第31話 見習い妓女の救出

「あそこの部屋」


 夏葉は廊下の突き当りにある一室を指す。


 部屋に取り残された見習い妓女は宇凜という。

 元々は別の妓女が付いていて、夏葉と宇凜はその妓女に酒と料理を運ぶのを手伝うように言われたという。


「それで、元々付いていた姉さんは?」

「それが、姿が見えなくて……それだけじゃないの」

「というと?」


 何かに怯えた様子で夏葉は震えている。


「これ」


 夏葉は懐から腕輪を取り出す。

 黒い石の付いた腕輪は小さく、大人用ではなく子供の手首にピッタリの大きさだった。


 そしてその鈍い光を放つ黒い石から禍々しい気配を感じ、はっとする。



「これは⁉ 一体どこで⁉」


 藤李は腕輪を受け取り、観察した。

 

 似たような石に見覚えがある。

 昨日、現れた虎の額に埋め込まれた黒い法力石と酷似している。


「あの部屋のお客がくれたから付けなさいって、その姉さんに言われたの。私は何だか気味が悪くて付ける振りだけして……。でも宇凜はそれを付けたら何だか様子が変で……」


 ゆっくりと涙声で言葉を紡ぐ夏葉に藤李は耳を傾ける。


「どんな風に変なの?」

「何だか……宇凜じゃないみたい……というか……心が抜けたみたいで……」


 その言葉にその客への不信感を募らせる。


「あの部屋の客の名前は分かりますか?」

「体格の大きい人が天樂、細い人が魯雁って名前……偽名かも知れないけど」


 女遊びを楽しむ男達の中には偽名を使う者も多い。

 自分が妓楼で女遊びをしていると体裁が悪い者達だ。


 央玲の場合は手薄な警護と護衛で命が狙われると危険なので偽名を使っている。仮にも王族。命の危険は多い。


「分かりました。とりあえず、あの部屋に近付いてみましょう。夏葉さんはここで待っていて下さい」


 夏葉は頷く。

 藤李は息を飲み忍び足でその部屋に近付く。


「餌にでもするのか」


 部屋の中から男の声がする。


 餌? 何のことだ?


 扉の前で身を屈めて部屋の中の会話に耳を澄ませた。


「そんな勿体ないこと、するわけなかろう」

「気色の悪い趣味だな。理解出来ん」


 内容から察するに宇凜のことではないだろうか。


 性的な嗜好が子供にしか向かない胸糞悪い者が世の中にいることは知っていたがこんな所で遭遇するとは思わなかった。


「それより、檻にいるのは何匹だ?」

「五匹だ」

「少な過ぎる。もっと捕まえておけ」

「命懸けなんだぞ。それに派手に動けば白家にバレる恐れもある」


 もうバレてんだよ。


 間違いない。

 虎の密猟者達の会話だ。


 藤李はもう少し情報を得ようと耳を扉にくっつける。


 何か決定的な手掛かりが、迂闊な発言をしてはくれないものだろうか。


「お前の家、ーーーが婚約したんだろう? ーーー協力してくれれば楽な話じゃないか」


 その言葉に藤李は眉根を寄せる。


 婚約? 


「この婚約は仮初だ。ーーーは上の者に嫁がせるつもりだ」


 大事な部分が聞こえない!


 聴力の限界を感じる。


 耳を澄ませば澄ますほど、他の部屋の賑やかな雑音を拾ってしまい、肝心なところが耳に入らない。


「儲けるだけ儲けたら全ては白家の若造に罪を被せる。ーーーに秘密裏に陛下へと伝えさせる。次に行われる宴は建国記念日だろうから、そこで挨拶に伺う。その機会を狙う」


『白家の若造』という単語だけはしっかり聞き取れた。


 こいつら、悪事を行った濡れ衣をうちの尚書に着せて、あの人を潰すつもりか。

 


「あぁ……それにしても見ろ、この滑らかな肌、膨らみかけも堪らん」


 ぞわっと背筋に悪寒が走る。これ以上はダメだ。

 年端もいかない子供に何てことしてるんだ。気持ちが悪い。


「失礼致します」


 藤李は言葉を発すると同時に扉を乱暴に開け放つ。


 体格のいい男の膝に宇凜は抱かれており、手を握られていた。

 太い芋虫のような指が白くて小さい指に無理矢理絡まされて痛そうだ。


 細い手首に夏葉が受け取ったものと同じ腕輪が嵌っている。


 黒い石が禍々しい光を放っていて、服は着ているが襟元が乱れ、長裙の裾が捲れている。


 広い机には札が並べられていて遊戯をしていたようだ。


「誰だ、何の用だ」


 聞き耳立ててる場合じゃなかったな。


 何をされていたかを察し、もっと早く助けてあげれば良かったと後悔する。


「お酒をお持ちしました」

「夏葉はどうした?」


 体格のいい男、天樂が藤李を睨み付ける。


「夏葉さんは上にいる姉さんに呼ばれてしまったので。代わりに参りました」


 その言葉に分かりすく天樂は不機嫌になる。

 魯雁は訝しむしょうに藤李を見ていた。


「宇凜さんも姉さんが呼んでいますよ。それに、こんな所をおかみさんに見つかったら怒られますよ」


 藤李の呼びかけに宇凜は答えない。

 虚ろな目でどこか遠くを見ている。


「宇凜がここがいいと言ったんだぞ」


 そう言って天樂は自分の膝を指す。


「それは問題ですね。見習い妓女ができるのは料理を運ぶ所までです。姉さんかおかみさんの許可があればお酌まではできますが、宇凜は黄菊姉さん付きの見習いです。宇凜さん、黄菊姉さんの許可はありますか?」


 その問いにも宇凜は答えない。


 天樂は藤李の言葉に苛立ちを募らせている。

 宇凜を奪われないように彼女を抱き締めた。


 頼むからそれ以上その子に触らないでよ!


「お客様、宇凜さんをこちらへ寄越して下さい。でなければおかみさんを呼ぶしかなくなります」


 妓女を差し置いて見習いが客と懇意になるのは違反行為だ。


 見習い妓女は幼い頃からお金と時間を掛けて楼主と姉達手塩に掛けて大事に育てるのだ。水揚げの相手も楼主か、姉の判断で決まる。


 手塩に掛け、美しく花開く娘を店の利益になり得る男にさせるのは決まり事

だ。


 そんな大事な商品である彼女達に手を出し、傷物にしたとなればただでは済まされない。


 故に、姉達の目がない場所での接客行為は禁止事項だ。


 知らないはずがない。基本的な知識だ。


 天樂は忌々し気に表情を歪ませて凄んで来るが藤李も引き下がるわけにはいかない。


 彼女の未来が掛かっているのだから。


「宇凜さんには他の姉さんを呼んできてもらいましょう」

「要らんっ! 客を楽しませるのがお前達の仕事だろう! 俺は他の女を呼ばれても楽しめん!」


 藤李の言葉に天樂は吐き捨てる。


 自分の性癖を威張るなよ。

 大人の女性では楽しめないから少女に手を出すんだろうけど。


「では……札遊びはどうですか?」

「何だと?」


 藤李は机の上に並んで伏せられた札に視線を向ける。


「合わせ札をしましょう。貴方が勝てば私はこの場を黙って去りましょう。ですが私が勝ったら……そうですね……」


 どうせだったら店の売り上げに貢献してもらおう。


「私が勝ったら酒でも入れてもらいましょうか。もちろん、宇凜さんもこちらへ寄越してもらいます」


 藤李は心ここにあらずな状態の宇凜を見やる。


 本当であれば宇凜だけでも部屋から出したいが、おそらく無理だ。


 今の彼女からは意志を感じない。

 虎の時と同様に腕輪の法力石が彼女に影響を与えているに違いない。


 あの法力石を壊して、彼女に自我を取り戻して貰わなくては。

 彼女が自我を取り戻して、ようやく二人で脱出できるか、どうか、である。


 とにかく、あの気持ち悪い性癖の男から宇凜を引き離す!


 その提案に天樂は何かを考えるような仕草を見せる。


「いいだろう」

「おい、天樂」


 魯雁が天樂を声で制す。


「いいではないか。魯雁。せっかくこのような場所にいるのだから、普段できない余興を楽しもうぞ」


 楽し気な声で言う天樂に魯雁は溜め息をついた。


「私は美女に酌をしてもらうだけで充分なんだが」


 そう言って魯雁は残念そうに藤李に視線を向ける。


 私の酌では嫌だと言いたいのは伝わった。

 だが天樂に比べれば嗜好は正常で安堵する。


「そう言うな。醜女だが身体は女だ」


 その言葉に藤李は引っ掛かりを覚え、背筋に冷たい汗が伝う。


「お前ばかりが要求が二つでは不平等だからな。こうしよう。単純な札合わせだ。お前が札を揃えるごとに銚子を二本ずつ入れてやる。だが、俺が札を揃えるごとに……」


 藤李の中で嫌な予感が膨れ上がる。


「お前は一枚服を脱げ」


 天樂はそう言って藤李を指差した。





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