五月五日

藤泉都理

空泳ぎ







 誰に言っても信じられなかった光景を。

 まさか創り出す方に回るなんて、思いもしなかったんだ。







(どーしてこんなことになったんだっけ?)


 柏餅と粽を買いに和菓子屋の列に並んでいたはずなのに、気がつけば、折り畳まれた提灯のようなものを手渡され、参加者は早く着てくださいと急かされるままに頭から被って、脚へすとんと落とせば簡単に着られた。

 顔と手足だけが出ている被り物は、鯉のぼりの着ぐるみだった。

 着ぐるみというより筒状のパジャマじゃないと思いながら、店員の説明を聞けば。

 どうやらこのイベントに参加しないとお目当ての柏餅と粽は買えないらしく。

 面倒くさいことをやり出したなあと面倒になりながらも、この店のものが食べたかったので参加した。


(神社に行って、宮司さんからお札をもらえばいいって。楽勝でよかった)


 和菓子屋の裏方にある百段の石階段を上った先にある、神社。

 松がうっそうと茂るここの、おじいさん、おばあさん、双子の宮司に柏餅と粽がほしいと伝えてればもらえるお札を持って和菓子屋に戻ってくれば、買えるとのこと。


(らくしょう、らくしょう)


 言い聞かせる。

 たかが百段、着ぐるみも軽いし、脚は自由だし。

 無駄に一段一段の面積が広くなければ。


(いけない。ネガティブになっちゃ)


 最近お気に入りの歌を鼻で奏でながら、今日の天候に逆らうように、寒く暗い道中を進む中。

 ふと。友人が話していた噂話が脳裏を過った。

 曰く。

 と或る日にだけ、ここの石階段に一段、しかも一部だけ出現する狭き階段を踏みしめた者は、いつの間にか妖怪の世界に紛れ込んで、餌食になる。

 と或る日っていつだよ、と訊いても知らないと言われて、次に話題が始まったのですっかり忘れていたが。


(妖怪の世界、ねえ)


 信じるか信じないかと訊かれれば、信じると答える。

 あの光景は妖怪たちの仕業だと考えていたから。

 けれど、積極的に会いたいかと訊かれれば、断固拒否する。

 しかも噂通りなら、餌食になるのだ。

 いやだ。

 例えば、目をそむきたくなる非道な出来事が毎日毎日あるような世界でも。

 生きていたいのだ。

 ちっちゃな幸せだって、毎日毎日ある世界なのだから。

 例えば、今日もそうだ。

 柏餅と粽を食べて、菖蒲湯に入るのだ。

 誰が妖怪の世界に行くもんか。


(はい、フラグでした)


 藤、菫、桔梗、竜胆、杜若、菖蒲、文目。

 おどろおどろしい紫ではなく、落ち着いた紫で構成されている世界にいつの間にか紛れ込んでいました。

 はい、どうしましょう。

 パニックになってもおかしくはなかったが、そうはならなかったのは、他にも紛れ込んでいる人たちがいたからだ。

 そこかしこにいる鯉のぼりの着ぐるみを着た人たちを見て、もしかして参加者全員が紛れ込んだのではと思いながら話しかければ。

 おどろおどろしい沼色の豚の仮面を被った人、は、人間の仮面なんて珍しいなと空気砲を吐き出しながら、大笑いしました。

 

「あ、はははは。珍しいですかね」

「おうよ、珍しいな」


 笑いました。それはもう、腹の底から無理やり笑いました。

 笑わなければやっていけません。

 心中でヘルプミーと大叫びしながら、大笑いする中。

 おどろ豚が今年はどいつが秘湯にありつけるんだろうなと会話を続けたので、なんじゃそれはと思いながら、誰でしょうねと答えた。


「おいらは座敷童か、烏天狗、九尾の妖狐のどれかと思っているんだが。そもそも参加しているやつらのほとんどは参加者賞目当てで、本気で目指しているやつらなんて、ごくごく一部だしな。んで、おめえはどうすんだ?」

「おいらは。あのー」

「あ。もう。探したよ」

「お、座敷童」

「どうも、おどろ豚さん」


(おどろ豚って言うんかい)


 勝手につけた渾名がまさか本名だったとは。

 どーでもいいことに驚きつつ、不意に手を引かれた感触がして視線を下げれば、インコの尻尾みたいにぴょこぴょこと揺らす紐で結んだ前髪、糸目、山吹色の浴衣、一本歯下駄が目を引く少女がいた。


「もう。探したんだから、行くよ」

「座敷童、今回は参加しないんか?」

「うん、不参加。次回は出るけどね」

「そうか」

「うん、相手してくれてありがとね。最近こっちに来たのに、あっちこっち勝手に出歩いて。探すのに苦労するよ」

「がっはっは。そりゃあ、大変だな。おい、人間仮面。あんまり座敷童を困らせるなよ」

「はい。申し訳ありませんでした」

「ありがとねー」

「どうもありがとうございました」

「じゃあなー」


 おどろ豚に頭を下げながら座敷童に引っ張られるままに動いていると、いつのまにか、周囲に鯉のぼりの着ぐるみを着た方がたがいなくなっていた。


「きみ、人間、だよね」


 手を離されて向かい合った座敷童にそう言われた瞬間、何が何やらよくわからないが、涙が決壊した。ドバドバと滝のように流れたのだ。


「何がどうしてこうなったのか、さっぱりわからなくて」


 腕にかかる着ぐるみの一部で容赦なく涙を拭いながら訴えれば、よくあるんだよねとあっけらかんと言われた。

 よくあってたまるか。

 反射的に嚙みついた。

 もちろん、心の中で。


「でも大丈夫。一回こっちに来たことがある人はもう来れないようになるから。安心して」

「はあ」

「で、戻る方法はね。これから行われる空泳ぎに参加しなくちゃいけなんだよね」

「そらおよぎ?」

「うん。空泳ぎ。その鯉のぼりの着ぐるみに呪いをかけておいたから、参加できるよ」

「………もしかして、座敷童さん。私のせいで参加できなくなったとか?」


 超第六感が働いたのか。

 思わず言っていた。

 座敷童は前髪の動きを止めて、にんまりと笑った。


「うん。きみに呪いをかけたせいで私の参加権は消えたけど、いいの。私たち組織の決まりなの。気付いた妖怪が人間を元の世界に戻すって。だから気にしなくていいよ」

「すみません」


 謝らなくていいだろう。

 思ったが、罪悪感は拭えなかった。


「ううん。むしろ謝るのはこっちだよ。お祭り騒ぎのこの日はどうしても結界が緩んじゃってきみたちが紛れ込んでしまうの。こっちの責任だから。それに、もう一つ。謝らなくちゃいけないし」

「え?」

「参加してもらう空泳ぎって。あの。うん。まあ。生物それぞれ?きつさは違うんだけど。えーと。どう例えればいいんだっけ。あっ。河童の沼で竜の巻き髭が超旋回する中に突っ込む感じ?」

「………とりあえず気持ち悪そうですね」

「うん」


 座敷童は終始清々しく、恐怖はあるものの、どうにかなるのではと思わせる何かがあった。


「身体に欠損が出たり死んだりすることはないから安心して」

「はあ」

「あ。そろそろ始まる。私は行けないけど。戻れるように補助してって頼んでおいたから」


 がんばって。

 座敷童に肩を叩かれた瞬間、景色が一変した。

 巨大なわたあめ機にでも落とされたのか。

 薄く細い砂糖のわたがぐるぐると周りを駆け走っていたかと思えば、突如として出現した鯉のぼりもわたを追うようにぐるぐると周りを駆け走る。

 ところどころ渋滞しているのか。

 縦に横にと連結している鯉のぼりもある光景。

 あ、これだ。

 思った。

 いつか見た光景。

 少しかすむ青い空の一部を刈り取るように、色とりどりの無数の鯉のぼりが竜巻のように急旋回しながら、天へ、天へと駆け上る。

 きれい、と言うよりも、すこし不気味で。すこし、怖くて。

 身の内に留めて置きたくなくて、家族に話したら、信じてもらえなかった光景。


(まさか、私がその一部に)


 まさかこのまま天に召されたりしないよね。

 危惧しながらも気持ち悪さに身体が限界を迎えたらしく、意識を失った。







「大丈夫かい?」

「ん」


 聞き覚えのある声に導かれるように瞼を開けば、双子の宮司の一人、おばあさんが心配そうに見ていた。

 どうやら石階段は登り切ったらしく、鳥居の端っこ、石畳の上で仰向けになっていた。

 あてててて。

 どこもかしこも成長痛に襲われたみたいに、筋肉や骨が頑張りましたよと雄叫びを上げていた。


「頑張って走ったんだろうね。疲れたね」

「はあ」


 立ち上がれずに石畳に座り込んだまま、おばあさんに札をもらった。

 休んで行けばいいとの言葉に甘えて、一時間くらいぼーっとしながら身体を休めて、へろへろの身体を励ましながら、階段を下りて、和菓子屋に行って、鯉のぼりの着ぐるみを返して、無事に柏餅と粽を購入して、家に帰った。


 家族に柏餅と粽を渡して、ちょっと寝てから食べるねと言って、自室に行く。

 へろへろ身体で、階段なくなれと心底思いながら。


「こーゆーのって、記憶がなくなるんじゃなかったっけ?」


 ベッドに倒れ込んで目を瞑っても、脳に、否、全身に焼きついた光景が駆け巡って、眠れない。

 眠れているけれど、眠れていない。


 わたあめ機から脱出したかと思えば。

 烏天狗の仮面とお狐さんの仮面を被り、鯉のぼりの着ぐるみを着た妖怪に連れ去られて、人間の世界に帰してくれるのかと思いきや、目を閉じていても意味がないくらいに白い発光にさらされて、全身の水分が抜け落ちて乾き切って崩れ落ちたのかと錯覚させられて。

 目を開けていいと言われたら、どこから吊り下げられているのか、縦横無尽に広がる藤の花の、その甘い匂いで、全身が煮えたぎらされて、骨の髄までぐずぐずに溶かされて消滅したのかと錯覚させられて。

 立ち上がっていいと言われたら、大きな煙突がある銭湯があって。

もう用はないと突き飛ばされて。

 負けじと競争する二体の妖怪の駆け走る姿を最後に、また意識が飛んで。


 戻っていたわけだが。




(うん。いや、いいんだけどね。お涙頂戴の展開を望んでいたわけじゃないんだけどね)


「つかれた」

「悪かった」

「うえ」


 聞き覚えがあると言いたくない声が聞こえてきて、いやいや目を開ければ、烏天狗の仮面だけが、ベッドの上に立っていた。


「うえ」

「悪かった」

「うえ」

「悪かったと言っている」

「うええ」

「ゆるすと言え」

「さっさと消えてください」

「………空泳ぎを見た人間を連れて行けば辿り着けるという言い伝えがあってな」

「なんか語り出したし」

「俺は力が増す秘湯の湯を、あいつ、狐の仮面を付けたあいつはその秘湯の湯の守護役に会いたくて、目指していたわけだ」

「はあ」

「だが、俺もあいつもだめだった。説明もなしにおまえを連れ回したから」

「はあ」

「次回も参加が禁止になった」

「はあ」

「ゆるせ」

「はあ」

「聴いているのか?」

「疲れていてほとんど素通りしていますが、もういいですよ。戻れたし。関わりたくないし。わざわざ謝りに来てくれたし。ゆるしますよ」

「おう」

「じゃあ、さようなら。もう来ないでくださいね」

「悪かったな」

「悪かったな」

「もう来ないでって言ったのに」

「あいつと一緒に来たくなくてな。時間をずらした」

「はあ」


 目を瞑って、あ、なんか今度こそ本当に眠れそうだと思ったのだが、当ては外れた。

 今度はお狐さんの仮面が現れた。

 寝かせてくれ。












「ってことが、私の時はあったんだけど」

「大体同じ」

「大変だったね」

「うん」


 あの時の自分と同じく大変な目に遭った子どもに心底同情と感謝をしながら、粽を食べた。

 時が流れても。

 やっぱり、あそこの和菓子屋は大変美味しかったです。











(2022.5.5)



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

五月五日 藤泉都理 @fujitori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ