第21話 マズい状況

「尚書、私、実は非常にマズい状況なんです」

「何が?」


 藤李は抵抗を止めて、大人しく俵のように真誠に担がれて移動の最中に思い出した。


 私、駿家に行かなきゃならなかったんだ!


 駿鈴羽にはこの町に着いたら真っ直ぐに駿家に向かうと伝えてあるし、遅くても夕方頃には着くつもりだった。


 央玲も用事が済み次第、駿家で合流する予定だ。央玲の用事は済んだのではないだろうか?


 だとすれば真っ直ぐに駿家に向かったはずの藤李がいないことに気付いて慌てて探し回っているかもしれない。


 西日が強く差し込み、光が茜色を帯びている。


 早く駿家に行かなければマズい。

 せめて自分がどこに居るのかだけでも伝えたい。


 文を届けてもらう? いや、自分で直接向かった方が早いし楽だ。

 馬とか借りれないだろうか。いや、でも頼みづらいな……。


 やっぱり直接向かうのが一番だ。


「大事な用があって、どうしても行かなければならないんです」

「そのズタボロの足とへろへろの身体でどこに行くの? 何なら使いを出すよ」

「どの道、会わなきゃならない人なので私が行かないと。本当ならもう着いている頃なので向こうも心配しているかも知れない」


 央玲と鈴羽とは会って話をしなければならないし、今夜は駿家に泊めてもらう予定だし、騒ぎになっていても嫌だ。


 もしかしたらもう騒ぎになっているかもしれないが、一刻も早くここを出て無事を知らせなければならない。


 話しているうちに真珠の間に着き、長椅子の中央に降ろされた。


「なら、うちの馬車を貸すよ。それで行けば?」

「良いんですか⁉ ありがとうございます!」



 それはありがたい。

 思ってもみなかった申し出に藤李は手を合わせて感謝する。


「先に使いを出して知らせてあげる。そうすれば到着が遅れても平気でしょ」


 そんなことをしてもらって良いのだろうか。

 使いの人に申し訳ないが、ここは素直にご厚意に甘える方がいいだろう。


「本当にありがとうございます」


 藤李は初めて上司に心からの感謝の言葉を口にした。


「良かった」


 気持ちが落ち着き、表情も綻ぶ。


「じゃあ、使いを出すから。どこで誰に会う約束だったの?」

「駿家の駿鈴羽様です」


 藤李は安堵したままの綻んだ表情ではっきりとその名を口にした。


「……駿……? あの金貸しの?」


 硬くなった真誠の声に藤李は気付かず続けた。


「はいっ! そうです。今夜はそこに泊めてもらう約束で……」 


 言い終えるより前に真誠が藤李の右隣にどかっと腰を降ろした。


 しかも纏う雰囲気が先程とは違い、何だか空気がピリピリしている。

 表情も眉根を寄せて不機嫌を全面に押し出している。


 私、何か気に障ること言ったっけ?


 身に覚えのない藤李は上司の雰囲気の変わりように戸惑う。


「君、正気?」


 口を開いたかと思えば厭味ったらしく真誠は言う。


 長い腕を伸ばして藤李の左側の背もたれを掴んで藤李を囲い込む。


 膝がぶつかりそうなくらい近くに座られて藤李はその距離の近さに緊張してしまう。


「えっと……そのつもりなんですけど」


 正気って、正気だけど。


 すると真誠は眉間のシワをより一層深く刻み込み、藤李を睨み付けた。


「いくら必要なの?」

「…………はい?」


 真顔で言う真誠に藤李は目を点にした。


 真誠はゴソゴソと懐を弄り袂から財布を取り出して藤李に投げた。

 勢いで紐が解かれて中身が顔を出す。

 大量の金貨の中に数枚の銀貨が入った財布は重い。


 これだけあれば小さな邸がいくつも買えるし一生遊んで暮らせる。


 思わす、ごくりと生唾を飲んでしまった。


「足りる?」

「いや、あの……」


 突然のことに驚いて言葉にならないが、足りる足りないの問題じゃない。

 何か勘違いしてないか、この人?


「あの、お返しします。間に合ってますので」


 藤李は財布の紐をきつく結び直して真誠の膝の上にお返しした。

 その行動が更に真誠を機嫌を損ねてしまったようで、無言で凄まれる。


「いや……あのですね……」


 怖い。


 でも、何て説明すればいいのだろうか。

 駿家に行くのは聖域に関する情報と虎の密猟に関する情報を求めてのことだ。

 この人にどこまで話して良いのだろうか。


 そう言えば、私、普通に『尚書』って呼んじゃった!


 気付いてから身体の芯が冷えるような感覚を覚える。


 男装した小間使いの『陣藤李』と昨晩の宮妓の『李』が混同してしまった。


 真誠から見たら男の藤李が宮妓として舞をしていても、女の李が男装して小間使いをしていてもおかしな話だ。


『性別がバレるようなヘマはするなよ』


 瑠庵の呪詛のような言葉が脳裏に蘇り、藤李は青ざめた。


 どうする? どこまで話す? いや、まだ騙せるか?


 いや、まだ望みはある。


 真誠はとても目立つし有名人だ。宮妓の『李』が真誠の存在を知っていて役職で呼んだだけの話で……。


 いや、ダメだ。もう木蓮様にも獏斗にも『陣藤李』で名乗っちゃったし、藤李なんて名前そんなに多くないし、ダメだ……誤魔化せない!


 女だってバレたらもう戸部にはいられない。

 戸部にいられなくなったら次はどんな無茶をさせられてどこに行かされるんだろう……。


 藤李は心の中で泣いた。


 藤李が必死に思考を巡らせていると突如、顎に指が掛かり、上を向かせられて真誠が強引に視線を絡ませてくる。それによって藤李の思考は吹っ飛んだ。


 

「正直に話しなよ」


 怒気を含んだ声音で真誠は真っ直ぐに藤李を見つめた。


 不機嫌そうな表情ですら何でこんなに色っぽいのだろうか。

 藤李は深い緑色の瞳に見つめられると段々と思考が奪われていく気がした。


「真誠様、雪斗が参りましたよ」


 控えめな百合の声と共に獏斗と一人の青年が部屋に入って来た。

 三人は目を丸くして藤李と真誠を凝視している。

 妙齢の男女が必要以上に接近しているのだから無理もない。


「あぁ、随分と久し振りだね、雪斗」


 三人の視線をものともせず、真誠の棘のある言葉に雪斗と呼ばれた青年は震えながら視線を逸らす。


「お、お久しぶりです真誠様」

「本当は暇なんて与えてないはずなんだけど随分姿を見てなかったね。仕事してくれる?」


 働き者の獏斗と違って仕事嫌いで面倒臭がりの雪斗は本家使えでありながら獏斗に仕事を押し付けてしょっちゅう姿を暗ます問題児なのだと獏斗が説明してくれる。


「してますよ、少しは……」


「泳ぎまくる視線は今もこの場から逃れる言い訳を考えているように思えてならないよ」


 ギクッと青年の肩が跳ねる。


「彼女の治療をして。傷一つ残さないで」


 真誠はそう言って椅子から腰を上げる。


「えぇ? 怪我人ですか?」

「折れたり千切れたりしてるわけじゃないんだから、無駄口叩かないでさっさと済ませて。獏斗はこっち来て。百合、彼女の着替え用意してやって」


 部屋に取り残された藤李は雪斗と呼ばれた青年と向かい合う。


「貴女が真誠様の婚約者ですか?」


 ふわふわとした口調で雪斗は藤李に訊ねたが藤李は首を横に振って否定する。


「違います」

「そうなんですか? なら良かった~」


 何が良かったのか分からないが雪斗は破顔して藤李に言う。


「白獏斗の弟、雪斗と申します。美しいお嬢さん、お名前を聞かせて頂いても?」


 にっこりと優し気に微笑んで雪斗は言う。


「私、陣藤李と申します。今日は成り行きで木蓮様に招かれまして」


 大雑把に経緯を説明して怪我の原因を伝えた。


「うん、分かったよ。じゃあ、始めるね」


 怪我の具合を確認して雪斗は言う。


「あの、自分でしてもいいですか?」

「大丈夫だよ、慣れてるから」


 お湯の入った桶で足に着いた土を優しく落としてくれるが男性に足を触れられることがもう恥ずかしい。


 そしてお湯が靴擦れした場所にしみて痛い。


 乾いた布で優しく水気を拭き取ってくれるが、布が少し触るだけでも痛みがある。


 どうしよう……靴が履けないかも……。


 指先に出来た水ぶくれとくるぶしの傷を庇いながら歩くのはかなり大変そうだ。真誠と獏斗の言葉から雪斗は治療師のようだが、おそらく藤李の治療は難しいだろう。


「じゃあ、始めるね」


 そう言って雪斗は藤李の足に手を翳す。

 淡い光が発生し傷口に集まる。


「あれ?」


 光は消滅し、傷も治癒していない。


「あの、ごめんなさい……私、法力を受けにくい体質で……」


 法力を跳ね返す、とは言わずにそういう体質ということにして雪斗の術が効かないことを伝えた。


「ごめんなさい、最初に伝えれば良かったんですけど……」


 藤李の言葉に雪斗は何やら考え込むような仕草を見せる。


「じゃあ、媒体を使おう」

「媒体?」


 雪斗はもう一度綺麗なお湯を用意してそこに足を漬けるように言う。

 言われた通りに桶に足を入れるとお湯が傷口にしみて痛む。


「このお湯を媒体にする。俺の法術をここに掛ける」


 雪斗はお湯に術を掛けるとお湯が淡く光り出す。するとじんわりと足が温かくなり、傷の痛みが引いていく。


 しばらくすると傷が塞がり、痛みは全く感じなくなった。


「凄いです! 治った!」


 興奮気味で言う藤李に雪斗は鼻を高くして大きく頷く。


「ありがとうございます!」


 藤李は靴を履いても痛まない足に感動した。


「藤李ちゃんみたいにたまに法力を受け入れない体質の人はいるんだ。そういう人の治療はこんな風に媒体を使ってじわじわ治すんだ。直接術を施せば一瞬なんだけど、それが出来ない人には術の掛かった塗り薬を使ったりする」


 雪斗はさらっと言ってのけるが、それはかなり高度な技術だ。


 希少な治癒術の使い手であり、高度な技術を持つ白家の治療師。


 それであれば多少のサボり癖には目を瞑らなければならないかもしれない。

  






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