第18話 虎

 藤李は辺りに無惨に散った椿の花と折れた枝に目を留める。


 綺麗だったのに、可哀想……半分は私のせいだけど……。


 後で木蓮様に謝罪しよう。


「獏斗、怪我は? 大丈夫?」


 惚けている獏斗に駆け寄り藤李は言う。


 よく見れば獏斗の衣服が所々裂けている。肌色の見える部分からは薄らと血が滲んでいた。


「怪我してるじゃん! 急いで手当しないと!」


 獏斗の腹部から薄ら滲む血を見て、藤李は叫ぶ。

 傷を確認しようと服を掴むと、逃げるように獏斗は後退する。


「いや、大丈夫! 本当に! 大したことないから!」


 頬に赤みさした状態で獏斗は藤李の厚意を大きく首を振って拒否する。


「君、顔も赤くない? 今日そんなに熱くないのに……」


 法力の影響か?


 藤李は獏斗の額に手を伸ばすが、その手は額に触れるよりも早く獏斗に捕まる。


「本当に大丈夫! 怪我も大したことないし、熱もないから!」


 早口で獏斗は言う。


「そ、そう? ならいいんだけど」

「うん! 大丈夫!」


 焦点が定まらず、視線が泳ぎ続ける獏斗を訝しく思いながらも藤李は頷く。

 藤李は騒ぎの大元である芙陽に視線を向ける。


 茫然と立ち尽くす彼女にわざわざ言葉をかける必要はない。


 藤李にある呪印は守印を弾くが藤李に向けられた法力も弾く。

 強い力であれば相手にそのまま跳ね返す。


 芙陽の法力がこの程度で安堵する。いくら芙陽から攻撃してきたと言っても、彼女が怪我をした責任を押し付けられては堪ったものではない。


 怪我をしてなければ問題はない。


「獏斗、手」


 藤李は未だに握られたままの手に視線を注ぐ。


「ご、ごめん!」


 慌てて手が離された。 


 そんなに勢いよく振りほどかなくても良くない?

 

 内心、そんな風に思うが口には出さない。


「とりあえず、行こう。傷はそのままだといけない」


 藤李は建物の中に入るように促す。

 砕けた茶器は箒と塵取りが必要だし、庭も荒れてしまった。


 散った椿を不憫に思いながら歩き出す。


 するとグルゥゥゥゥっと獣が喉を鳴らすような音がした。


 聞き慣れない音に獏斗と藤李は顔を見合わせて後ろを振り返る。


 その光景に目を見開く。


 さーっと血の気が引いていく。


 何でこんな所に虎がいるのよ⁉


 驚いて声も出ないが突っ立っている場合ではない。

 緊急事態だ。


 棒立ちになって動かない芙陽の背後に虎の姿がある。

 のしっと重量感のある歩みで芙陽に近付いていた。


「後ろっ! 逃げて!」


 藤李は大声で叫ぶ。

 放心状態だった芙陽はようやく我に返るが足が縺れて転んでしまう。


 虎が芙陽に近付き、助走を付けて飛びかかる。

 口から覗く牙の鋭さに息を飲んだ。


「芙陽様! こちらに!」


 獏斗が地を蹴り、その瞬間稲妻が走る。

 白い閃光がバチバチと音を立てて、虎に衝突した。


「グウルゥゥゥゥ」


 唸り声を上げながら後ろに吹き飛ぶ虎だが、身体をゆっくり起こして獲物を狙う目をこちらに向けている。


 獏斗は芙陽に駆け寄り、立つように促すが、法力を使った反動で身体が動かない。


「獏斗、君は彼女を連れて建物の中に入って。私が虎を引き付けるから」

「は? 何言ってるんだ⁉」


 藤李は獏斗の言葉を無視して腕を捲る。


 左腕には央玲のくれた法力石がある。

 物理攻撃でも央玲が守ってくれる。


 その存在を確認して藤李は走り出す。


「藤李!」


 獏斗の声を背中に虎の前に飛び出した。



 袖を振りながら、虎の注意を引き付ける。

 獏斗の稲妻のような一撃が効いているのか、身体の動きがかなり鈍い。


「おいで、こっちだよ!」


 藤李は虎を誘い、自分について来ることを確認した後、全速力で駆け出した。









 一方、当主室では真誠の言葉に木蓮は首を傾げていた。


「何じゃ? 改まって」

「獏斗が誰か連れてたでしょ」


 木蓮は口元に笑みを浮かべて答えた。


「拾った」

「は?」


 その喜々とした表情に真誠は眉を顰める。


「あの娘、人攫いにあった子供をろくに法力も使えぬくせに追いかけて捕まえおった。勇ましいじゃろ?」


 くつくつと声を抑えて笑いながら木蓮は続ける。


「どうやら宮仕えをしているらしい。宮妓か女官か……おそらく女官だろう」


 当たらずとも、遠からず。勘のいい人だ。


「実に使い勝手がいい。気も利くし、覚えも早い。妾を前に物怖じしない。実にいい」


 それはそうでしょ。仕事を教えたのは僕だし、使えるように仕込んだのも僕なんだから。


 しかし、そこで疑問が生じる。


「どういうこと? 仕事をさせたみたいな口振りだけど」

「させた。ほれ、そなたに押し付ける予定の仕事は片付いた。今日はゆっくり休むと良い」


『よく寝れるぞ』、そう言って机の上に山になった書類と積まれた書簡を指す。


 仕事を押し付けよとしていたことにも腹が立つが、それ以上に何とも言えない不快感が胸の中に込み上げて来る。


「あの娘、実にいい。これから素性を洗わせる」


 何かを企むような顔をする木蓮に真誠は訊ねる。


「そんなことをしてどうするつもり?」


 胸の中の深い感が大きく膨れ上がっていき、真誠は表情にも苛立ちを露わにする。


「妾の側に置く。そうじゃな……獏斗とは歳も近い。獏斗の嫁にでもするか」


 その言葉を聞いた瞬間に、ぶつっと何かが切れるような音が聞こえた。


 ミシミシと何かが軋み、バキッと亀裂が入るような音がして、木蓮は異変に気付き、周囲を見渡す。


 窓のガラスに亀裂が入り、どんどん広がり大きくなっていく。

 間の前にいる息子から感じる法力の片鱗に眉を顰めだ。


「落ち着け、真誠」

「落ち着いてるけど?」


 身体から刺すような法力を滲ませて真誠は木蓮を睨み付ける。

 木蓮が言葉を紡ごうとした時だ。


「失礼致します! 木蓮様!」


 大きな声で飛び込んで来た使用人に真誠ははっと我に返る。


「何事じゃ」


 血相を抱えて使用人はドアの前に膝を着き、声を張り上げる。


「庭に虎が現れました!」


 その発言は部屋にいた二人に衝撃をもたらす。

 がたんと音を立てて真誠は立ち上がり、言葉を待った。


「虎じゃと?」

「木蓮様のお客人が虎の気を引くために森の奥へ! 庭先に出ていた芙陽様が怪我をされました!」


 矢継ぎ早に使用人が報告する。


「庭のどこ⁉」

「あ、東屋のある辺りに現れ、そこから森へ……」


 真誠に凄まれた使用人はその圧に耐えながら東屋の方角を指して言う。


「待つのじゃ! 真っ!」


 背中に掛かる声に反応している暇はない。

 身体が動くのに任せて真誠は当主室を飛び出した。






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