第29話 準備

 藤李は言われた通りに用意された服に着替えた。

 下っ端妓女達はみんな同じ首の詰まった裙に長衣を着ており、藤李もそれにならう。

 いつもは結い上げただけの髪は団子のようにして一つに纏めて派手ではないが簪を挿す。


 売れっ子妓女達は綺麗な吊帯の長裙を着て肌を出して、髪を結い上げ簪を挿し、化粧を施して煌びやかな夜の蝶となる。


 この店で売れっ子の黄菊は舞の名手で、その高い技術と美しい容姿で客を楽しませていると聞いた。貴族からの指名も多く、女将から優遇されている。


 既に鈴羽から今夜の指名を受けている黄菊の気合いは凄まじかった。

 二人の幼い見習い妓女に爪を磨かせ、挿した簪の角度を調整している。


「簪の位置が悪いわ」

「すみません、姉さん」


 鏡越しに凄む黄菊に委縮しながら幼い見習いの妓女は謝罪をする。


「いいこと、お前達。女はどの角度から見ても美しくなければならないの。気を抜いてはダメなのよ。肌も、手も、爪も、髪も。髪は簪があるか、ないか、その角度ですら印象が変るのよ。お前達もほら、簪が曲ってるじゃないっ」


 怒り声で見習いの簪を直して黄菊は続ける。


「売れっ子になりたいなら覚えておきなさい。こういうところで差が出るのよ」

「「はい、姉さん」」


 そう言って幼い二人は声を揃えて返事をする。


 藤李や他の子には辺りがキツイ黄菊だが、この幼い二人には格別に優しい。

 ただ意地悪なだけじゃないのかもしれない。


「黄菊、ちょっと来て」


 店の人に呼ばれて黄菊が出て行くと幼い妓女見習いが藤李に話し掛けてくる。


「あのね、姉さんは意地悪も言うけど、本当は優しいんだよ」

「姉さんは私達を守るためやってくれてるの。お客さんをいっぱい取らないと、私達のご飯はなくなるし、綺麗な服も着れないし、もしかしたらここじゃないどこかに捨てられちゃうかもしれない」


 必死に黄菊の良さを説明する二人は本当に彼女を慕っていることが伝わって来る。


 店にはこの二人と同じように妓女が世話をしている見習いがいる。

 他の子に比べるとこの二人の服は仕立てが良く、簪も可愛い。

 先ほどの厳しい口調もこの二人の将来を考えてのことだと思うと憎めない。


「いいお姉さんだね」

「「うん!」」


 内緒にしてね、と二人は言う。


 藤李は微笑んで頷いた。


 私に対してはどんなに意地悪でもこの幼い二人のために耐えることにしよう。


「藤李、あんた、何が得意なの?」


 黄菊が部屋に戻るなりそう言った。


「特にありませんが……」


 舞は下手くその烙印を押されているし、楽器は苦手だし、歌を人前で披露する度胸はない。そんなことをするぐらいなら一日無給で働いた方がマシだ。

 足の速さには自信があるがここでは役に立たない。

 後は、真誠の元で培った嫌味と嫌がらせに耐え抜く精神力と物の位置や場所を瞬時に覚えられる記憶力ぐらいだ。

 足と同じく、客を喜ばせるような役には立たない。


「はっ。お前達、将来困らないように芸事はしっかり磨いておきなさい」

「「はい、姉さん」」


 藤李に向けた嫌味にも二人は気持ちの良い返事を返す。


「仕方ないわね」


 そう言って一枚の紙と、閉じ紐に飾りを渡された。


「誰か呼びなさい」

「は……?」


 意味が分からず藤李は首を傾げる。


「何もできることがないなら客を呼んで店に貢献しなさい」


 はい?


 藤李はその言葉に目を瞬かせる。


 そもそも、藤李は央玲をこの店に差し出すことで一晩だけこの店にいることを許されている。藤李を一晩店に置く対価としては大きすぎるぐらいだ。


 これ以上貢献する必要はないと思う。


 それに下っ端官吏でも手が出ないこの高級妓楼にその辺の男が入れるはずがない。飲食せずとも立ち入るだけで金が掛かる間の空間なのだから。


 それでも平気な裕福な男の知り合いなど白州にはいない。


 これはただの意地悪だ。


「お前達、書き方を教えてあげなさい」


 そう言って再び部屋を出る。


「あーあー、意地悪されちゃったね」

「ねー。とりあえず、書き方を教えるね」


 あの程度の嫌味や嫌がらせには慣れている。

 戸部に初めて出仕した日の真誠の態度に比べれば可愛いものだ。


 しかし困った。


 香り付きの綺麗な紙に向き合い、藤李は筆を取る。


「何て書こう……そもそも……」


 誰に送ればいいの⁉

 もう王都の瑠庵とか、父様とか……いや、無理だな。


 届けるだけで半日がかりだ。返事をもらう頃には全て終わっている。


「誰でもいいから、とりあえず、会いたいって書くの。どうせ妓女が文を出しても店に来てくれる人はほとんどいないの」

「それでもみんな出すの。来てくれたら嬉しいし、来なければいつものこと」

「なるほど」


 確かに、この高級妓楼に足しげく通える男は限られている。

 男は夢見る高級妓楼、九蘭。一夜限りの夢を見たくても見れない男がほとんどだ。


ほとんどの者が一度足を踏み入れただけで破産する。一見様もお断りで全くの初回は知り合いの紹介が必要で、それだけでも敷居が高いのだ。


「来ないと分かっていても書くの」


 それも虚しい話だ。


 それでももしかしたら自分に会いに来てくれるかもしれないと思い、文をしたためているのだと言う。


「えっと……じゃあ適当に名前を借りよう」


 そこで浮かんだのは真誠の顔だ。


 ダメだ。そんな危険は犯せない。


 もしも届いた文を真誠が見たら後でどんな嫌味を言われるか分かったものではない。


 それに申し訳ないが高級妓楼の妓女達よりも美しいのだ。

 妓女を差し置いて男が群がる可能性が否定できない。


 何よりあの人は婚約者がいる。

 婚約者がいるというのにこんな場所へ出入りをしていることが相手に知れてしまえば大事だ。


 そのきっかけを作った藤李が恨まれる。


 御免被る。


 そうなると手頃なところで獏斗だろう。


「これ、よく使う文の例文。これ使うと良いよ」

「え、これ?」

「大体、初めての文はこれ。男は嬉しくなるんだって。店に来てくれる確率も高くなる」

「なるほど」


 手渡された紙の例文を写し、客の名前だけを獏斗に変えた。


「文を閉じる紐にも意味があるの。白はほとんど来ない客、黄色は三回以上来たことがある客、赤は十回以上、青は十回以上来たことのある客で妓女のお気に入り。みんな青い紐の文をもらうために頑張って通ってる」


 頑張って通う財力がある男もいるのか……血眼になって金をかき集めているのか。

 思わず感心してしまう。


「ちなみに、青の紐の文をもらう男性っている?」

「うーん、今夜の駿家の若様は青だね」


 やはり常連か。


 いかにも『金を使ってくれそう』な見た目の彼は自身も女好きだし、女性から見ても魅力的に映る。


 ちょっと危ない、男の色気というか、火遊びしてみたい女性に好かれそうな人なのだ。


「藤李は初めての文だから白ね」


 白い紐を結び、小さな花の飾りを添えてくれる。

 水引で作られた小さな花の飾りは下級妓女の印だ。


「黄菊姉さんや他の姉さん達はもっと大きな花飾りなんだよ」

「じゃあ、飛脚に頼んでくるね」


 そう言って一人が部屋を出て行く。


「藤李、妓楼の中の入っちゃ駄目な場所、教えてあげる」

「お願いします」


 藤李は自分よりも十歳以上若い先輩に頭を下げた。


 そうして妓楼の中を改めて確認していく。

 渡り廊下を歩き、生活棟から店の方へ向かう。


「一階は帳場と茶室がほとんど。大してお金を使わない客を通すの。二階の部屋は小さい部屋と広い部屋があるの。お酒と料理を出して、沢山お金を使ってもらいたいから簡単に帰れないようにするの。今日の駿家の若様はいつも一番広い部屋。妓女もいっぱい呼んで楽を鳴らして、私達見習いの分までご馳走してくれるの」


 そう言って実際に鈴羽が通される予定の部屋を見せてもらった。

 どの部屋よりも広く、上質な机と椅子が並べられ、妓女が舞いを披露する壇上もある。


 この部屋を頻繁に使っていると思うと呆れてしまう。


「三階は泊まりの部屋。二階で酔い潰した客を妓女が連れて泊まるの。凄く高いから全室埋まることはないけど、部屋は結構沢山あるの。でも藤李は上がっちゃ駄目だよ」

「分かりました」


 一通り、案内されて藤李は頷く。


怖いな。本当によく考えて作られている。


「それから、二階のこの奥の部屋三つは入っちゃ駄目」


 わざわざ藤李をその部屋の前まで連れて行き、しっかりと教えてくれた。


「この部屋は何か特別な部屋なんですか?」


 すると、小さな先輩が耳を貸せ言うので藤李は屈み込む。


「ここではたまに、秘密のお話をしているお客がいるの。いつもじゃないけど。入ると怒られちゃうから」


 藤李は頷く。


 なるほど……ここで秘密の話を、ねぇ……。


 藤李の目的は虎の密猟に関する情報を得ること。

 いくつも部屋があるのでどの部屋でそのやり取りが行われるかは分からないが、この部屋は注意しておこう。


「教えてくれてありがとうございます」


 今夜行われるであろう、秘密の会合で何としても情報を得なくては。



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