第28話 妓楼『九蘭』
妓楼『九蘭』は女楼主、呂花によって容姿、教養、芸事に長けた妓女を揃えた冠竜国でも指折りの高級妓楼である。
日が高く昇る前に藤李は木蓮に連れられて九蘭の呂花の元を訪れていた。
「なるほど。話は分った」
目の前に座る呂花は煙管で煙をくゆらせて頷く。
「不届きな輩が私の店で悪事を行う算段を立てているということか」
黒く艶のある髪を結い上げて白くうなじを晒し、蝶や花の簪を刺して煌びやかに飾り立てている。鎖骨のしたからふっくらとした胸を覗かせ、その鮮烈な色気に藤李は眩暈がした。
若き頃は傾国の妓女としてその名を轟かせ、その美貌で先々代国王を虜にし、足しげく通わせたという美姫。
現役から退き、楼閣経営にまわるも、未だに呂花に会うために金を積む者も多いと聞く。
藤李は隣に座る木蓮を盗み見る。
洗練された美しさを持つ木蓮に、色気を滲ませる美女呂花。
この二人、一体何歳なのよ……。
少なくとも木蓮は真誠を産んでいるのだからどんなに若くて四十は超えているはずだ。
だがどう見ても三十代前半か、半ばそこそこにしか見えない。
そんな木蓮と呂花は同い年だというではないか。
恐ろしいにも程がある。
女妖怪、という言葉が頭の中に浮かんだ。
「どうかしたか、藤李?」
藤李の心の声を聞いていたかように木蓮は言う。
「いえ、何でもございません」
藤李は威圧感のある木蓮の微笑みを笑って誤魔化す。
「それで、その毒にも薬にもならなそうな小僧のような娘を今宵この店に置けと?」
「ああ。そうじゃ」
呂花はまじまじと藤李を見つめた。
ふんっと鼻で笑われたような気がする。
「今の所、労働人数は足りている。全盛期と比べて客もかなり少なくなり、妓女も泣く泣く随分減らした」
「それはそなたの経営方針に合わなかったからじゃろ」
先ほどから彼女の態度で歓迎されていないことは察している。
「この娘を店に置いて、何の得が? 我々は店に不利益にならなければ基本、客同士のやり取りに口は出さない方針。下手な真似をすれば客の反感を買い、損害が出かねない」
呂花はそう言って煙を細く吐き出し、煙管を弄ぶ。
鋭い視線を藤李に向け、嫌悪感を露わにする。
「心配するな。今宵は人手が欲しくなるぞ」
その言葉に呂花の眉がぴくっと跳ねる。
「ほう? 景誠様でも寄越して下さるのか?」
「まさか。それ以上の金づるを送ろう」
木蓮は目を細めて呂花に宣言する。
「駿家の若ではなかろうな?」
昨晩のうちに鈴羽は九蘭を今晩訪れることを伝えている。
呂花は鈴羽ではない別の金づるでなければ話を飲まないと言う。
「もちろんじゃ。広い部屋でも用意して金を使わせる準備をしておけ」
その金づるの正体は央玲である。
王族を金づると言えるあたりは流石、白家一族当主代理。
その言葉に呂花は目の色を変えて微笑む。
「良いだろう。おい、娘」
呂花に呼ばれて藤李は改めて向き直る。
「藤李と申します。一晩よろしくお願いします」
藤李は深く頭を下げる。
「不細工の名など覚えたくない」
厳しい声音が藤李の胸を抉る。
央玲と鈴羽に顔を汚せと言われてそばかすを描き、肌も粘土を水で溶いたようなものを塗られてかパサついている。
ちりんちりんと呂花が手元の鈴を鳴らすと部屋の扉が開く。
「おかみさん、呼んだかしら?」
姿を現したのは美しい女性だ。
柔和な表情で微笑み、歩み寄ってくる。
「黄菊、この娘に仕事をさせろ。何でもするそうだ」
何でもするとは言ってないけどね。
藤李は心の中で抗議し、黄菊と呼ばれた美女に頭を下げる。
「藤李です。よろしくお願いします」
「黄菊よ。よろしくね」
藤李が顔を上げると黄菊はあからさまに顔を顰める。
「汚いわね……人前には出せないわ」
美女にここまではっきり言われると流石に傷付く。
黄菊の言葉に呂花はケラケラと笑い出し、木蓮も扇の向こうで声を押し殺している。
「おかみさん、使うと言っても雑用ぐらいしかさせられないわ」
「当然だ。その顔で客前に出る事は許さん」
不細工が客の前に出たら店の品位が下がると言われ、藤李は苦笑する。
「何笑ってるのよ、気持ち悪いわね」
嫌悪の視線を向けられ、藤李は内心悲しくなる。
煌びやかな美女達は同性にはかなり手厳しいようで、次々と繰り出される言葉の刃に藤李は傷付く。
「行くわよ。店の服に着替えて、早速、働いてもらうから」
「お願いします」
藤李は黄菊の後を追うように部屋を出る。
出る前に木蓮と呂花に一礼するのは忘れない。
小さく手を振る木蓮と視線を交わして頷き、扉を閉めた。
藤李が退室し、その足音が聞こえなくなる頃に呂花は口を開いた。
「好きに使って良いのだな?」
「常識的な範囲であればな」
木蓮は呂花に告げる。
「じゃが、床には着かせるな。この店も、そなたも、ただでは済まなくなるぞ」
その言葉に呂花は眉を顰める。
「よほど、あの娘を気に入っているな? あの汚い娘に何がある?」
「そなたは分からずとも良い」
そう言って木蓮が楽しそうに笑うものだがら呂花の苛立ちは増す。
「では、頼んだぞ」
木蓮は立ち上がり、衣を翻す。
何年経っても変わらない美しい容姿、優雅な所作、生まれながら強力な法力を持つ貴族の姫。
憎らしくて仕方がない。
仕舞には数多の縁談の中から選んだのは一族の長になる男だった。
貪欲に己を磨き、ここまで登りつめた呂花とは対象的に木蓮は何でも持っていた。
敵わないことは分かっていて既に諦めているのに、どうでもよく思えた頃に昔の悔しさを思い出させに来るのだ。
あの汚い娘には恨みはないが、木蓮の持ち物だと思うとどうにも好かない。
呂花は意地の悪い笑みを浮かべる。
どうせ今宵だけ。
黄菊にたっぷりこき使われるがいいわ。
のし上がるために他者を蹴落とすことに躊躇いのない黄菊だ。
自分をよく見せるためのやり方を心得ている。
客前に出すなと念押ししたが、黄菊は藤李の醜さを利用するに違いない。
『床には着かせるな』
木蓮の言葉に失笑する。
あの汚い顔では床に連れ込もうとする者などいるわけがない。
「どうせ今夜だけだ……ふふっ」
金づるとやらを待ちながら木蓮の持ち物がいたぶられる様子を見て楽しむとしよう。
真誠が目を覚ました時には既に日は高く、こんなに長くまで寝ていたのかと自分自身が驚いていた。
昨晩の胸の痛みも頭痛も嘘のように引いていて、清々しいほどだ。
「真誠様、お目覚めですか?」
寝室の外から聞こえるのは雪斗の声だ。
「声を掛けても起きないので心配しましたが、気分はどうですか?」
部屋に入るなり、心配そうな表情を浮かべる雪斗に訊ねた。
「珍しいじゃない。君が来るなんて。獏斗はどうしたの」
「あぁ、獏斗は昨晩森の中を奔走してまして」
「は?」
森の中を何のために?
真誠が首を傾げる。
そして雪斗は懐から玉の付いた紐を取り出し、真誠に渡した。
「藤李さんが森で失くした法力石です」
「わざわざ探してたの?」
「えぇ、もう必死で」
雪斗は今朝方、目の下にクマを刻み込んだ獏斗からこれを真誠に渡すように託された。
『真誠様から藤李に手渡して欲しい。そうすればきっと……』
藤李さんも喜ぶし、主も藤李さんの喜ぶ顔が見れる上に、株が上がる。
兄弟は信じて疑わなかった。
真誠は法力石を摘まむようにして持ち、まじまじとそれを見つめている。
早く渡しに行きたいんだろうな。
とりあえず、お湯の用意と食事の支度をしよう。
話はそれからだ。
「じゃあ、今からお湯の用意をするのでその間に食事を……」
済ませて下さい、と言いかけた時だ。
バリンっと音を立てて真誠が摘まんでいた法力石を粉々に砕いたのだ。
「えぇっ⁉」
何してんの⁉
雪斗は声には出さないが心の中で叫んだ。
獏斗が徹夜で探し出した法力石は見事に粉砕され、小さな欠片すらも残らない。
紐すらも消えてなくなってしまい、獏斗の努力は塵も残らず消滅した。
「たまにはいい仕事するね。胸が空いたよ」
そう言って身内でもめったに拝めない微笑を浮かべた。
獏斗……あんたの努力は跡形もなく消えてしまったがあんたがあんなにも見たがっていた主の笑顔は確かに俺が見届けたぞ。
雪斗はここにはいない獏斗に心の中で手を合わせた。
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