第17話 法力

  藤李はぼんやりと景色を眺めていた。


 何故か、この場所が初めて訪れた場所ではない気がする。 


 咲き乱れる椿の花、池のほとりに咲く水仙、離れた場所に見える薄紅の桜、こんな風に腰を降ろして眺めたことがある気がして、藤李は記憶を呼び起こそうとしていた。


「お待たせ」


 大き目のお盆に茶器と焼き菓子をのせて獏斗が戻ってきた。


 卓に広げられたお茶と甘い香りのする焼き立てのお菓子に、藤李は目を細める。


「いい匂い~ 美味しそう」

「白家の腕利き職人が作った焼き菓子は絶品なんだ」


 淹れてもらったお茶を飲みながら、焼き菓子を摘まむ。


「美味しい~」

「だろ?」


 さっき頂いたお菓子とはまた違って香ばしさと生地に練り込まれた胡桃の食感が堪らない。


「ちょっと、貴女」


 お茶と焼き菓子に舌鼓を打っていると背中に鋭い声が掛けられた。


 ぎょっとする獏斗に首を傾げ、何事かと振り返る。

 そこには厳しい視線を藤李に向け、見下す女性がいた。


 ズキっと左胸に痛みを感じる。先ほどのようにチクチクとした痛みではなく、ズキンズキンと大きく痛み、思わず胸元を抑えた。


 ゆっくりと呼吸を整えると、痛みは引いていく。


「聞いてるの?」


 自分を見下す女性は先ほど真誠と共にいた人だ。


 この人が尚書の婚約者の赤芙陽ね。

 年は藤李よりも少し下だろうか。


 可憐だが気の強そうな顔立ちの女性は紅色の衣を纏い、煌びやかな装飾品を身に着けていた。


 服に縫い付けられた石と大振りの石で作られた首飾りと耳飾りが重たそうだな、などと思っていると、目を吊り上げて藤李を睨む。


「耳が聞こえないのかしら?」


 反応の薄い藤李に痺れを切らして彼女は嫌味を言う。

 甲高い声が不機嫌さを露わにしている。


「申し訳ありません、人の気配には敏感なのですが……珍しい鳥の鳴き声かと思いまして」

「何ですって⁉」


 キーキーとした金切り声は鳥の様だ。


 家格も年も下の女相手に嫌味を言われっぱなしでいる藤李ではない。

 嫌味を言い返す藤李に顔を青くしたのは獏斗である。


「貴女! 一体、何様のつもりなの⁉」

「芙陽様、彼女は木蓮様のお客人で……」

「貴方、真誠様の側仕えの者よね。この女は何なの⁉ この邸に若い女はいないはずなのにっ!」


 獏斗の言葉を遮り、芙陽はまくし立てる。


「私は木蓮様に招かれた者です」

「嘘よっ! 木蓮様は人嫌いでこの邸に人を呼ぶ事はまずないわっ! 有名な話よ。婚約者の私だって気軽に来れないのにっ」 


 じゃあ、何て答えれば納得するのよ、この子……。


 藤李も獏斗も本当のことしか言ってないのに、聞く耳持たないとはこのことだ。


「だったら、何だと思うのですか?」


 藤李は訊ねる。


 すると芙陽はとんでもないことを口にした。


「貴女、真誠様の愛人なのではなくて?」



 藤李はあまりにも衝撃的な発言に持っていた器をうっかり落としそうになった。一度は手元を離れた茶器だが、寸でのところで受け止める。


 お茶を口に含んでいたなら確実に噴き出していた。


「はぁ?」


 間の抜けた声を出し、藤李は眉を顰める。


 確かに、この邸に若い女がいれば発想を飛躍させてそういう誤解も起こるのかも知れない。


 もしかして、尚書が囲っている女だと思われてるの⁉ 私を⁉


 本家で女を囲うってどういう神経してるんだ。

 全くの誤解だ。それも酷い誤解だ。


 こうなったら、さっきほど獏斗と考えたあの案を使うしかないのでは?


 藤李は大きな溜め息をつき、獏斗に向き合う。

 お互いに顔を見合って頷き合う。


「私はここにいる獏斗の恋人です。こちらの若君には興味も関心もありませんのでご心配には及びません」


 はっきりと告げると芙陽は張っていた肩を落とす。


 しかし、今度は意地悪そうな笑みを浮かべて座っている藤李を見下ろした。


「なら、貴女の主人は私になるのよ。今のうちから跪くことを覚えなさい」


 どのみち、藤李の存在が気に入らないのだろう。


 獏斗の主人は真誠だ。芙陽が無事に真誠と婚姻を済ませれば、獏斗は芙陽にも使えることになる。獏斗と結婚するのであれば必然的にそれに倣う。


 イライラするな、本当に。


 これだから威張り腐ってばかりの貴族は嫌なんだって。


 藤李は衣の裾を払って、立ち上がる。


 緑色の衣がふわりと優雅に靡き、黒い髪がそよ風に揺れた。


「っ……」


 微かに息を飲んだ芙陽の前に軽い足取りで近づき、彼女を見下ろす。

 藤李の方が背が高いので必然的に見下ろせる。


 そして耳元で囁くように言った。


「私がもし獏斗を選んだのなら、彼は若君に使えることも出来ないし、もちろん貴女に仕えることもないわ」


 この意味がこの子に分かるならありがたい。


 ギリギリと奥歯を噛み締めて芙陽は拳を震わせる。


 王家に名を連ねる藤李と赤家の分家筋では家格が違い過ぎる。

 彼女は内心、藤李がどこの貴族なのか思考を巡らせていることだろう。


「獏斗、行こう」


 獏斗は手早く茶器と残ったお菓子を盆の上にのせて芙陽に一礼して歩き出す。

 するとびりっと鋭い何かが肌を刺した気がした。


 これは、法力?


「待ちなさいよっ!」


 藤李が振り向くのと芙陽が叫ぶのは同時だった。


 芙陽から放たれた法力の波が藤李に向かって走ってくる。

 突風のような強い風の刃が藤李に放たれた。


「藤李さん!」


 獏斗が持っていた茶器は吹き飛ばされ、地面に落ちた茶器がガシャンと音を立てて砕けた。風の刃は獏斗の服を裂き、庭の花を荒した。


 獏斗が藤李に手を伸ばすよりも早く、芙陽の法力波が藤李にぶつかる。

 しかし、芙陽の法力は藤李にぶつかる寸前で力を失い、消えてしまう。


「な……なんでよ……どうして……」


 精一杯の法力を込めた芙陽の一撃は儚く藤李の前に砕け散る。


 憤りに任せて一気に力を込めたため、手足がヒクヒクと痙攣して力が入らない。がくがくする脚で身体を支えるのが今できる精々だった。


 それだけの法力をぶつけた相手は平然としている。


 信じられないものを見る目で芙陽は藤李を凝視する。


「残念ね。もう少し威力が強ければ今のがそのまま貴女に跳ね返っていたのに」


 そう言って藤李はにっこりと微笑んで見せた。

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