第一王女の受難

 カリカリカリカリと、何かを書く音が部屋に響く。

 この部屋の主、エミリーは書いている書類が一段落つくのを確認すると、ペンを机に置いて一度椅子の上で伸びをしてから休息をとるために部屋を出た。


 部屋を出てからエミリーは勇者一行が訓練しているはずの訓練所に向かう。

 椿が居なくなり、戦いの果ての死を実感してしまった召喚者たちを労い、励ますのが目的である。


 一部の人は椿の喪失により、戦う気力を失ってしまったものの、ここは椿たちがいた世界よりも命の価値が軽い世界。

 最低限の強さを持っていないと、満足に生きることも出来ない。

 彼らはステータスは既にこの世界の人間族の中でも最上位級だが、戦い方がままなっていないので、まだ強くなる必要がある。


 エミリーが訓練所に着くと、現在も数人の騎士と、召喚者たちが昼食の時間を過ぎたというのに、残っている者は食べに行っていないということだ。


「エミリー様。今日も様子を見に来たのですか?」


 訓練所に来たエミリーに話しかけたのは召喚者の一人である宇都宮 翔だ。


「はい。今日も変わりなくて何よりです」


 本来なら、翔は下心でエミリーに近づいたのだと、誰もが思うものの、翔は付き合っている相手がいるし、翔の性格上、そんな不誠実なことはしない。

 それに、ここ最近あることで協力しあってることもあって、エミリーは翔のことはかなり信頼していた。


「ところで、宇都宮さん。今日も……」


「ええ。上里の情報は得られませんでした」


 上里 椿。

 始めての野外訓練の日、魔王軍幹部と戦闘になり、そして唯一犠牲になった男の名前。


 始めて本当の意味で対等に話せるようになった大切な友人を失ったエミリーと、光と一緒に目の前で共に強大な敵と戦った翔の二人は、再起後協力して椿を探している。


 エミリーは貴族方面から情報を仕入れ、翔は己の特訓も兼ねて恋人である安藤 優花と一緒に冒険者ギルドに登録して、ランクを上げて信頼を得ながら、ギルドから椿の情報を貰おうと画策している。


「もう、二ヶ月ですか……」


 エミリーは椿が居なくなった日から二ヶ月経っても報告が無いことから、希望は持ちつつも、半ば諦めている。

 翔もそんなエミリーを見て、励まそうとするも、何を言っていいのかわからず、黙ってしまう。


「ねえ、かけるん。エミリー様。元気、出して」


 そんな少し暗い雰囲気を出し始めた二人に優花が励ましに来た。

 優花は翔の手伝いをすることもあって、椿の捜索を知っている。

 召喚者には椿のことはあまり話していないので、翔は優花にだけ話しているのだ。


「きっと、大丈夫だよ。根拠はないけど、上里くんの目撃情報が、無いってことは、逆に言えば、死亡報告も、されてないってことだから、まだ希望は、あると思うな」


 優花の言葉に翔はそれもそうだな、と少し希望を持ちながら顔を上げる。


「エミリー様。椿の捜索も、確かに大切です。ですが、聞いた話では三日後には第一王子が帰ってくるとお聞きしました。その準備も必要なのでは?」


 エミリーも翔にそこまで言われて、前を向かないりゆうがなかった。


「そう、ですよね。椿さんは無事だと信じて、明明後日に帰ってくるお兄様をお迎えする準備を整えなければ!宇都宮さんも訓練は程々にして休んでくださいね」


 エミリーはそう言って、翔と優花に軽くお辞儀をすると、城の中に戻って行った。

 その後、翔が全員に呼びかけたことにより、騎士たちと召喚者たちは訓練をきりあげ、汗を拭いてから食堂に向かった。


 一方城に戻ったエミリーは部屋に戻ってから、専属使用人から貰った報告書に目を通して、考え事をする。その報告書の内容について。


「大陸の北部から異様な魔力を感知……なにかの前触れ?ですが、彼処には鬼人族の集落が……なにかと戦った?魔王軍だとしたら……それともなにかの実験?単純に特訓という可能性も……」


 今までなかった異様な現象。その現象に対してエミリーは国の安全のために思考を巡らせるが、


「わかりません。鬼人族はそんな勝手に魔力を放出する種ではありません。なら、なにかと戦った可能性がありますが、問題はその何かが何なのか。それがわからなければ、民に被害が出る可能性も……」


 そこまで考えたところで部屋の扉がノックされたので、「はーい」と答えて入室を促す。


「失礼しますエミリー様。トリスト王子の帰国についてですが……」


「?どうかしましたか?」


「ユツティーツ様が明日から一週間程国家に秘匿された転移魔法陣を用いて獣人国アルテナに訪問する予定が出来ましたので、現場の指揮はユツティーツ様ではなく、エミリー様にお願いしたいとのことです」


 父が他国への訪問。それは珍しいことではないが、態々この時期に、と。間が悪いことに内心愚痴を吐きつつ、


「わかりました。お父様がいない分、私がしっかりと現場の指揮をとらせていただきます」


 折角兄が帰ってくるのだから、と、気合いを入れてその仕事を引き受けた。


「わかりました。それではユツティーツ様から引き継ぎ内容です。こちらに目を通してください」


 そう言われて、侍女に渡された資料に目を通す。

 必要なものは全て揃えているらしい。

 ならばそれをどうするのか、細かい修正をいれつつ、エミリーは兄が帰ってくるのに備えることにした。


「折角なら、勇者一方様全員でお兄様を出迎えたかったのですが……」


 肝心な人物、椿が居ない。それだけでエミリーの心が締め付けられる。

 そんなエミリーの顔を見て、侍女も悲しそうな顔をする。


「本当に、どこを遊び回ってるんですか、椿さん。はやく、帰ってきてくださいね……」


 誰にも聞こえないように、そう呟いた。

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