第48話 自覚した気持ち
これはあの夢の続きだろうか。
身体が重くて視界が霞む。
衣は元の色が分からない位まで大量に血を吸っていた。
藤李は誰かの腕に抱かれている。
『離さないよ』
藤李を抱く者がそう言った。
その声には憤りと苛立ちが混ざっている。それなのに、藤李の頬に触れる手はとても優しく、壊れ物を扱うように丁寧だった。
そうかと思えば、抱きしめる腕の力は強く、胸板に押しつぶされそうだと感じて苦笑する。
『許さないから』
その言葉がとても嬉しくて、おかしくて、そして幸せな気分になる。
自分は血まみれで、間もなく死ぬというのに、何でこんなにも満たされているのか分からない。
幸せの余韻を残して藤李は目を覚ました。
時は夕暮れで、そこは既に白家の屋敷ではなかった。
天井を見た所、寝ている間に白家から駿家に運ばれたようだ。
またあの夢か。
夢と言えば、百合が見た真誠が死ぬ夢と少しだけ似ている気がする。
藤李は自分が死ぬ夢だ。
百合が見たのは真誠が女性を庇って死ぬ夢である。
似ていて非なるものではあるが、少しだけ気になった。
そんなことを考えていると央玲が部屋に顔を出す。
「俺達は明日、王都へ戻る」
王族としての本来の目的は神獣の住まう聖域の調査だ。
そちらは既に解決している。
密猟と攫われた子供達に関しては白家が責任を持って引き受けると話がついていると央玲は言う。
「何か気になるのか?」
「尚書、大丈夫かしら。密猟の主犯は尚書に罪を被せようとしているのに……」
九蘭での男達の会話を思い出し、藤李は不安になる。
「心配するな。それに関しても、俺達は瑠庵に報告する必要がある」
確かに。何か起こった時のためにも瑠庵には説明をしておく必要がある。
「鈴さんはどうしている?」
酔っていたとは言え、真誠に対しての失礼な振舞を藤李は遺憾に思う。
そして真誠に向けられた言葉は藤李にも言えることだ。
自分から昨晩のことを掘り返すことはしないが、どうしているのか気になった。
「鈴なら、急ぎの用事ができたと言って王都に向かったぞ」
「王都に?」
「あいつも忙しいんだろ。金の取り立てに」
忘れていたが、鈴羽は金貸しだ。取り立ては厳しいと聞く。
「芙陽姫は私が寝ている間に尚書に当たり散らかさなかったかしら……」
冷静になれば、自分があそこで突っかかったことによる、後々の迷惑を考えていなかった。
私の代わりに尚書が彼女に怒鳴られたり、両家の婚姻に差し障るようなことになったらどうすればいいのか。
「あの姫は父親から王都へ呼ばれて、あれからすぐに白州を出たぞ」
「あぁ……両家の婚姻破断が目の前に……」
あの姫がこの件を父親に黙っているはずがない。
確実に婚姻に影響が出るではないか。
「尚書は喜ぶだろうな」
「婚姻は本人同士だけの問題じゃないでしょ」
「あの姫は赤家の姫といっても分家筋だ。それも末端のな。元々、白本家の直系であるあの男とは釣り合いが取れてない。正直、何で婚約が成立したのか不思議なぐらいだ」
それを聞いた藤李は央玲と同じく違和感を覚える。
「確かに……私は尚書が彼女のことが大好きで決まった婚約かと思ったけど……」
そうでもないみたいだし。
昼間の一件で互いに好意がないのは何となく分かった。
真誠が直接、芙陽に何かを言ったわけではないが、そばにいて真誠から感じたのは芙陽への嫌悪感だ。
藤李はほっと胸を撫でおろす。
ん?
何故、今、私はほっとしたの?
自問に対して藤李の中にとんでもない答えが浮かび上がる。
いやいやいや、私はそういうのじゃないって。私にとっては単なる上司だから。
そしてふと、九蘭での出来事を思い出す。
身体を引き寄せられたり、長椅子に押し倒されたことを思い出して顔が熱くなる。
耳を甘噛みされ、息を吹きかけられたり、仕舞には破壊力抜群のこの一言だ。
『君が相手だと思えば、その華奢な身体を揺すって、上擦った声を聞いてみたい気もする』
蠱惑的な笑みを浮かべて迫る真誠の顔が今でも忘れられない。
「藤李、聞いてるか?」
央玲の声に藤李ははっと我に返る。
「え、ごめん、何?」
「顔が赤いが熱が出たか?」
疲労による発熱を疑う央玲に藤李は首を振る。
「いや、大丈夫! 問題ないわ!」
藤李は着替えると言って央玲を追い出し、扉の前で蹲る。
「いや、そんなことはないわ。あんな口の悪い男を……」
思い出せ、私。戸部に来たばかりの頃、散々、嫌味を言われて無視されて、怒られて、歯を食いしばり、唇を噛み、私に呪術が使えればと、思ったじゃない。
それでも思い返せば、叱責の言葉よりも、藤李を心配して呆れた声を出す真誠の方を思い出す。
藤李の無鉄砲な行動を窘め、震える藤李を抱き寄せて涙を拭う真誠の指は優しかった。
真誠のことを考えれば考えるほど、心臓の鼓動が大きくなるようで落ち着かない。
「何で尚書なのよ……」
自分の気持ちを自覚してしまい、大きな溜息をつく。
火照りの引かない身体を抱きしめて、藤李は深く項垂れた。
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