第51話  藤李を欲する者


「大丈夫か⁉」


 突如、現れた鈴羽の言葉は藤李に向けられた。


「鈴さん、どうしてここに⁉」

「話は後だ!」


 こんな所にいるとは思わず、藤李は目を丸くする。


「おいっ! お前は……ぐああぁぁ」


 何かを言いかけた男が鈴羽に切られ、呻き声を上げながら地面に倒れる。


「くそっ! 聞いてないぞ!」

「どういうつもりだ!」


 鈴羽の顔を見て男達が顔色を変え、逃げようと背を向ける。

 しかし、逃げようとする男達の背中を鈴羽は躊躇わずに切りつけた。


「ぎゃあぁぁぁ!」

「た、たすけ…………ぐあぁぁっ!」


 バタバタと倒れる男達を前に藤李は背筋が冷えた。


 鈴羽の様子に違和感を覚える。


「鈴さん、もういいから! 止めて!」


 地面に這いつくばることしか出来なくなった男達に更に追い打ちを掛けようと剣を振り上げる鈴羽を藤李は止める。


「もう、この人達は動けない。それで十分だから」

「貴女を襲おうとした連中だ」

「だとしても貴方が彼らの息の根を止める必要はない」


 藤李は鈴羽に手を汚して欲しくない。

 彼らを裁くのは専門職に任せるべきだ。


「私達の裁量で人の命は扱えない」


 そこまで言ってようやく鈴羽は剣を納めた。

 そして藤李の手を取って歩き出す。


「待って、向こうに玲がいるの」

「知ってるよ、あれだけ暴れてれば。今近づくと巻き込まれるかもしれない」


 一先ずここを離れよう、そう言って鈴羽は藤李の手を引いて森の中を進み始める。


 何だろう、この違和感……。


 きつく握られた手から焦りのようなものを感じる。


「鈴さん、どこへ行くの?」


 道から逸れて森の奥へと向かう鈴羽に藤李は問いかける。

 先を歩く鈴羽の表情が窺えず、藤李の不安は加速する。


「…………貴女を安全な場所へ連れていく」


 妙な間を開けて鈴羽は答えた。


「安全な場所って?」

「…………」


 藤李の質問に鈴羽は答えない。

 それどころか、歩調を速めて藤李の手を強引に引く。


 こちらを振り向くこともないまま、引き摺るように歩く鈴羽はいつもと明らかに様子が違う。


 何だか怖い。


 この言葉が一番しっくりきた。

 心臓が不気味なほど大きく跳ね、藤李に警鐘を鳴らしている。


「待って!」


 藤李は鈴羽の手を振り解き、立ち止まる。


 強く握られていたせいか、手は血流が悪くなり、冷えて白くなっていた。


「さっきの男達のこと、何か知ってるの? どこへ向かうつもり?」


 冷静になってみれば、さっきの男達は鈴羽を知っているような口振りだった。

 それに、法術に関しても、藤李が法術を使えないことを知っていた。


 芙陽姫の手先かと思ったが、彼女には直接そのことを伝えてはいない。

 そして今も森の奥深くへと藤李を連れて行こうとしている。

 思い返せば、央玲と藤李が乗って来た馬車の御者が消えていた。


 駿家から借りた馬車と御者だ。


 嫌な推測が脳内を駆け回り、藤李の不安と恐怖を駆り立てる。


「鈴さんなのね? 私達をあの男達に襲わせたのは」


 その言葉に鈴羽はゆっくりとこちらを振り向く。


 どうか違うと言って欲しい。

 藤李は強く祈った。


「……全く、貴女は変に勘がいいから困るんだよ」


 願いを込めた藤李の言葉は呆気なく裏切られてしまう。


「どうして? 理由を言って」


 央玲から自分を引き剥がし、こんな所まで連れて来た理由があるはずだ。


「言っただろ? 貴女を安全な所まで連れて行くためだ」


 ぎらぎらと目を血走らせて鈴羽は言う。


「私が聞きたいのは私達を襲った理由よ」

「玲がいると困るからだ。貴女をあの男から守るにはこの方法しかない」

「言っている意味が分からない」


 央玲がいると困るって何? あの男って誰のこと?


 鈴羽の言葉の意味が分からず、藤李は顔を顰める。


「このままじゃ、貴女はずっとあの男に縛られ続ける。あの男から解放するにはこうするしかない」


 そう言って鈴羽は腰に下げた剣を抜いた。


 自身の手の平を切りつけ、剣に血を吸わせると黒い靄のようなものが剣に纏わりつき、その剣を藤李に見せつけるように掲げた。


「呪術……使えたのね」

「ああ。誰にも言ってないから」


 剣に纏わせた呪いを藤李に使うつもりなのだろうか。


 だけど、一体何のために?


 さっきから鈴羽と藤李の話はどうにも噛み合っていない。


「大丈夫だ。これからは俺がついている。ずっと俺だけのものだ」


 鈴羽の瞳に映る歪んだ欲望に藤李は背筋が震えた。


 逃げないと!


 藤李は鈴羽に背を向けて駆け出す。


「待て!」


 案の定、鈴羽も藤李を追って走り出した。


 どうして? 一体何がどうなっているの⁉


 後ろを振り返れば、目を血走らせた鈴羽が藤李を追ってきている。

見知った人がまるで化け物のように感じてしまい、藤李は恐怖から眦に涙を浮かべる。


彼の言葉の意味は何?


本当に意味が分からない。


 藤李は混乱する頭を巡らせるが、考えすぎると足がもつれそうになる。


 とにかく今はあの危険な男から逃れなくては。

 唯一、分かっているのは自分の身の危険だ。


 無我夢中で地を蹴り、可能な限り早く足を動かした。

 しかし、足場の悪い森の中は走りにくく、張り出した木の根に足を引っかけてしまった。


「きゃあっ」


 藤李はそのまま転倒し、ちょうど下り坂になっていた所を転がり落ちる。


 打ち付けた身体がズキズキと痛む。


 何せ、今日で転ぶのは二回目だ。


 開けた場所だと思ったら大きく外れたはずの道に戻って来ていた。


 藤李を襲おうとした男達は既に姿がなく、血の跡だけが残っている。


 痛む身体を起こそうとした時、背後に嫌な気配が膨れ上がり、振り向けば剣を振り上げた鈴羽が立っていた。


「怖がらなくても大丈夫だ。安心して、俺に任せてくれ」


 子供を宥めるような口調で鈴羽は言う。


 その異常な雰囲気に藤李は恐怖で後退る。

 刀身が鈍く光り、藤李を狙っていた。


「意味が……分からないわ」


 何も安心できない。


 この男の言葉と行動の全てが理解できない。


 藤李は泣き出しそうになるのをぐっと堪えて鈴羽を睨みつける。


「元は俺のものになるはずだったんだ。それをあの男が俺から奪ったんだ。奪われたものを奪い返すだけだ」


 異常者の目で鈴羽は藤李に微笑んだ。


 いつも向けられていた視線はこんなにも不気味で怖かっただろうか。

 いつも藤李に向けられていた微笑みの裏にはこのような異常な感情を隠していたのだろうか。


 恐怖で膝が笑い、身体が凍りついたかのように動かない。


「何を言っているのか理解できないけど、これだけは言っておくわ」


 藤李は精一杯の虚勢を張り、鈴羽を睨みつけた。


「私はものじゃない! 誰を選ぶかは私が決める。そして、少なくともそれは貴方じゃない」


 それだけは断言できる。


 藤李は鈴羽を見据えて、叫ぶような声ではっきりと主張し、鈴羽を拒絶した。


「どうしてだ?」


 藤李の言葉に、鈴羽は大きく目を見開いて驚きを隠さない。

 その表情から藤李の言葉に大きな疑問を持っているように見えた。


「やっぱり、あの男のせいか。ああ……可哀想に。あの男に身も心も穢されて……」


 そう言いながら、鈴羽は剣を地面に放り投げ、この状況でバサッと羽織を脱ぎ捨てて服の襟を大きく寛げる。


 嫌な予感が駆け抜け、余計に身体が震えてしまう。


「何をするつもりなの……?」

「決まってるだろ。貴方に俺を刻み込むんだ……あの男のことなんてすぐに忘れさせてやれる」


 にじり寄って来る鈴羽の瞳の奥に歪んだ欲望が揺れている。

 ゾッと背筋が冷え、恐怖と嫌悪感が膨れ上がり、吐き気を催した。


「いやっ……来ないで!」


 地面に尻餅をついたまま、藤李は叫ぶ。

 手を伸ばせば届きそうな距離まで鈴羽は迫っていた。


「大丈夫、怖がらないで。すぐに済む」

「相変わらず自分勝手な男だね。だから嫌いなんだよ」


 突然、声が湧く。

 そう思った瞬間、目の前に立っていた鈴羽が真横へ吹き飛んだ。


「ぐあっ」


 鈴羽は派手に地面を転がり、這いつくばってこちらを睨みつけている。


「全く、少し目を離すとすぐこれ? 本当に危険な目に遭うのが得意だね」


 聞き馴染んだ声と嫌味が頭の上から降ってくる。

 嫌味を言われる度に腹を立てることも多かったのに、今はその嫌味を聞いてこんなにも安心している自分がいた。


 この人の存在でこんなにも安心する自分がいるなんて思わなかった。


「しょっ……尚書っ……」


 藤李の前に現れたのは殺気を滾らせた真誠だった。




 

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