第39話 独り言
微睡みの中で視えたのは東屋だ。
美しい椿が咲く庭を眺めながら、藤李は誰かの隣に座っている。
ここは白家の……?
芙陽と対峙した、あの東屋だろうか。
そこに芙陽はおらず、藤李は誰かと穏やかで心落ち着く一時に浸っているようだ。
時折、怒ったり、拗ねて見せたり、藤李は隣にいる人物に懸命に話し掛けている。
隣りに座る人物の反応は薄く、藤李はそれが気に入らない。
もういい、そう言って唇を尖らせて顔を背けるとぐいっと肩を抱き寄せられて離れることを許してはくれない。
何なの、もう。
相手の真意が分からず、藤李はもやもやしている。
しかし、急に降りてきた額への口付けと優しく髪を梳く手付きに胸の靄は綺麗さっぱりと払われて、どうでも良くなってしまう。
頭に添えられていた手が頬まで滑り、上を向くように促される。
これからされるであろう行動を予想し、どきりと心臓が跳ねた。
それがどうしようもなく嬉しくて、甘美なご褒美だと感じた。
「っ……夢かっ⁉」
藤李は心臓の鼓動が大きいまま、寝台から飛び起きた。
一体、何の夢よ……?
自分が誰かと幸せな時間を過ごす甘い夢を見ていたことに藤李は戸惑いと羞恥心で頬を赤くする。
「まさか、私にそういう願望が……?」
いやいやいや……ないとは言えないけども。
相手はどんな人だっただろうか。
相手の顔には靄が掛かり、はっきりと思い出せない。流石、夢。
昨晩、あの後は駿家の邸に戻り、疲れていたので早々に休んだ。
真誠のことが気掛かりではあったが、酷く疲れていたため、横になった瞬間に意識は飛んでしまい、気付けば今に至る。
藤李は服を着替え、鏡台の前に座り、自分の胸元を凝視した。
「えぇ⁉」
鎖骨の下、昨日真誠が半ば強引に口付けた場所には小さな赤い花が咲いている。
「これが、尚書の守印……」
白い肌に映えた赤い花は小さくもその存在を強く主張し、これに気付かず、一晩見せびらかしていたのかと思うと顔から火が出そうだ。
守印を刻むということは術者にとって刻まれた者が特別であるといっているようなものなのだ。
守印を付けてまで小間使いとしての藤李を必要としていてくれるのかと思うと、何だか温かいものが胸に込み上げてくる。
尚書……私、これからも精一杯、戸部に尽くします。
心の中でそっと誓いを立てるが、同時に疑問も浮かぶ。
「何で尚書は私に守印を刻めたのかしら?」
もしかして知らぬ間に呪詛が解けてるのか?
そう思い、左胸を確認するが黒い花と黒い蔦は健在である。
「解呪したわけではないのに、何故?」
帰りの馬車の中で央玲との会話はそれで持ち切りだった。
きつく言い過ぎたのか鈴羽は終始無言で項垂れたまま帰って早々、部屋に引き籠ってしまったために、会話をしていない。
『あんまり責めてやるなよ』
そう言ったのは央玲だ。
反省しているならこれ以上責めることはないが、真誠と一緒に藤李もそれなりに傷付いたのは事実だ。
どこか折を見て尚書に謝って欲しいな……。
無理そうだけど。性格的に。
「それにしても、いきなり血を吐くなんて……大丈夫かしら」
突如、吐血した真誠を見て身体が震えた。
このまま、この人がいなくなってしまうんじゃないかという恐怖が膨れ上がり、何も出来なかった。
もっと早く動いて、彼のために出来ることがあっただろうに。
藤李は自分の至らなさを反省する。
「それにしても、尚書は一体、誰を呪ったのかしら?」
決して感情的に暴力を振るったり、怒りに任せて人を呪うような人ではない。口は悪いが冷血漢ではないのだ。
きっと、彼の逆鱗に触れた人がいたのね……。
血を吐いてまでも呪いたかった相手が真誠に何をしたのか、どんな人物なのか少しだけ興味がある。
恨みか、嫉妬か、裏切りか、原因は何だったのだろうか。
いやいやいや、私が首を突っ込んでいい話じゃない。
藤李は顔を覗かせた好奇心を頭を振って掻き消した。
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