第35話 そして嘘つきは罰を受ける


『白獏斗様、如何お過ごしでしょうか。こうして筆を取っている今もあの日、二人で過ごした夜のことが忘れられません。あんなに胸が高鳴る夜は生まれて初めてでした。今夜も貴方様を想い、店に出るのが憂鬱で、貴方様を想う気持ちが邪魔をして仕事が手につかず困っております。どうかもう一度だけでも私にあの夜と同じ幸せを与えては下さいませんでしょうか』


 改めて目を通すとびっくりな内容だ。

 差出人は藤李である。


「知らなかったよ、君が獏斗と恋仲だったなんて。随分、熱い夜を過ごしたみたいだね」


 その言い方、止めてくれ。誤解だ。


 人を昇天させそうな極上の笑みを浮かべて真誠は言う。


 しかし、その笑顔に誤魔化されないくらいには藤李は上司に慣れていた。

 笑顔なのに目は全く笑っておらず、異様な圧を放っている。


「いえ、それはですね……」


 藤李は据わった目をする真誠から視線を逸らしす。


「彼は子供の頃から僕に仕えているけど、恋人がいたなんて初耳でね。それもまさか相手が君だなんて思ってもみなかった」


 表情はにこやかだが視線が痛い。目が怖い。


 これはでまかせという奴で真実ではない。

 そもそも芙陽に真誠との関係を問い質されて、獏斗と考えた言い訳だ。


 何でそのことをこの人が知ってるのよ。


「人から聞かされた僕の身にもなってよ。従者に気を配る事も出来ない間抜けだと思われた」


 人から?


 この話を知っているのは一人しかいない。


「もしかして、それは芙陽姫のことですか?」


 それであれば納得だ。

 彼女は口から出たでまかせを信じてくれたようで藤李は安堵する。


 これで彼女から睨まれることもない。


「あのですね、尚書、これは芙陽姫を安心させるためのただの言い訳です。嘘です。姫様が過剰に貴方とたまたま偶然邸に招かれていた私との関係を疑うので獏斗と一緒に考えた嘘です。真実ではありません」


 藤李はここでしっかりと誤解を正そうと説明する。


「彼と会ったのは昨日が初めてです。その文だって嫌がらせの一環として書かされたものです。妓女が来るか来ないかも分からない客を呼ぶための手段の一つですし」


 どう考えても特別な仲になるには展開が早過ぎる。

 しかし説明して真誠は不機嫌そうに顔を顰めるだけで納得した雰囲気ではない。


 何故?


「じゃあ、何で獏斗だったの?」


 そう言って不服そうに問題の文を藤李の目の前にちらつかせる。


「何でと言われましても……」

「普通、出会ったばかりの他人にこんなの送る? 来ようが来まいが、送るなら見知った直属の上司の僕じゃない?」


 そう言って真誠は異様な圧を放ちながら藤李を見下ろす。


 確かに、文を書く時に一瞬、真誠の顔がよぎった。

 彼に送ることも考えなかったわけではない。


「いや、そうかも知れませんけど!」

「見知らぬ土地でそこに上司がいたら頼るのが普通じゃない?」

「確かに、そうかも知れませんけど……尚書、婚約者がいるじゃないですかっ」


 藤李を責めるような言い方で問い質そうとする真誠に言う。


「…………」


 目を見開いて言葉を失う真誠に藤李は続けた。


「婚約者がいる男性をこんな場所に呼べるわけないでしょう。婚約者がいる身で女遊びなんて不誠実です。それも、芙陽姫は尚書のことがお好きの様ですし、尚書だって昼間から人目を憚らず接吻したくなるほど大事に想う相手がいるのに、要らぬ誤解を与えたくはないでしょう」


 藤李は早口でまくし立てるように言った。


 そう、これは藤李なりの気遣いだ。

 貴族の婚姻に波風を立てる気はない。


「あ、別に見たくて見たわけじゃないですよ。獏斗と一緒にいたら偶然……って、きゃあっ!」


 いきなり視界が反転して藤李は小さく悲鳴を上げる。


 肩を押されて腕を押さえ込まれ、身動きが取れないと思ったらすぐ側に真誠の顔がある。


「不誠実……ね……それなら君だって同じでしょ」


 組み伏せられたと気付いたのは真誠が声を発した後だった。


「へ……尚書っ⁉」


 銀糸の髪が藤李の頬を掠め、真誠の背中から流れ落ちる。


 息がかかるほどの距離に顔があり、深い緑色の瞳に射すくめるような眼差しを向けられ、藤李は急に恥ずかしくなる。


 じわじわと顔に熱が集まり、頬が紅潮するのが感じられた。


「何ですか、は……離して下さいっ」


 身じろぎしたくても腕は長椅子に縫い留められ、服の裾は真誠に踏まれて本当に動けないのだ。


 それに法力を使った反動で、藤李はまだ身体が重く、怠さも引き摺っている。


「不誠実なのは君も同じでしょ。獏斗から聞いたよ。君、王族から寵愛されてるんだって?紫央玲から寵愛を受けている身でこんな場所で男と二人っきりになろうとしていたんだから」


 真誠の瞳に憤りが滲んでいる。

 怒りを必死に押さえ付けているような声音で藤李を責める。


「そ…それは……」


 誤解ですって!

 それにその話はどこから⁉


 そう言えばそんな設定も作っていたことを今更思い出す。


 獏斗が真誠が髪紐を贈った相手に会いたいとしつこいので口から出たでまかせである。


 嘘はつくものじゃないなと藤李は当たり前のことをしみじみ実感する。


「あの、それも嘘です! 彼とはそんな関係じゃありませんっ!」


 何せ私達は実の兄妹なのだ。

 兄の蒙古斑が何歳まであったのかも知っているのに。


「信じられない。君は嘘つきだからね」


 いや、まぁ……そうですけど。


 真誠の言葉に反論できない藤李は押し黙る。


「あの金貸しとは? どういう関係なの?」

「彼は央玲の友人です。私にとっても友人……というか、面倒見の良い兄のような人です」


 鈴羽のことを訪ねられ、藤李は答える。


「もしかして、強請られてるわけじゃないよね?」

「人聞きが悪いですね。そんなことありませんよ。いい人です」


 そう言うと真誠は更に機嫌を悪くする。


「信じられない」


 これ以上、一体、何を言えばいいのよ!


 信用がなさ過ぎて藤李は心の中で泣いた。

 嘘はやはりつくもんじゃない。


「そもそも君は何者なの?」

「は?」


 真誠は藤李を見下ろし、ぐっと顔を近づける。


 近い、近い、近い!


 迫ってくる顔貌の美しさに目が眩む。

 藤李が顔ごと視線を逸らすと、しなやかな指が顎にかかり、強引に視線を合わせられる。


「こっち見て。正直に答えなよ」


 真剣な眼差しに藤李は息を飲む。


 深い緑色の瞳はまるで翡翠のようで美しく、心を吸い込まれそうな吸引力があった。


「何者……とは?」

「君、吏部尚書の紹介で戸部に来たことになってるけど、本当は違うよね。君は陛下の回し者だ。気付いてないと思ってる?」


 全てを見透かすような眼差しに藤李は震えた。


「それに、さっきから尚書、尚書って呼ぶけど、もう戸部の陣藤李と宮妓の君を同一視していいのかな?」


 そうでした……!


 色んな事が起こり過ぎて普段通りに接していたが、いつの間にか戸部の藤李と宮妓の藤李が混ざってあやふやになっている。


「昨日は何となく宮妓の体裁を守ってあげたけど、さっき僕を上司と認めた時点で墓穴を掘ってることにも気付かないなんて。間抜け過ぎて笑えない」


 言葉の刃が藤李の胸をグサグサと刺す。

 今まで重ねて被ってきた嘘がボロボロと剥げていく音がする。


「君は何者なの? 目的は何? 紫央玲とはどういう関係?」


 厳しい口調で次々と疑問がぶつけられるが藤李はどれも答えることが出来ない。


「答えないの?」

「うっ……それは、その……」


 口を閉ざした藤李に苛立ったような口調で真誠は言う。


 だって、答えられないものは答えられない!


 ぎゅっと目を閉じてどうにかこの状況を打破できないものか思考を巡らせていると衣擦れの音と共に耳朶に何かが触れた。


「ひゃっあっ」

 突然感じた生温かく湿った柔らかい感触に藤李は跳ね上がる。


 な、何⁉


 耳朶を甘く咬まれ、濡れた耳朶に息がかかる。


「ひゃあっ……あっ……」


 ぞわぞわとした感覚が背筋を走り、藤李は身を竦ませた。


「早く答えなよ。まぁ、君が僕とこういう関係になりたいならそれでも良いけど」


 艶めいた声が上から降って来る。


 どういう関係ですか⁉


「いやいやいや、何言ってるんですかっ!」


 真面目そうな顔して冗談言わないでくれ。


「君だって全く無知な年齢じゃないでしょ。紫央玲から寵愛を受けてるぐらいだし」


 いや、それ誤解だってば!


 確かにすっかり耳年増で真誠の言葉の意味が分からない藤李ではないが上司とそんな爛れた関係は御免だ。


「あの、本当に誤解ですって!」


 藤李はそう主張するが真誠は退ける気がない。


「相手が君なら僕もやぶさかではないよ」


 お願いだから話を聞いて!


 藤李の心の叫びは通じず、蠱惑的な笑みを浮かべて真誠は藤李の顔を覗き込む。

 滲み出た真誠の危ない色気が容赦なく藤李の心臓を殴り、眩暈をひき起こして判断力を鈍らせる。


 人を狂わす強烈な色香を前に藤李はなす術がない。


「君が相手だと思えばその華奢な身体を揺すって、上擦った声を聞いてみたい気もする」


 危ない発言をして真誠の顔が藤李の首筋に移動する。


 これからされるであろうことを想像してしまい、藤李は身体が熱くなった。

 そして、もう無理だと思った。


「分かりました! 話します! 話しますから!」


 藤李は観念して白旗を上げた。


「…………そう」


 面白くなさそうな声を発し、真誠は藤李の上から身体を退ける。


 藤李はなるべく、椅子の端によって真誠との距離を確保した。

 胸の激しい動悸を静めるために大きく呼吸を繰り返す。


「じゃあ、早く話してくれる? 僕が納得できるようにね」


 何事もなかったかのように言う真誠を藤李は涙目で睨んだ。

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