第16話 本心
「よくぞ参られた。赤家の姫よ」
木蓮の歓迎の言葉に赤芙陽は頭を下げた。
「お招き頂き、ありがとうございます、木蓮様」
恭しく言葉を発するがその表情からは『来てやった』感が否めない。
それを木蓮も理解している様で扇の向こうで表情を隠して笑っているのが見て取れる。
「お父上にもお変わりはないかえ?」
「はい。変わりなく。父も白家の皆さまにお会いしたいと申しておりました」
「それも、ほどなく叶うであろうな」
「我が一族もその日を心待ちにしております」
二言、三言、言葉を交わした後、『連れて行け』と目配せされる。
真誠は息をつき、当主室から芙陽を連れて退室した。
別室を目指して廊下を進む途中で芙陽が足を止める。
「お庭の椿が美しいですわね。見てもよろしいですか?」
「……構わないよ」
正直、さっさとお茶でも飲んで帰ってもらいたい。
こうやってダラダラと時間を共にするのは酷く苦痛で、生産性もない。
定期的に行うことが義務付けられているお茶会が真誠は心底、面倒に感じる。
廊下から庭に繋がる扉を開けて外に出る。
勝手に散策して、勝手に帰って欲しいぐらいなのだが、余所者を一人で残すわけにもいかない。
そう思い、適当に歩いて庭の椿を眺めていると芙陽は突然立ち止まる。
「……仮にも婚約者へのその態度は如何なものかと思いますわ」
不満そうな口調で芙陽は言う。
「君は婚約者に何を求めているわけ?」
婚姻は家同士の繋がりを持たせるための手段だ。
当事者達の意志は関係ない。
「貴方からは私を敬う姿勢が見えません。もっと婚約者である私に敬意を払い、大切に扱うべきではなくて?」
敬意など払っていないのだから、そんなものが見えるわけない。
この女は自分が白家に婚約を申し込んだ格下の貴族であるということを失念しているらしい。それともこの婚約を取り付けた父親から何も聞かされていないのか。自分が家で蝶よ花よともてはやされてきたために、自分が何よりも価値のある女だと勘違いしているのか。
勘違いも甚だしい。
しかし、ここで突き放しても後々面倒なことになるのは目に視えている。
「具体的には?」
「接吻の一つでもして下さらない?」
真誠はその言葉に驚き、目を剥く。
幼い頃から自分に向けられるのは決まって『嫌悪』か『色欲』だった。
呪印持ちを嫌悪するというのに、自分の容姿を見れば目の色を変える者がほとんどだった。一度、昂った欲望は執拗に真誠を追いかけて来る。
この女もそいつらと同じ目をしている。
「……そう」
胸の中で渦巻く嫌悪感をそのままに、芙陽を抱き寄せる。
抱き寄せると強い香が鼻を殴ってきて、眩暈が起きそうだった。
そのまま赤い紅の引かれた唇に自分の唇を押し付ける。
唇を離せば恍惚とした表情を浮かべて熱っぽく瞳を潤ませる女の姿が飛び込んできて吐き気がした。
「これで満足?」
「……なっ……!」
自分の唇を荒っぽく袖で拭えば、赤い紅がべっとりと付着していた。
顔を真っ赤にして目を吊り上げる芙陽に背を向けて真誠は歩き出す。
「散歩は終わり。行くよ」
そう言って真誠は目的の部屋に向かって廊下を進む。
背中越しに芙陽が憤っているのを感じるがそこまで世話を焼く必要もない。
婚約者としての対面を多少繕えればそれで充分なのだから。
「真誠様、木蓮様がお呼びです」
使用人から部屋の前で声を掛けられた。
いい口実だ。
「分かった。すぐ行く。君は先に部屋でお茶でも飲んでいて」
真誠はこれ幸いと芙陽から離れる。
不機嫌な芙陽を部屋へ押し込み、芙陽が連れて来た侍女に世話を頼んで真誠は部屋を出た。
真誠は足早に当主室に戻り、木蓮に椅子に座るよう促された。
先ほど来たばかりの部屋は窓が全て開け放たれていて風の通りが非常に良い状態だった。
「臭くて敵わぬ」
そう言って広げた扇で自分の周りの空気を入れ替える。
あの匂いがキツイのは自分だけでなくてほっとする。
「そなた、よくあの娘の側に立っておられるな?」
「誰のせいだと思ってるの」
真誠は木蓮を睨み付けて不満を口にする。
すると木蓮はわざとらしく視線を逸らす。
「しばし、我慢せい」
この婚約は形だけ。
あんな女との婚姻などご免だ。
それを分かっているから耐えられる。しかし、この母のことだ。
いつ『やっぱり結婚してしまえ』と言われるか分からない恐怖がある。
絶対にしないけど。
もしそうなったら当主代理の座を奪い、権限も一緒に奪うだけ。
「安心せい。いくら妾でもあの娘が嫁になるのは嫌じゃ」
そうだといいけど。
何せ、この人は何を考えているのか分からないところがある。
息子ながら、この人以上に怖い人はいない。
そんな風に考えていた時、ふと思い出した。
「そう言えば、聞きたいことがあるんだけど」
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