第52話 因縁
真誠は大きな溜息をついた後、藤李の目の前に屈み込み、藤李の脇に手を差し入れて抱き上げた。
足が地面から離れ、浮遊感があるものの、身体を支えてくれる腕は逞しく、落ちそうな感じはない。
「し……尚書っ……尚書っ!」
ぎゅっと真誠の首に腕を回し、肩口に額を擦り付けた。
安堵の涙がぼろぼろと零れ、藤李は真誠に縋ってすすり泣く。
「君ね、こういうのは目が届く所でしてって言ったよね? 探したんだけど」
先日、九蘭で説教された時のことを言っているのだろうか。
しかし、今回は自分から陥った事態ではない。
「す……すみま……せっ……ひぐっ……」
嗚咽を堪えきれない藤李の背中をポンポンと優しく叩き、不安を紛らわすように頭を撫でてくれる。
その温もりに藤李は真誠の存在を実感し、ようやく胸を撫でおろすことが出来た。
「真誠様! 藤李さん! あぁ、無事で良かった」
森の中から現れたのは獏斗だ。
「藤李! 藤李!」
それから遅れて央玲とも再会できたことに嬉しさが滲む。
「藤李! 大丈夫か⁉」
央玲の問い掛けに藤李は目元を拭って頷く。
真誠はそっと藤李を地面に下ろし、身体を支えてくれる。
「一体、何が起こっているんだ?」
「分からない……でも……」
央玲と同じく、藤李も何が何だか分からないのだ。
ただ、一つ言えるとすれば藤李は鈴羽に襲われそうになったということだ。
「っ……ごほっ……彼女を返せよ……白真誠っ……!」
真誠に吹き飛ばされた鈴羽がゆっくりと身体を起こし、声を発する。
口から血を吐き出して、口元を拭いながら真誠を睨みつけている。
「やっぱり、君もそうか」
意味深な発言をする真誠に藤李だけでなく、全員が首を傾げた。
「君の方が記憶が戻るのは早かったみたいだね」
「あぁ……そうだ。俺は彼女と出会ってから断片的に思い出しているからな。あんたはここ最近だろ?」
二人だけに通じる会話が繰り広げられ、藤李は顔を顰める。
「あんたに記憶がなくて、彼女に全く気がなければ放っておいても良いかと思ったんだが…………やっぱりあんたはダメだ。今回は以前のようにはならない。俺が彼女を救ってみせる」
鈴羽の言葉に怪訝そうな顔をするのは央玲だ。
「おい、どういうことだ? 記憶? 以前? 藤李を救う? 意味が分からない」
「以前…………」
以前とはどういう意味だ。
疑問に思う藤李に頭がズキズキと痛みだす。
ある光景が脳裏に浮かび上がる。それは血に濡れた自分の姿だ。
そして今まで見たどの夢よりも辺りが鮮明に見えていた。
視界の先に誰かが映る。
血に濡れた剣を持ち、愕然とした表情を浮かべるのは男の姿に藤李は驚きを隠せない。
それは今と同じ姿の鈴羽の姿だ。
「うっ……」
頭を押さえて苦痛に耐える藤李に真誠は言った。
「無理に思い出さなくてもいいよ」
真誠は藤李の頬を撫で、優しい眼差しを向ける。
「そう言って自分の犯した罪を隠すつもりか⁉」
棘のある言葉が真誠に向けられた。
「君もしつこいよね。望みがないのは明らかなのに、いつまで藤李に付き纏うつもり?」
「お前にだけは言われたくない! 元はと言えば、お前の横恋慕せいだ! 俺達は結ばれることが決まっていた! 身分と地位を利用し、汚い手段で俺達の仲を引き裂いた!」
俺達ってどういうこと?
私は鈴さんとそんな中になった覚えはない。
「藤李お前……」
「身に覚えはないわよ」
いつの間にそんな仲になっていたんだ? と疑惑の視線を浮かべる央玲に藤李は断言する。
「身に覚えがなくても無理ないよ。彼が言ってるのは前世の記憶だからね」
真誠の言葉に藤李は衝撃を受ける。
「は? 前世?」
藤李の代わりに声を出したのは央玲だ。
「僕らは呪印の影響を受けて同じ世を巡っている。君にも、その記憶の一部があるんじゃない?」
真誠の長い指が藤李の呪印の刻まれた場所を指して言った。
その言葉に藤李は目を見開く。
意味深な夢、時折頭痛と共に見える光景はその記憶の一部だと思えた。
「呪印の影響……随分と他人事みたいに言うんだな。元はと言えば、お前が刻んだ呪印だ!」
憤りをぶつけるように鈴羽は怒鳴る。
「藤李さん、貴女に刻まれた呪印の術者はこの男だ! この男が貴女を苦しめる張本人だ!」
鈴羽は真誠を指し、睨みつける。
衝撃的な発言が続き、藤李は混乱して理解が追い付かない。
「何だって⁉」
藤李よりも先に声を上げたのは央玲だ。
その声にも憤りが滲み、今にも真誠を殴りそうな勢いで身を乗り出している。
「尚書……嘘ですよね……?」
俄かに信じがたい話に、藤李は恐る恐る真誠に訊ねた。
「本当だよ」
躊躇や淀みはなく、真誠ははっきりと口にした。
「貴様っ! 一体どういうつもりだ⁉」
真誠の胸倉を掴んで、迫るのは央玲だ。
「この呪印のせいで藤李がどれだけ傷付いたと思ってるんだ⁉」
兄は呪印のせいで傷付く妹をそばで見てきた。
この忌まわしい印さえなければと、何度思ったか分からない。
「止めて! 今はそんなこと言ってる場合じゃないんだって!」
藤李は真誠に掴みかかる央玲を引き剥がし、宥める。
「この男は貴女を手に入れるために汚い手段を使い、仕舞には貴女の魂を呪印で縛りつけたんだ! 最低な男だ! そんな男に彼女は渡さない!」
すると真誠は鈴羽にと対峙するように前に進み出て、冷ややかな視線を向ける。
「自分が清廉潔白みたいな口振りだね。自分のものにならないと分かったら呪術が掛かった剣で彼女を刺し殺したのは君じゃない? 今みたいに自分勝手な欲望を押し付けて、彼女を所有物のように扱ったのは君の方だ。あぁ、もしかして都合の悪い記憶は戻ってないのかな?」
真誠の言葉に鈴羽は押し黙る。
「私……やっぱり、殺されたんですね……」
藤李は真誠の横に並び、呟く。
それは先ほど見えた光景のことだろう。
私は確かにこの森で鈴羽に刺されたのだ。
「思い出さなくていいって」
気遣う真誠に藤李は首を振る。
「むしろ、ちゃんと知っておきたいです」
過去に何があって、今こんな状況に陥っているのか、理解しておきたい。
「分かった。後で話そう」
そう言って真誠は再び鈴羽に向き直る。
「はっきりさせておくけど、密猟の主犯は君だね。赤家と手を組んで僕を追い落とし、多額の金銭を得る手段にしたかったんでしょ。財力で白家の僕に敵うはずないからね」
王族の姫を娶るなら財力は必須だからね、と真誠は付け加えた。
「そんなことのために…………」
藤李は怒りを通り越して言葉を失う。
そのために、何人もの子供や女性が命を落とし、何匹もの虎が殺され、売り飛ばされたのだ。
残された遺族の悲しみや、仲間や親子を失った虎達も無念だろう。
藤李は悔しさで胸が痛んだ。
「あの法力石も君が作ったんでしょ。その剣と同じ気配がする」
冷ややかな視線が鈴羽と彼が手にする剣に注がれる。
濁ったような黒い靄は確かに、虎や回収された法力石の濁り方に似ている。
「呪術も法力石も仕事も、お粗末なんだよ。君相手に彼女を奪われる気がしない」
挑発ともとれる真誠の一言に、鈴羽の纏う空気が一変する。
「黙れ! 黙れ! 黙れ!」
怒りが頂点に達した鈴羽が法力による気を放つ。
「藤李、君は下がって」
真誠は藤李を後ろに下がらせて、腰の剣を引き抜く。
銀糸の髪が目の前でなびくのを見れば、鈴羽が放つ法力の強さを感じ、藤李は胸が不安でざわつく。
そして鈴羽が真誠を目掛けて向かってくる。
「藤李、離れろ」
「でもっ! 尚書が!」
真誠から強引に引き離されて藤李は央玲と共に離れた場所に避難する。
「藤李さん、大丈夫です! 貴女が離れてしまえば!」
獏斗の言葉に百合が見たという夢の内容を思い出す。
真誠は女性、つまりは藤李を庇って死ぬのだ。
それであれば、なるべく離れた方がいい。
そう思い、視線を真誠と鈴羽から外した。
しかし、真誠の方を向いたままの獏斗の表情が凍りつく。
「え?」
藤李は異変に気付き、後ろを振り返る。
目の前に映る光景に藤李は唖然とした。
そこにあったのは鈴羽の剣に貫かれた真誠の後ろ姿だった。
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