第22話 白家の嫁に

 苛立つ主の背中を追いかけて獏斗は部屋を出る。


 何となく、纏う空気がピリピリしているので話し掛けにくいと獏斗は思った。

 いつもよりも早い歩調で廊下を進み、向かったのは当主室にいる木蓮の元だ。


「来たか」


 待っていた木蓮に促されて机の前に真誠が立つ。

 獏斗は少し下がり、真誠の斜め後ろに並んだ。


 ん?


 視線で室内を見渡せば窓のガラスに亀裂が入っている。


 最後に自分がこの部屋を訪れた時はこのような状態ではなかった。

 いくつもある窓には大きいものから細かいものまで漏れなくヒビが入っている。窓だけではなく戸棚のガラスにも亀裂が見られた。


「まずは虎の件について話しを聞こうか」


 説明を求めた木蓮に真誠は話始める。


「現れた虎の額には法力石が埋められていた」


 真誠の言葉に木蓮は不愉快そうに眉を顰める。


「彼女が気付いて法力石を壊した。虎はそのまま森に戻ったよ」


 虎が現れただけでも騒動なのに法力石が埋め込まれた虎とは一体、どういうことなのか。


「それは本当に法力石だったのですか?」


「間違いないよ。何の術が掛かっていたのかは知らないけど。使用者を狂わす、黒い法力石だ。随分と脆いところを見ると粗悪品のようだけどね」


 獏斗の問いに真誠は答えた。


 木蓮も真誠の言葉に押し黙る。

 扇を広げて木蓮は何やら思考を巡らせているようだ。


「僕も聞きたいんだけど。何で彼女がこの邸にいるわけ?」


 真誠は言葉と共に苛立ちをぶつけるように言った。


 その疑問に獏斗は引っ掛かりを覚えた。


 今まで藤李に関して何も言わなかった真誠だが、この口振りから初対面

ではないことが覗える。


「何じゃ、そなた。藤李を知っていたのかえ?」


 獏斗と同様に木蓮も目を大きく瞬かせている。


 一体、どこで知り合ったのだろうか。


 真誠の交友関係は一通り把握しているが、その中に藤李はいなかった。

 獏斗は首を傾げる。


 記憶の隅まで探すが、藤李のような女性を見た覚えはない。


「さっきも言ったじゃろ。人攫いを捕まえるのに貢献した藤李を気に入った。だから連れて来た」

「気に入った?」


 木蓮の言葉に真誠の纏う空気が急に冷たいものに変る。

 嫌な予感を獏斗は感じていた。


「あぁ。そうじゃ、獏斗」


 急に名指しで呼ばれて獏斗は肩を跳ね上げた。


「そなた、今年でいくつになる?」

「二十二歳になりますが……」


 何だ、この唐突な質問は。


 獏斗は本能的に嫌な予感を察知する。


「そろそろ結婚してもいい歳じゃな。藤李はどうじゃ?」


「はいっ⁉」


 自分に振られた結婚話に思わず素っ頓狂な声を上げる。


 本家に仕えて早十数年、真誠と木蓮から数々の嫌がらせと思しき無茶ぶりをさせられてきた獏斗は大抵のことでは動じない。


 しかし、他人の人生を大きく巻き込んだこのような無茶ぶりは流石に経験が少ない。しかも今日、初めて会った相手だ。


「どこの馬の骨かも分からない娘を白家に迎えるつもり?」


 真誠の言葉は最もだ。


 素性のよく分からない今日初めて会った相手を嫁にするなど、性急過ぎるのではないかと獏斗は思う。


「なかなか見ない器量良しじゃ。仕事もできて気も利く。身軽で自分の判断ですぐに行動できる。素性は調べておる最中じゃ。それとも真誠。そなたの知り合いであれば調べるまでもなかったかえ?」

「顔と名前を知っている程度だよ。素性まで知らない」


 どの道調べる必要はあると木蓮は言う。


「のう、獏斗。そなたも満更ではないじゃろう?」


 そう言われると確かに藤李は可憐で凛々しい娘だ。

 佇んでいる姿に思わず見惚れてしまうほど。


「まぁ、そうですが……え……?」


 肌にビリビリと刺すような痛みを感じる。


 ギシギシと何かが軋むような音がしたと思えば、バリっと窓に嵌め込まれたガラスの亀裂が深くなり、一部が割れて床に散る。


 これ、まさか、『気出』か⁉


 法力を有する子供が癇癪を起したり、強い感情を爆発させる時に起こる無自覚の法力の放出だ。


 感情を制御できない子供が稀に起こすもの。感情を制御できる大人が起こすことはあまりない。


 獏斗は『気出』の出所を探るが思いがけないほど近くに根源があった。


「何じゃ、真誠。言いたいことがあるのかえ?」


 面白いものを見る目で木蓮が言う。


 部屋の温度は急激に下がり、肌に刺すような法力の圧、ガラスに亀裂が入り、棚や机、柱が軋むほどの感情の波が真誠から起こっている。


 それに気づいていないはずはないのに木蓮は揶揄うように真誠に問い掛ける。


「そうだね……」


 小さく呟き真誠は獏斗の方に視線を向ける。


 マズい……。


 人を殺せそうなほどの鋭い視線が獏斗に向けられ、背筋が冷えた。


「言いたいことは色々あるんだけど」


 決して責めるような口調ではないのにその言葉からはとんでもない圧を感じ、獏斗は久々に震え上がる。


「ねぇ、獏斗。まさか、君……」


 真誠の言葉に獏斗は固唾を飲み、続きを待っていた時だ。

 ボワンと法力で張った結界に異変が起きる。


 外部から邸に向けて何者かが法術を使用しているようだ。

 目に見えない法力の壁が外側からの法力を受けて波打っている。


「今日は来客が多いようじゃな」


 攻撃にしては微弱な法力だ。

 この程度で木蓮の張った結界は壊せない。


「俺、確認してきます」


 そう言って獏斗は踵を返す。


 何故だかは知らないが真誠の機嫌が非常に悪い。

 特に気に障るようなことをした覚えも言った覚えもない。


 何が原因か皆目見当もつかないが、ここにいれば真誠の気出と眼力に殺される

 獏斗は退避できる口実に感謝した。


「失礼致します、木蓮様、若様」


 しかし獏斗が部屋を飛び出そうとすると使用人が扉の前に立ちはだかり、獏斗を阻む。


「駿鈴羽様がいらっしゃっております。こちらに『陣』という者が来ているはずだから出してくれと」


 その言葉で真誠の気出による圧は収まった。


「僕が行く」



 いかがしましょうか、と使用人の問いに答えたのは真誠だ。

 その表情には隠し切れない憤りと苛立ちが滲み出ていた。






「獏斗、そなたは何か藤李から聞いておるか?」


 真誠が退出した部屋で木蓮は獏斗に訊ねた。


「宮妓だということしか」

「ほう」


 意外そうに木蓮は言う。


「ならば真からは? 何か聞いておるかえ? あの二人は知り合いのようじゃが」


「それに関しては自分も初耳でして。そもそも女性と付き合いたがらない方ですし、王都にいる間は仕事詰めで遊興することもありませんので……」


 夜遅くまで仕事をして、朝早くから出仕しているのだから、遊ぶ暇など皆無だ。

 休みの日は本家から頼まれた仕事をしているので休まらない生活をしている。


 木蓮がもっと仕事を詰めてくれれば真誠の負担は減るのだが、『いずれ継ぐ家督のためにやらせている』と言われれは何も言えない。


 当主と木蓮の間に子供は真誠のみ。


 木蓮は当主に愛人を持たせなかったし、他に異母兄弟もいないため、真誠は幼い頃から人よりも期待と負担は多かった。


「二十五にもなる男が女の影もないとは。まさか、あやつは男色か?」

「いえ! そんなことは決して!」


 獏斗は声を大にして否定する。


「あやしいものじゃ。顔は妾と景誠のいい所取りだというのに」


 傾国の美姫と言われた白家の分家筋の木蓮と彼女を射止めた本家当主である景誠も美丈夫だ。


 美男美女の夫婦から生まれた美男が真誠である。


 その美貌は老若男女問わず魅了する兵器のようなものでその気になれば傾国も夢ではない。


「獏斗、そなた、真誠が好みそうな美男を見繕って参れ」

「いやいやいや!」


 獏斗は全力で拒否と否定の姿勢を見せる。


 そんなことをしたら間違いなく真誠に沈められてしまう。


 しかし、木蓮の脳内では既に真誠は男色であると決めつけているようで『少なくとも十人は要る』などと口走っている。


「昨晩の宴で女性に髪紐を贈っていました!」

「誠か?」


 思わず獏斗は口走ってしまった。


 言って良いものか迷ったが言わずにはいられなかった。

 自分の主が男色だと思われるのはやはり嫌だった。


 本当に真誠が女性に興味が持てず、男との関係を望むのであれば獏斗は腹を括って真誠の幸せを応援するつもりだ。


 しかし、男色ではないのに男色だと思われるのは汚名を着せられているように感じる。


「誰じゃ? 誰に髪紐を贈った?」


 身を乗り出して喰い付く木蓮に獏斗言いにくいが口を割ることにした。


「真誠様の話によると舞をした宮妓のようです。藤李さんの知り合いだそうですが……」

「藤李の知り合いかえ? 名は?」


 言いにくいが言うしかない。


「名前は聞けませんでした。どうにもその女性は真誠様に興味関心がないようなのです。紫央玲様の寵愛を受けているから、と」


 鋭い視線が木蓮から放たれる。


 手元の扇を閉じるとぱしんっと子気味良い音が室内に響き、どこからともなく現れたのは黒い装束の男達だ。


 木蓮の前に跪き、彼女の命を待つのは白家の情報収集部隊『白眼』である。


 当主、もしくは当主代理の命令によってのみ動く。


「お呼びでしょうか、木蓮様」

「昨晩の王宮で行われた宴で真誠が髪紐を贈った宮妓を見つけ出せ」

「御意」


 凛とした声が響き、頭を深く下げた男達は霧のように消えていく。


「宮妓であれば身分は高くとも中級。我が白本家には敵わぬ。紫央玲にとっても遊女でしかないはずじゃ」


 相手が王族であろうと躊躇しない木蓮に獏斗は少しだけ顔を引き攣らせる。


「王族に噛み付くことになるかもしれませんよ」


 獏斗は藤李に同じことを言われていたのをすっかり忘れ、木蓮に助言する。


「駒は先に手に入れた方が勝ちじゃ」


 さらりと言って退ける木蓮からは躊躇いも恐怖もない。


 流石、大貴族白家の当主代理を務める女傑である。

 欲しいものは必ず手に入れる、白木蓮とはそういう人だ。




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