第37話 守印

部屋に飛び込んで来た央玲とその後すくに酒臭くなった鈴羽がやってきて四人で状況を話し合った。


「とういう訳です」


 藤李は自分が見聞きしたことをみんなに話した。


 子供に手を出す変態がいたこと、その子供が法力石で自我を奪われていたこと、虎の密猟に関与していること、会話の中で真誠に罪を擦り付けるつもりであるということが分かったこと、危なくなって真誠に助けてもらったことを話した。


 殴られて首を絞められたことに関しては央玲が過剰に心配するので伏せておくことにする。


 危険な目に遭ったと知れば、兄に外出の自由を奪われかねない。


 尚書に告げ口されたら終わりだけど……。


 藤李は真誠を見やるが、特に内容を補足されることはなくほっとする。


「男一人は白家で預かってるよ。一人は逃げられたけど」


 天楽という体格のいい男は捕えられたが、魯雁はあのまま逃げおおせたという。


「自我を奪い、狂わせる……もしかしたら子供の誘拐も関係があるかも

しれないな」


 央玲の言葉に藤李は頷く。


「あまり考えたくはないんだけど……魯雁は宇凜を『餌にするのか』って言ったのよね。その、本当にあんまり考えたくないんだけど……」


 一度してしまった嫌な想像が頭から離れないのだ。


「子供を虎をおびき寄せる餌にしている可能性があるってことね……大人と違って子供は抵抗も少ないし、法力石を子供に持たせれば逃げられることもない」


 藤李の脳裏によぎった想像をそのまま全て真誠が口にする。


「そしてそれが聖域付近の森で行われているということか」


 虎へ聖域付近の森に生息しており。その森は白家の敷地と隣接している。

 白本家の目と鼻の先で起こっているのだ。


「なるほどな。あんたはどう思うんだ、白家の若様」


 珍しく荒っぽい口調で鈴羽が口を開く。


 酔っているのだろうか。


 人に突っかかるような鈴羽は見たことがない藤李は少しだけ驚く。

 その相手が自分の上司なので尚更だ。


「どうって?」

「自分が悪事の片棒を担がれそうになってることについてだよ」

「別にどうとも思わないよ。貴族同士の足の引っ張り合いなんて今に始まったことじゃない」



 特別表情を崩さない真誠に鈴羽は面白くなさそうな顔をする。

 何だかピリピリした部屋の空気に息が詰まりそうだ。


「もちろん、ただでは済まさないけど」

「男一人、取り逃がしておきながら随分と大きいことを言うんだな」


 そう言って鈴羽は真誠に嫌味を言う。


 藤李は雲行きの怪しい会話だなと思い聞いていると、真誠と視線が交わる。

 そしておもむろに手を伸ばし、藤李の左頬を優しく撫でた。


その光景を見て鈴羽は目を吊り上げ、央玲は眉を跳ねさせた。


「もう痛くはないの?」


 天楽に殴られて腫れた頬は充分に冷やしたのでそこまで痛みはない。


「少しヒリヒリしますけど、もう大丈夫ですよ」


 藤李は正直に答える。

 頬を往復する真誠の指が少しくすぐったくて目を細めた。


「確かに、僕は重要人物を取り逃したけど」


 藤李の肩を抱き寄せて、鈴羽と央玲に見せ付けるように向き直る。


「彼女がボロ雑巾みたいにズタボロになっている間、女と酒飲んで遊んでいた間抜けに言われたくないね」


 凍えるような低い声て鋭い眼差しを二人に向けた真誠に央玲と鈴羽は眉を顰めて押し黙る。


「藤李、どういうことだ?」


 マズい……。


 冷ややかな央玲の視線が藤李に向けられる。


「いや……その……」


 黙っていたことに対しての怒りをひしひしと感じ、藤李は視線を泳がせる。


「その、ちょっと……殴られて、首を……でも、でも! 尚書がすぐに助けにきてくれたから! 全然大丈夫だった!」


 藤李は大したことはなかったと必死に言うが央玲も鈴羽も絶句して、立ち尽くす。


「あの、本当に大丈夫だからっ」

「やめてあげなよ。君が必死に彼らを庇えば庇うほど、彼らは自分の至らなさを自覚して惨めになるんだから」


 真誠の言葉に藤李は首を傾げる。


 惨めになる? どういうこと?


「情けないよね。男除けには力を入れて送り出したみたいだけど、そのせいで妓女達には随分嫌がらせをされて……しまいには殺されかけた」


 真誠の冷たい言葉が二人を刺す。


「力があるんだから守印の一つでも付ければ良かったんじゃないの」


 二人を責める真誠に藤李は焦る。

 これでは二人が悪いみたいだ。


「尚書、いいんです、私は誰の法力も受け付けない体質なので、守印を付けることは出来ないんです。今回のことは私の落ち度です」


 藤李の言葉を訝しむような表情で首を傾げる。


「法力を受け付けない? どういうこと?」

「そのままの意味です。私にはどんなに強い術師の法力も効きません。守印も呪印も私には付けられません」


 全て藤李の胸に刻まれた呪印が跳ね返す。

 法力が強ければ強いほど拒絶反応も強くなる。


「だから仕方ないんですよ」


 だから二人を責めるのは止めて欲しいと、藤李は真誠に告げた。


「君は嘘つきだからね。信じられない」


 その言葉に藤李はがっくりと項垂れる。

 藤李の信用は既に失われてしまったらしい。


 何も嘘はついてないのに……。


「嘘なんてついてませんっ! 信じて下さい!」


 このままでは仕事も任せてもらえなくなる。せっかく、出来の良い小間使いだと褒められたのに、このままではいけない。


「守印は付けられた側が対価を支払い、呪印は付けた側が何らかの対価を支払う必要がある。それで結ばれる一種の取引、一種の契約みたいなものだからね。君は大した法力も持っていないし差し出せるものがないから強い守印は受け付けられないだろうね」

「そ、それもありますけど……」

「でも物理攻撃をしのぐぐらいの守印なら付けられるでしょ」

「出来ませんよ。いくら尚書でも無理です」


 藤李はきっぱりと言い切る。


 今まで何人もの術師が藤李に呪詛破りを試み、守印を付けようとしたが、全て跳ね返して寄せ付けなかった。


「なら、試してみる?」

「へ?」


 真誠の提案に藤李は目を大きく瞬かせる。


「無駄だ。藤李に法力は効かない」

「そうかな? 試してみなきゃ分からない」


 試さなくても分かるんだって。

 央玲は断言するが、真誠はその言葉を信じていないようだ。


「代償は……そうだね……」


 真誠は藤李に視線を向けた。


 切れ長の目元は涼し気な印象なのに、深い緑色の瞳の奥に何かが熱っぽく揺れている。

 吸い込まれそうな瞳の美しさに相まって、強烈な色気が藤李の心を絡め取ろうとする。


「さっきの『誓い』にしようか」

「誓いって何のこと……おいっ!」


 央玲の疑問を無視して真誠は藤李の身体を抱き寄せられ、正面で向き合う。


「尚書、本当に無理です! 怪我しますよ!」


 肩を掴んで離さない真誠と藤李は言う。


 すると真誠は口元に妖しげな笑みを浮かべて目を細めた。


 滲み出る色香が目が眩む顔貌と合わさり、藤李の自由を奪う。

 抵抗出来ずにいると次第に真誠の顔が近付いてきて藤李は目をぎゅっと瞑った。胸元に真誠の銀糸の髪が落ちて肌を擽り、そのくすぐったい感触に身体を竦ませた。


「んっ」


 柔らかい感触が藤李の露出した鎖骨の下に押し当てられた瞬間、一瞬、肌に焼けるような痛みが走り、全身を駆け抜けた。

 痛みが引くとはじんわりと熱く、、ドクンっと心臓が大きく跳ねると全身に熱が巡る。


 恐る恐る目を開けると一瞬、手足に黒い植物の蔦のようなものが現れ、瞬く間に消えてしまった。


「嘘だろ……何で……」


 一部始終を客観的に見ていた央玲は唖然としているし、鈴羽も言葉を失っている。

 何が起こったのか理解出来ずに茫然としていると、真誠が藤李から身を離して口を開いた。


「これで君への害悪は全て跳ね返す。その代わりに君は僕を裏切れない」


 混乱している藤李の髪を一房、手にして弄びながら真誠は言う。


 自分に何が起こったのか、何をされたのか、藤李はまだ理解できていなかった。

 しかし、分かることは一つある。


「もう僕に嘘は付けないよ、藤李」


 目を細め、蠱惑的な笑みを浮かべる上司は最高に怖かった。

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