の中央に引き出された巨大な車輪の前へと引きずり出された。そう、車輪だ。これこそがパンジャンドラム。地獄の車輪。転げまわる恐怖。破壊の申し子。


 俺は唾をごくりと飲み込んで、この巨大な車輪の化け物を見つめた。


 パンジャンドラムは2つの巨大な鋼鉄の車輪を結合したものだ。形はタイヤを二つ、横に並べたものだと思えばいい。高さは俺の約三倍。磨きこまれた鋼鉄の車輪は、恐ろしく太い一本の軸で結合されている。車輪の動力は、車輪の横に無数に取り付けられた噴射装置、それをロケットと呼ぶのだとは後で知った。

 黒く光る鋼鉄の威圧感、そしてその車輪に取り付けられているのは大人の腕で一抱えの太さもある巨大なロケット。

 車輪の周囲にはこれもたくさんの鋼鉄の刃が突き出している。装甲鉄板で作られた巨大で不恰好な刃がデタラメな配列とデタラメな角度で突き出している。

「紹介しよう。我が軍の誇る新兵器、パンジャンドラムだ」

 ワーズワース少佐が芝居っ気たっぷりの動作で手を広げると、その鋼鉄の車輪に向かって敬礼した。それから彼が指を鳴らすと、俺の周りを取り囲んでいたイギリス兵たちが一斉に俺に飛び掛かり、俺は再び身動きできない状態にされた。

「いったい俺をどうするつもりだ」

 俺は口から泡を飛ばしながら喚いた。

「どうもしやしないよ」

 ワーズワース少佐はにこやかな笑みを顔に浮かべながらこう続けた。

「君を我が軍最強の兵器に乗せてあげようと思い立ってね。こうして招待申し上げた次第だ。君の言う腰抜けのイギリス人が実際にはどんな戦いをしているのかをご理解差し上げようと思ってね」

 俺は喚き、少佐の祖先に関して罵り、軍の上層部にお前を訴えてやると脅し、最後には泣いて許しを請うたが、全て無駄に終わった。イギリス兵たちは慣れた手つきで車輪の中央にハシゴを架けると、俺をその戯けた兵器の中央へと乗せた。車軸の中央にはちょうど人が一人乗れるだけの空間があり、その中に溶接された椅子に座らされて初めて、俺はそれが操縦席であることを知った。

「いいか、一度しか言わないから良く聞きなさい。操縦方法を忘れたら死ぬことになるからね」

 ワーズワース少佐は歌うように言った。

「足のペダルは車輪の方向転換に使う。但し、今回は絶対踏まないように。いいか、絶対にだ。万一、パンジャンドラムが回りそこねて横倒しにでもなれば、君の回りでロケットの炎が踊ることになる。一応、熱遮蔽はしてあるが、そんなもので防げる炎じゃない。判ったね?」

 そこまで話してから少佐は俺の瞳を覗き込み、十分な恐怖がそこに浮かんでいることを確認した。

 ああ。ワーズワース少佐。やつは本物のサディストだったよ。いや、本物の悪魔だったと言ったほうが正確か。

 それから少佐は俺の肩のストラップを結びながら説明を続けた。

「いいかね。右手にあるのはアクセルだ。これはいくら引いてもいい。何なら握り締めていても構わないよ。それから左手にあるのはブレーキ。これもいくら使っても構わない」

 ああ、そのときの奴のニヤリと笑った顔を見たら、神様だって腰を抜かすさ。

「さあ、以上でパンジャンドラムの操縦法は終わりだ。実に簡単だったろ?」

 少佐は俺の首の周りの最後のストラップを結びながら話を締めくくった。軽く俺の肩を揺すって、きちんと体が固定されていることを確かめる。

 ここまで来てようやく、俺は少佐の顔をよく見る余裕が出てきた。

 少佐の顎の一部が腫れているのはゴメスのパンチを食らったせいか?

 だとすれば悪いのは俺じゃない、ゴメスだ。

 助けてくれ。俺は哀願したが無駄だった。俺はサーカスのナイフ投げの的であるかのように、パンジャンドラムに縛り付けられていた。動かせるのは足の先、それと手首より先だけだった。俺を縛り付けているベルトは椅子に埋めこまれているもので、どうやらこの車輪はこういった格好で操縦するものらしかった。一人で乗り込むことはできても、一人で降りることは決してできない。

 今や俺の中の嫌な予感というやつは全身一杯に広がっていた。この乗り物は、いや、この兵器はまともじゃない!

「最後に言っておく。パンジャンドラムはご覧の通り、車輪につけられたロケットにより回転する。車輪の回転は周囲のフィンを通じて地面に伝わり、めでたくもパンジャンドラムは無敵の行進を開始するという仕組みだ。ロケットの本数は本来は車輪一つにつき七十五本、両輪合わせて百五十本。ついでに言うならば今回使用するのはその内の僅か十本だ。しかも燃焼時間は十秒間に抑えてある。いいか、たったの十秒間だ」

 ワーズワース少佐は人差し指を俺の顔に向けると言った。

「十秒間だ。もし君がそれに耐えられたら、俺を腰抜けと笑ったことを許してやる」

 少佐がハシゴから降り、俺は一人、パンジャンドラムの中に残された。ドアが目の前で閉まり、俺はドアの前面についているガラスに血の跡らしきものが残っていることに気がついた。

 戦慄が俺の体を走り抜けた。やつらはまともじゃ無い。俺は新兵器の実験台にされようとしている。俺は必死で身体をねじると、手首に食い込むストラップを外そうと腕を引いた。皮紐が手首の薄い皮膚を裂き血が少し流れ出した。

 その時だ。どんという衝撃音と共に、窓の左右が明るくなったのは。火花が四方に激しく噴出するのが判り、周囲の光景が揺れ、そうして巨大な車輪が動き始めた。

 パンジャンドラムが回り始めたのだ。それは俺が見守る内にどんどんと回転を強めた。同時に恐ろしい加速が俺を椅子に押さえつけ、パンジャンドラムは鋼鉄の刺を地面に食い込ませながら、前進を開始した。

 鋼鉄のきしむ音が混ざったロケット噴射の轟音が周囲を満たす。椅子が激しく揺れる。ガラスの中の風景がぐんぐんと迫り、そして歪んだ。俺の顎は衝撃でがちりと噛み合わさり、頭が前後に激しく揺らされた。車輪が何かにぶつかって跳ね上がり、その恐ろしい重量をかけて再び地面に食い込んだ。俺は何が何やら判らなくなり、必死で椅子にしがみついた。踏んではならないと言われていた足元のペダルに足がぶつかり、揺れる視界の中、必死の思いでそれをどけた。左手がブレーキに触れ、俺はそれを力一杯に引いた。

 それが良くなかった。

 パンジャンドラムを回転させるのは車輪についた巨大推力を誇るロケットだ。ブレーキはそのロケットを止めるわけではない。一度火のついたロケットは燃料が尽きるまで決して止まらないからだ。

 ブレーキはロケットを止める代りに、車軸にぶら下がった操縦席、つまりは俺のいる場所を車輪に押さえつける働きをする。その結果、車輪の回転はわずかに納まり、その減った回転力の全てが操縦席を回転させるのに使われる。

 俺の周囲の世界が一変した。重力の向きが変わったと思ったら俺はぐるんと空中で回転し、そしてまた回転した。まずいことに俺は夢中でブレーキを握りこんでしまったために、今や操縦席は車輪と一体になって回転を始めた。

 俺の身体は遠心力で上下に引っ張られた。髪が逆立ち頭が上に凄い力で引っ張られる。尻は逆に座席へと押し付けられ、拷問台の上にいるかのように体が無理に引き伸ばされる。俺は絶叫し、絶叫し、絶叫した。世界はもはや俺の周囲で回転する川と化し、背骨がぎしぎしと鳴った。血が頭と足先に押し付けられ、視界が真っ赤に染まる。耳の中では血が轟音を立てて脈打ち、鼻から血が吹き出した。俺は自分の胃袋がひっくり返る衝撃と共に、自分のゲロの中で気を失った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る