第44話 神獣白虎と藤李の呪印

「えぇっ⁉ 尚書⁉ どこですか⁉」


 先ほどまで隣に立っていた真誠がいない。


 真誠だけでなく、檻も、虎もおらず、人気のない森が広がっている。

 今までいた場所よりも静かで、空気が澄んでいるように感じるのは気のせいだろうか。


 肌に触れる空気は清々しく、空から降り注ぐ木漏れ日は温かい。 

 人の気配のない森の中で、藤李は白虎と二人きりだ。


『礼を言わねばなるまい。巫女の子よ』


 頭の中に声が流れてくる。


 目の前の神獣の言葉だと理解し、藤李は反射的に膝を着いて頭を下げた。


「人間の非道な行為の数々、人間を代表してお詫びします」


 藤李は続けた。


「王家は何十年もの間、聖域への巡礼を疎かにし、軽んじた結果、この森を侵すことに繋がってしまいました」


 王家がきちんとこの森を丁重に扱っていれば、人間が気安く密猟しようなどと思わなかったはずだ。


「王家の者として深くお詫び申し上げます」


 藤李は地面に額が着くほど深く頭を下げた。


 全ては王家の責任だ。

 この件は瑠庵に報告し、森の尊さを説き、今後の扱い方を考えなくてはならない。


『巡礼ならあったぞ』

「…………え?」


 神獣白虎の一言に藤李は間の抜けた声を出す。


 あったの? あれ……私の聞いていた話と違う気がする。


『王族の巡礼により、神獣は法力を分け与えられる。それが古の巫女と交わした契約だからな』


 一年に一度、巫女の血を引く者の特別な法力と分け与えることを条件に神獣たちはこの国を守護しているのだと言う。


「では……えっと……」


 自体が飲み込めない。


『どうにも巡礼に来た者達が気に入らない。気に入らない者の法力は美味くもなんともないからな』


 えり好みしていたら長い年月を経て、力が枯渇し、聖域にまで人間の侵入を許してしまったと神獣は語る。


「えり好み……」


 流石、神獣様だ。好かぬものはいらぬと気位の高さを感じる。


『そなたは気に入った。王族でありながら土下座して詫びる者は今までおらなかったからな』


 愉快、愉快、と白虎は楽し気に言う。


『では差し出せ。巫女姫よ』


 そう言うが藤李は困惑する。


「誠に申し訳ないのですが、私はほとんど法力を持っておりません。先ほど法力石を少し壊しただけで眩暈を起こすほど微々たるものでしかないのです」


 少し法力を使っただけで身体が悲鳴を上げるのだ。


 差し出したいのはやまやまだが、分け与えてやれる分はない。


「少し時間を頂ければ、近くにいる兄を連れて参ります。彼であれば十分な法力を得られるかと……」


『法力がないなどと、おかしなことを言う』


 ないものはないのだから仕方ない。


「私は生まれながらほとんど法力を持ちません。法術も治癒術がほんの少し使える程度で……」


 あの虎の傷痕すら治してあげられないのだ。

 本当に、力のない自分が嫌になる。


『私には見えるぞ。そなたは稀なる強大な法力を持っておる』


 その言葉に藤李は目を丸くする。


「いえ、そんなはずは……」


 そんなはずない。


 だって術もろくに使えないのだ。

 法力を少し放つだけで息が上がり、眩暈を起こし、時には気を失う。


 そんな自分が強大な法力を持つはずがない。


『ふむ。その呪印のせいだな』

「え?」


 呪印?


 藤李は咄嗟に呪印の刻まれた左胸に手を伸ばす。


『その呪印がそなたの法力を封じている。しかし、強力なそなたの法力を完全に抑え込めず、中途半端に術が使えるのであろな』


 その言葉に藤李は唖然と立ち尽くす。


 一体、何故にそんな呪印が?

 誰がそんなことをしたのか?


 長い間、この呪印が何のために、誰に刻まれたのかずっと疑問に思っていた。

 まさか、自分の法力を封じるための呪印だったとは夢にも思わなかった。


『術者の強い想いを感じるな』

「これは……生まれながらにあったと聞きます」


 生まれながらに刻まれた呪印、術者の想いとは一体何なのか。

 私が一体、何をしたというのだろう。


『術者はそなたの近くにおるぞ』

「ほ、本当なのですか? 誰か分かるのですか?」


 藤李は白虎に訊ねる。


『ふむ。しかし、そなたは自分から縛られることを望んだようだが』

「…………は?」


 縛られることを望んだ? 自分で? そもそも縛るとは何のことだ?


 訳が分からず、藤李は混乱するばかりだ。


 すると、脳裏に浮かび上がるのは夢の続きのような光景だ。


 互いの指を絡ませるように握りしめられる両手、重なり合った身体、甘い時間に浸り、深い場所まで落ちていく。

 乱れた髪を払い、揺れる視界の中で互いを求め合う光景は淫らで、それでいて幸福に満ちている。


 びりっと胸元に刺激が走り、藤李は我に返った。


『ほう、どうにも私の結界を破ろうとしているらしいな』


 空間が微かに揺れていると、白虎は言う。


『姫、名は?』

「藤李と申します」


 白虎は満足そうに頷き、座り込んだままの藤李に身体を摺り寄せる。


『竜の子に飽きたならば私の元に来い。あやつらは好かん。そなたであれば歓迎しよう』


 竜の子というのは法力を持つ人間のことだ。

 この国を作った七匹の竜が持っていた力が人と交わったことにより、人の子が受け継いだとされている。


 ぐりぐりと猫のように額を藤李に擦り付ける様子はとても可愛らしい。

 いつまでもこのもふもふを堪能していたいと思う。 


 すると、白虎の身体の傷が瞬く間に癒えていく。

 傷は塞がり、痕は消え、毛並みも艶やかに輝き、より神々しい姿へと変化した。


「これが……本来の姿なのですね……」


 感嘆の声が零れる。

 そして同時に酷い倦怠感に襲われ、眩暈が起こる。


『―――の男に気をつけよ』


 何? よく聞こえない。


 その言葉を最後に藤李は意識を手放した。

 

 

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