第30話  開店

 藤李は人前には出ず、酒や食事を運ぶ係りに徹していた。


 店が開き、今か今かと開店を待ちわびた客が雪崩れ込んで来る。

 敷居を跨ぐだけでも金が掛かる高級妓楼によくこれほどの男達を呼べたものだと呂花と妓女達の手腕に感心する。


 藤李は部屋の前まで食事を運び、後は中にいる妓女に任せてその場を離れる。

 調理場と部屋を行き来し、怪しい者がいないか目を光らせ、耳を澄ませるが今の所、入った客は妓女との会話と食事を楽しんでいるように見えた。


 入ってはいけない三部屋にも誰かが入った気配はない。


「きゃっー! 鈴羽様よ! 鈴羽様がいらっしゃったわ!」


 女性達の黄色い声が玄関先から聞こえて来て、振り返ると既に人だかりができていた。


「今日も素敵だわ」

「あ~ん、良いなぁ。黄菊が羨ましい」

「でも、私達も呼んでもらえるかもよ?」

「私も席に着きたい!」


 鈴羽から既に指名をされている黄菊が余裕の笑みを浮かべ、人混みの中心へ向かっていく。


「お待ちしておりましたわ、鈴羽様」

「今日は一段と美しいな、黄菊」


 そう言って鈴羽は慣れた様子で黄菊の肩を抱き、予約した部屋へと上がっていく。二人の後ろをぞろぞろと妓女達がついていく。

 女性慣れしていることは知っていたが、あまりにもこなれた様子に思わず顔が引き攣ってしまった。


 もう一人の兄のように思えるほど、鈴羽は藤李に優しい。

 兄だと思っていた人が急に男に見えて受け入れがたい何かを感じてしまう。


 いや、まぁ……知っていたことではあるんだけど、ちょっと衝撃だわ。

 まぁ、良いわ。彼には彼のやり方で中の様子を探ってもらおう。


「木蓮様の金づるはまだ来ないようだな」


 藤李は背中に声を掛けられ振り返る。


 そこには昼間以上に妖艶に着飾った呂花が立っていた。

 楼主としてこれから部屋へ挨拶にまわるのだと言う。


「木蓮様のはったりか?」

「まさか」


 呂花の言葉を藤李は否定する。


「それにしても、木蓮様は何故、そなたの様な者を寄越したのか……」


 せめてもう少し綺麗な者であれば、と零す。


 それに関しては藤李のせいではない。

 顔の造作は親からもらったものだし、この顔に描いたそばかすと肌に施された塗料は鈴羽と央玲の過保護のせいだ。


 男に目を付けられないようにするためとはいえ、逆に目立って嫌悪されている。

 おかげで部屋の中まで踏み込みたいのに部屋の外で妓女に入るなと止められてしまう。


 見た目が命の妓楼は醜女には非常に厳しい。


 ふんっと鼻を鳴らし呂花は美しい衣を翻し、歩き出す。

 しかし思い出したかのように立ち止まり、呂花は藤李に告げる。


「店に不利益を思えば追い出すからね」


 この手の嫌味も散々、上司の口から聞いている。


『役に立たなければ要らない』


 こちらを見る事無く、真誠は淡々と仕事をしながら言った。

 あの時の真誠は口が悪いだけでなく冷たくて、今よりもずっと雰囲気が怖かった。聞かなければ教えてくれないのは当たり前で、自分から出来る仕事を探して、自分がどれだけの能力があるのかを示さなければならなかった。


 呂花も黄菊もあれしろ、これしろ、と指示を出すだけまだ優しい。

 皆が忙しなく働く戸部で仕事をしないのは罪なのだ。

 しかしその仕事も自分で得なければ自分はあそこでただの空気。


『気が散るから帰って』


 すかさず飛んで来る嫌味の矢を何度この身に受けたか分からない。

 無能の烙印を押されてしまえばそこで終わりだ。


 瑠庵に泣きつくのは絶対に嫌だし、政略結婚の道具にもなれなそうな自分が認められるにはやるしかない。


 歯を食いしばって血も涙もない上司の嫌味に耐えできた。

 これぐらいではへこたれない。


 藤李に向き合ってはっきりと告げる呂花の達はまだ優しい。


「不利益にはなりません」


 藤李は自信を持って宣言する。


 何せ私には戸部の白蛇の元で培った精神力と記憶力、俊敏さがある。

 妓女のように大きな売り上げにはならなくても円滑に物事が進むように動くことは出来る。


「おかみさん、ちょっと……」


 困り顔の妓女が呂花に駆け寄りひそひそと耳打ちする。

 ぱたりと広げた扇が床に落ち、驚愕した呂花の表情が丸見えになる。


 呂花はすぐに上等な二階の部屋へ通すよう指示を出し、すぐに向かうと妓女に告げた。


「…………木蓮様の紹介状を持ったお客が来た」


 その言葉に誰が来たのはすぐに理解出来た。


 藤李は薄く笑って呂花に会釈してその場を離れる。

 央玲が到着したようだ。


 王族とは明かせない彼は羽振りの良さだけ見せ付けて注目を集めてもらう。


 店の者の意識が鈴羽と央玲に集中すれば藤李も動きやすいし、悪党の会合もやりやすくなるだろう。


 藤李は各部屋の様子を窺いながら料理と酒を運ぶ作業を続けた。

 この立ち位置は本当にありがたい。


 各部屋の客や部屋にいる妓女、何をしているかがおおよそ、把握できる。

 一階と二階を仕事をしながらうろつき、ついでに鈴羽と央玲の様子もうかがおうとするが、女達が壁のように並んでいるので姿も見えない。


 妓女からの情報集めは鈴羽に任せて、央玲は取引材料なのでしっかりとお金を使ってもらおう。


 藤李は一階に降りると廊下で酒を持ったまま立ち止まっている幼い見習い妓女を見かけた。


 藤李に妓楼を案内してくれた小さな先輩だ。


「どうかしましたか? 手伝いましょうか?」


 声をかけると大きな瞳が潤んでいる。


「え⁉ どうしたんですか」

「じ、実は……」


 見習い妓女の一人が部屋に連れ込まれてお酌をさせられているのだと言う。

 見習い妓女は楼主の許可なく客を取ったり、お酌をしたり出来ない。

 客がそれを強要すれば問答無用で叩き出される。


「もし、誰かに言ったら酷いことするって…………」


 どうしようっ、と言って堰を切るように涙を流す。


 こんな小さい女の子を泣かすなんて、ろくでもない男だ。

 流石に手は出してないと思うけど……。


 藤李は不快感で眉根を寄せる。


「分かりました、私が行きます」


 小さな先輩から酒の乗った盆を取り上げて言う。


「私がその子と入れ替わりに部屋に入ります。貴女はその子と一緒に誰かにこのことを知らせて下さい。できますか?」

「はいっ! でも藤李は大丈夫なのですか? その部屋のお客は前々から姉さん達よりも私達見習いに興味があるみたいで……」


 いつ頃になれば水揚げが出来るか、しょっちゅう訊ねてくるらしい。


 なるほど。そう言う癖か。

 胸糞悪くて吐き気を催す。

 これはちんたらしてはいられない。


「大丈夫です。それよりも早くその子を部屋から出さなくては」


 藤李はそう言って小さな先輩、夏葉と共に問題の客がいる部屋へと向かった。






 その頃、白家では一通の文が届けられていた。


「やはり来たな」


 そう言ったのは木蓮だ。

 手元にある文の宛名を見て木蓮は意外に思う。


「何じゃ、獏斗宛てか」


 そして人の手紙を勝手に開封し、中身を読んでにやにやと笑う。

 中身は予想通りの内容だった。


 そこへ息子の真誠が顔を出す。


 息子は居合わせたことへの嫌悪感を一瞬だけ顔に出した。


「具合はどうじゃ? 赤の姫が心配しておったぞ」

「今し方、より酷くなったような気がするよ」


 そう言って長椅子に腰を降ろす。


「呪印の影響か?」

「…………そうだね」


 たぶん、でもなく、おそらく、でもない確信を持ったような言葉に木蓮は引っ掛かりを覚えた。


「何か分かったのか?」

「………………」


 その問いには真誠は答えない。


 何かを考えているが、口にはしなかった。


「面白いものが届いたぞ」


 広げた文をひらひらと真誠の前でちらつかせて木蓮は言う。


「貴女が面白いと思うものなんてろくなものじゃない」

「ほう? なら、獏斗を叩き起こして向かわせるより他ない」


 そう言って卓の上に文を置く。


 真誠はその手紙に視線を向けると、その文字に見覚えがあった。

 宛名は獏斗の名がある。


 手紙を広げれば甘い香りがふわりと広がる。


 香りの焚きしめた上質の紙に白い紐、小さい花飾りは下級妓女が客に出す手紙だ。


 広げて内容に目を通すと苛立ちが募り、読み終える頃には不快感で胸がふくれていた。


 差出人の名が視界に入るとことさらそれは酷くなる。


 真誠は立ち上がり、木蓮に背を向ける。


 扉に向かう真誠の背中に木蓮は声を掛けた。


「獏斗に渡してやるのかえ?」

「彼、いい仕事したからね。たまには休みも必要でしょ」


 立ち止まり、視線だけを木蓮に向けてそれだけ言い残すと部屋を出た。

 獏斗を慮る言葉とは反対に声音は酷く冷ややかで苛立ちを感じるものだった。

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