第32話 手紙の差出人
「ふふふっ」
呂花は金貨を積み重ねて頬を紅潮させていた。
箱に入ったのは今日一日の現時点での売り上げである。
「これだけで二ヵ月分はあるわ……ふふふっ」
思わず鼻歌を歌い、踊り出したくなってしまう。
あの汚い娘を一晩働かせるだけでこんなに金が入るとは思わなかった。
これならずっといてもらいたいぐらいだ。
もう少し、綺麗な娘で木蓮の愛玩でなければもっと素直に受け入れてやれたが、木蓮のものだと思うと憎たらしくて仕方がない。
呂花にとって木蓮は景誠を奪った恋敵。
出会ったのも呂花の方が早かった。
だが、貴族の娘と妓女では勝ち目はなく、結婚してからも店に通い続けてくれるのであれば良かったが、景誠は結婚後に個人的に見せに足を運ぶことはなくなった。
憎いと思っても仕方がない。
だが、藤李にはこれだけ利益を出してもらった。最後には労いの言葉一つぐらいかけてやってもいい気がした。
「お、おかみさん!」
呂花は瞬時に箱を閉じ、売上金を人目につかない場所に隠した。
「何だい? 騒々しい」
慌てて部屋の扉を開けた妓女を諌めるように問い掛けた。
「裏口にっ……すぐに来て下さい!」
そう言って腕を引かれ、呂花は店の裏口に向かった。
すると妓夫が裏口で誰かを止めている。
「何事だい?」
声を掛けると妓夫が振り返る。
「おかみさん、お客様なんですが……」
困り顔の妓夫の前を横切り、呂花は裏口に立つ者の姿を視界に収めた。
白い外套を頭から被り、顔が見えない。
どこの誰だ?
仕立ての良い外套に外套の下から覗く衣の裾には見事な金糸の刺繍があり、品がある。高価なものであると一目で分かる。
裏口から客を入れる事もある。堂々と表から入れない客で大金を使い込んでくれる客であれば拒む理由はない。
しかし、それは呂花が認めた者でなければならない。
不審者はお断りだ。
それに、今日は思ってもみなかった金づるのおかげで売り上げは充分だ。
金払いの悪い客に妓女をつけるよりも、金払いのいい客の接待に妓女と時間を割いた方がいいに決まっている。
「申し訳ありませんが当店現在、満室でして……」
するとその人物は外套の頭巾を払い、その顔を晒した。
その美しさに妓夫も妓女も美女に慣れた呂花も息を飲む。
「何故……貴方様がここに……?」
木蓮からは何も聞いていない。
木蓮が紹介状と共に寄越してくれた男は既に二階に通している。
「久し振りだね、楼主。呼んでもらったんだ、代打だけど」
そう言って懐からシワの寄った文を取り出し、呂花に見せる。
香り付きの紙、白い紐に小さな花飾りで留められた文が確かに九蘭の妓女に指示して客に出すもの。
一体、誰がこの男を呼んだ?
白い紐に小さな飾りは下級妓女に使わせているものだ。
売れっ子の黄菊でもこの男は釣れない。
この男を客として呼べる妓女に心当たりがない。
呂花はその文の差出人に目を剥く。
何故、妓女でもないあの娘が文など出しているのか。
そう思ったものの、思い当たる節もある。
黄菊のいびりで書かされたものだろう。
「何故、あの汚い娘が……あ……」
手紙の差出人の名を覗き込んだ妓女が思わず口走り、口元を押さえた。
「……汚い? 彼女が?」
訝しむようなその声に妓女はしどろもどろになる。
「何? どんな格好してるの?」
「いえ……服は……下の子と同じものを着せていますが……」
「じゃあ、何が汚いわけ?」
まるで尋問でもするような威圧感を出して男は質問を重ねる。
妓女は男から放たれる圧に息を詰まらせながら答えた。
「その、髪もパサついて肌も汚いですし……お客様の前に出すには……」
「ふーん……そう。なら客はついてないんだ?」
「は、はい……」
声にあった威圧感が薄れて妓女はようやく身体に重く感じていた威圧感から解放された。
「あの子は妓女ではありませんし、あの子をお客様につけることも出来ませんわ」
呂花の言葉に男は少し考えるような仕草を見せて言った。
「彼女以外に用はないんだ。人前に出せないような汚らしさだったら、いなくてもいいでしょ。むしろいない方がいい。連れて帰るからここに呼んで」
呂花は名案だと思った。
今夜、この店の客の中で怪しげな取引をしようと目論む輩がいるらしいが店に迷惑が掛からなければ客の行うことに一切干渉しないことにしている。
下手に店の中を引っ掻き回されても迷惑なだけだ。
厄介払いができることに呂花は嬉しさが込み上げて来る。
「まぁ、連れ帰ったら二階にいる金づる二人も店を出るだろうけどね」
男は視線を天井に向けて言った。
「……どういうことでしょうか……?」
意外な言葉に呂花は声を震わせる。
「そのままの意味だよ。上の階の金づる二人はこの文の差出人と木蓮の回し者
だ。彼女がいなければここに居座る理由がなくなるからね」
その言葉の真意が分からず、呂花は混乱する。
「まだ、店は開いたばかりでしょ? まだあの金づる達を帰したくはないんじゃない?」
男は冷ややかな目で呂花の心中を刺してくる。
「選びなよ、楼主。厄介者を追い払って金づる二人を失うか、僕を通してこの子を付けて利益を出すか、僕はどちらでも構わないよ」
挑発的に選択を迫り、男は外套を被り直す。
「早くして。仕事が遅い奴は嫌いなんだ」
嫌味と共に苛立ちがぶつけられる。
「承知しました。こちらへどうぞ」
呂花は男を招き入れ、部屋へ通すことを決めた。
何人もの妓女達が何度、文を書いても一度もそれに応えたことがない男だ。
あの汚い娘がこの男を呼んだのは何かの企ての一種に違いない。
そしてこの男はその企てに応じただけで、決してあの娘に惚れているから店を訪れたわけではないのだろう。
それであれば店の方針的に干渉はしない。
金だけ落として貰えればそれでいい。
そう思いながら呂花は白真誠を店へと招き入れた。
「おかみさん! おかみさん!」
廊下をバタバタと走り、駆け寄ってきたのは見習い妓女の夏葉だ。
「何事ですか。お客様の前ですよ」
黄菊は他の子には厳しいのに夏葉と宇凜にはめっぽう甘い。
それが今、客の前で晒されている。
あとできつく言っておかなくては。
普段はこんなことはないのだけれど。
「話なら後で……」
しかし、夏葉の様子がおかしいことに気付く。
涙目で震えているではないか。
「ちょっと、この方を部屋にお通しして」
後ろを歩く妓女に真誠の案内を任せ、呂花は夏葉の話を聞くことにした。
ちょっとやそっとで泣く子ではない。
明らかに様子がおかしい。
「宇凜が……お客様に捕まって……藤李が助けに部屋に……でもずっと、出て来なくて! さっきから物音もするし……どうしたら……」
涙を流して夏葉は必死に助けを求める。
見習い妓女に手を出しそうな客には心当たりがあった。
そしてその客も今夜、この店に来ていることも把握していたが、見習い達には近づかないよう忠告していたはずなのに、何故。
「ねぇ」
真誠が夏葉に言葉を掛ける。
「今、藤李って聞こえたけど」
背の低い夏葉の目線に合わせて屈み込む。
「彼女がどうしたって?」
深い緑色の瞳は憤り、発せられる声は冷気を纏っていた。
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