第33話 危機
「では、宇凜さんをこちらへ」
札合わせとは二枚ずつ同じ柄の札を伏せられた札の中から見つける単純な遊びだ。
二枚札を捲って違っていたらまた伏せる。
二枚一組を多く作れた方が勝つ。
『負けたら店を出て行く』
最終的な約束事を飲み込み、勝負は始まった。
試されるのは記憶力のみ。藤李は負ける気がしなかった。
もともと記憶力は良い方だが、戸部で働き始めてからは更に鍛えられ、常に脳を活性化させているような状態だ。
見た目も頭も鈍そうな中年の男になど負ける気がしない。
藤李は早速、一組作ったので宇凜を天樂から取り上げる。
やはり宇凜は声を掛けても反応が薄く、心がここにないような様子だ。
腕輪の法力石を壊さなくては。
「早くしろ」
札合わせは一組作れば続けて札を捲ることが出来る。
始めたばかりで、まだ捲られた札が少ないために全体を把握できていない。
藤李は続けて二枚の札を捲るが組は出来ず、宇凜を側に置いて自分の番を終えた。
「次は俺の番だ」
天樂は二枚札を表に返すが揃わない。
藤李も捲るが揃わない。
「おぉ、揃ったな」
交互に二枚ずつ札を捲るが、始めは勘任せだ。
天樂は勘を頼りに一組、作ったので藤李は一枚服を脱がなければならない。
「早く脱げ」
気持ち悪い笑みを浮かべてこちらを見つめる男二人に鳥肌が立つ。
「宇凜の服でもいいがな」
躊躇っていると天樂が言う。
この外道めっ……!
そんなことはさせられない。
藤李は一枚、上から羽織っていた羽織を脱ぐ。
この服の下にも肌着もあるし、全裸は遠い。
羞恥心で何も考えられなくなるにはまだ時間がある。
藤李は深呼吸して札に意識を集中させる。
揃わなくても藤李は一枚一枚の絵柄と場所をしっかりと記憶し、五回目の番が回ってきた。
「ではまず、一組。お酒は後でまとめて頼みますからね。お二人の名義で」
札を二枚、表に返して組を作り、続けて二組、三組、四組と同じ絵柄を見つけ出す。
「何だと⁉」
天樂と魯雁が目を剥くなか、藤李は続けて組を作り、札を回収すると手元に札の山が出来る。
「机の上がスッキリしましたね」
藤李の猛攻が終えると机に残された札はわずか四枚。
全ての札を天樂が揃えても藤李には勝てない。
お前達の後はいくらでも追えそうだし、情報はもらった。
一先ずは宇凜と自分の安全確保が優先だ。
早く出て行け。
藤李は視線で天樂に訴える。
「いいだろう、出てってやる」
天樂が立ち上がり、やけに素直に引き下がる態度を意外に思った瞬間だった。
「だが、黙って出て行くとは言ってない」
その言葉を言い終えると同時に藤李はドカッと左の顔面に衝撃を受ける。
「うあっ!」
体勢を保っていられず、椅子から床へ転げ落ち、身体を打ち付けた。
がたんっと椅子が倒れる音か響き、魯雁が嫌そうに眉を顰める。
「おい、静かにしろ。気付かれるぞ」
「分かっている」
じんじんと響くような痛みに耐えながら、藤李はぼーっとしたまま椅子に座る宇凜の手首に腕を伸ばす。
腕に付けられた黒い法力石の腕輪に触れ、力を込める。
ぱりんっと小さい音を立てたがその音は天樂の荒い所作に飲み込まれ、届いていないようで藤李は安堵した。
「がはっ……」
首に天樂の手が伸び、締め上げられて力は徐々に強くなる。
「クソ女……俺の、俺の楽しみを邪魔しやがってっ!」
血走った目で天樂が怒鳴り、唾を吐く。
すると藤李の視界の隅に震える宇凜の姿が映り込む。
こちらの様子を見て、驚きと恐怖で動けなくなっているようだった。
『逃げて』言葉にならない口だけの動きで藤李は宇凜に訴える。
「おいっ! 待て!」
駆け出した宇凜が魯雁の横をすり抜けて部屋を飛び出した。
「おい、マズいぞ天樂」
魯雁が顔色を変えて慌てだす。
宇凜が部屋を出れば私が勝ったも同然だ。
ほくそ笑むと顔を真っ赤にした天樂が馬乗りになり藤李の頬を殴った。
「うっ……」
強まる腕の力に藤李は息苦しさで意識が遠のく。
首を絞める手に爪を立てる力もなくなり、目の前がぼやけ始めた時
だ。
急に首から手が離れ、息苦しさから解放される。
「ごほっごほ、ごほっ」
急に肺に空気が戻り、藤李はごほごほと咳込んだ。
「藤李! 藤李!」
「藤李! 大丈夫⁉」
駆け寄って来たのは夏葉と宇凜だ。
部屋の外に人の気配が集まっている。
涙目で藤李の背中をさする夏葉に、震える手で藤李の手を握る宇凜の温もりに藤李は安堵した。
「宇凜……貴女は大丈夫……? ごほっ……」
「怖かった……でも藤李が来てくれて……私っ」
そう言って宇凜は藤李にしがみついて涙を零す。
「遅くなってごめんね」
そんな小さな宇凜を抱き締めて藤李は言った。
藤李も安堵して涙ぐむが、泣いている場合ではない。
天樂はどうなった⁉
急に苦しみから解放された藤李だが、目の前の光景に目を瞬かせる。
白い外套に身を包んだ者だ天樂の首を締め上げ、宙づりにしている。
「ぐっうぅう」
足が浮いた状態でもがく天樂だが、締め上げている方の者はビクともしない。
そして床に突き落としたと思ったらその腹を踏みつけた。
「ぐはっ!」
びりびりと肌を刺すような圧を放ち、部屋の空気が徐々に冷やしていく。
白目を剥いた天樂がその苦しさに唾を吐いた。
「殺さないでっ」
藤李は白い男に向かって小さく声を上げる。
体力を奪われていつものように声が張れないがはっきりと言い放った。
すると異様な部屋の圧が薄れ、ばたりと天樂が意識を失った。
手足をだらしなく投げ出した天樂は白目を剥いているが呼吸はしていることに胸を撫で下ろす。
流石に害悪でしかない男でも死なれては困る。
天樂は意識を失って倒れたが魯雁の姿がない。
「追いなさい。他の客に気付かれないように」
そう言って呂花が男衆に指示を出しているのを見るとどさくさに紛れて逃げたようだ。
藤李は立ち上がろうと膝に力を困るが腰が抜けてしまい床にへたり込む。
「藤李、大丈夫?」
「顔も、冷やさないと」
声を掛けてくれる夏葉と宇凜に藤李は心配させまいとぎこちない笑みを浮かべる。
本気で殺されそうになったことで思ったよりも体力と気力を削がれたらしい。
回らない頭でぼーっと床を見つめていると視線の先に人が立つ。
グイっと顎を持ち上げられて藤李は驚き、目を点にした。
「酷い顔だね」
「げっ」
聞き馴染んだその声に藤李は思わず声を上げる。
腫れた左頬とは逆の右側の頬を指の腹で強く擦られる。
「何塗ってるの? これ。何だか泥みたいだけど……汚いってこれのこと?」
納得したような声を出すが藤李はまだ状況が掴めていないのだ。
「尚書……何でここにって……あ、止めて下さい。借り物なのに」
藤李の頬を拭って汚れた指を藤李が着ている服で拭う真誠に抗議する。
「それより報告したいことが……っきゃあっ」
突然、浮遊感に襲われて藤李は悲鳴を上げる。
例の如く俵のように真誠の肩に担がれた。
「尚書、降ろして下さい」
「どうせ立てないんだから黙ってて」
拗ねたような口調で真誠は言う。
「報告したいことが」
「そんなことは後にして」
そんなことって……大事な話なんですけど。
しっかりと支えられているので安定感はあるが、どうにもこの運ばれ方は慣れない。
真誠は藤李の言葉に耳を貸すことはなく、そのまま歩き出す。
わざと天樂を踏みつけて何か言葉を吐いていたが藤李には聞こえなかった。
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