第15話 接吻と鬱憤

 お願いだからもう諦めて。


 藤李は心の中で切実に願う。


 隣りにいる獏斗はこれだけ言っても主が髪紐を渡した女性に会いたいというのだ。


 私だよ、それ。


 白い玉飾りのついた、濃い緑色の髪紐は美しい糸で丁寧に編まれたもので編み込まれた時の出るような毛羽立ちもなく、滑らかな肌触りで艶もあり、品の良い物だ。


 私以外に受け取った女性がいるのであれば人探しに協力してもいいが。


「何か欲しいものはない?」

「ない」


 庭を歩きながらも獏斗は探し人が目の前にいることを知らず、交渉を続けていた。


 金品で私が首を縦に振ると思わないで貰いたい。

 国王の従兄弟はそんなものでは陥落しない。


「君、もう諦めなよ。王族に噛み付く気なの?」


 央玲の名前を出してもまだ引き下がらない彼の心臓は相当丈夫に出来ている。


 流石、真誠を主というだけはある。

 あの嫌味しか言わない男の元で働き、鉄のように打たれて強くなったに違いない。


 初めて自分と同じような境遇の者と出会えたことを藤李は内心嬉しく思っていた。

 彼が困っていたら手を貸してあげたいとは思うが、この件だけはそうはいかないのだ。


 池の周りに造られた歩道をゆったりとした歩調で進み、東屋に辿り着いた。


 傍らには水車があり、森の奥から流れて落ちる水の勢いでゆっくりと回転していて風情がある。


 池に水が落ちる音を聞きながら、手摺から下を覗きこむと池の中を優雅に鯉が泳いでいる。


 ふと視線を母屋の方に向けると、藤李達が歩いて来た方向とは逆の方から二人の男女が歩いて来た。


「げ」


 藤李は驚きの表情を浮かべたまま凍りついた。


 そこには紅色の衣を纏う、可憐な女性と並び立つ上司の姿があったからだ。

 藤李は反射的にしゃがみ込んで身を隠す。


 何故、ここに⁉


 いや、生家なのだから居てもおかしくないんだけど。でも、あの人、仕事ばかりで自宅どころか生家にも寄り付かないと有名なのに。


 連休に里帰りしていたなんて思わなかった。


「マズいな……こっち来る」


 そう呟いたのは獏斗である。

 藤李と同じ様に東屋の塀の影に隠れて身を小さくしていた。


「もしかして、あれが噂の婚約者様?」

「あぁ……赤家の分家の芙陽姫だ」


 その名は藤李も耳にしたことがある。分家から久しく法力の高い姫が生まれたと。


「定期的なお茶会が義務とされているからな。今日はそのお茶会の日でわざわざ赤州からご足労頂いているってわけ」

「なるほど」


 だから尚書も生家に戻ってきていたわけか。


 納得しながらも疑問も生まれる。


 先ほど茶屋で衝立越しに文句を言い連ねていたのは彼女なのでは?


 茶屋で不本意な婚姻だと大きな声で言い放っていたのを思い出す。

 分家の姫で強い法力を持ち、もてはやされてきたのであれば、国王瑠庵の妃を夢見てもおかしくはなさそうだ。


「というか、何で隠れる必要が?」

「あの姫様は可愛いんだけど、凄く面倒な性格なんだ。女性の君が鉢合わせるのは上手くな……いや、俺の恋人ってことにすれば大丈夫か?」

「必要であればそういう嘘も仕方ないわ」

「非常に助かる」


 確かに、もうすぐ嫁ぐ予定の家に見ず知らずの若い女がいるのであれば気にならない方がおかしい。


 それも相手は国宝級の美貌を持つ白真誠だ。


 側にいれば女は確実に目の色を変える。

 自分のせいで他人の婚姻が拗れて責任を追及されたら堪らない。


 もし、鉢合わせてしまっても獏斗の恋人ということにしてもらえばそれでいい。もう二度とこの邸の敷居を跨ぐこともないのだから。


「随分と仲睦まじい様子ですけど、余所の女を挟んで三角関係を作る必要性が理解できないんだけど」

「いや……それは、その……色々あるんだよね……。それに当人の意志は関係ない婚姻だし、互いに乗り気では……」


 獏斗が歯切れ悪く言っている間に歩いている二人に変化があった。


 真誠と婚約者の芙陽は互いに向かい合い、視線を絡ませている。

 そして真誠の方が動いた。


 芙陽を引き寄せ、少しだけ屈んで彼女の唇に口付けを落とす。


「「…………」」


 しかも長い。


 彼らの顔が離れるまで藤李と獏斗は無言を貫いた。


「あれのどこが乗り気じゃないって?」


 呆れた声しか出て来ない藤李に獏斗は気まずそうに視線を彷徨わせる。


 乗り気じゃないどころか、真昼間からノリノリじゃない。


 そう思うと腹が立ってくる。


 何だか呪印のある左胸にチクチクとした小さな痛みまで感じ、胸元を擦る。


 自分から熱い接吻を贈る相手がいるならその人だけ大事にしていればいい。


 私を巻きこむな。


 それに獏斗の言うような特別な意味はあの髪紐にはない。

 私の珍舞を見た見物料として支払ってもらったに過ぎない。


 それに、私は本当に何とも思ってないから。えぇ、特別な意味なんかないことも知ってますので。


「あ、戻って行くね」


 真誠と芙陽は母屋の方へと引き換えして行く。


 その様子を見て藤李と獏斗は立ち上がり、胸を撫で下ろす。

 腹の奥で煮えそうな何かを必死でなだめて藤李は獏斗に訊ねた。


「ねぇ、あっちには何があるの?」


 藤李は森の奥を指す。


 話題を変えるために、藤李は既に知っている情報だが、改めて獏斗で情報を確認する。


「あぁ、ずっと森が広がっているよ。春には貴族を招いて狩りをしたりする年もあるかな。その更に森の奥は聖域になってるんだ」


 気まずい空気を断ち切るかのような明るい声音で獏斗は答えた。

 立っている位置から西側を指して獏斗は続ける。


「森は白州と赤州の境を跨いで広がってる。白州には神獣白虎が、赤州に神獣朱雀が住んでいると伝えられている。お互い、聖域には不可侵の条約を結んでるし、そもそも聖域には結界が張られていて普通の人間には出入りできない。聖域の周りには凶暴な虎が住んでいるからよっぽどのことがなければ誰も森には立ち入らない」

「虎がここまで来ることはないの? この場所は森と繋がっているんでしょ?」


 この邸の敷地がどこまで続いているのかは分からないが森に隣接しているのだから、虎が迷ってくることもあるのでは。


「滅多にないよ。結界も建物の周りにしか張ってないし」


 それは主に人間避けらしい。


 少し不用心な気もするが、そもそも大貴族白本家に侵入しようとする輩は命知らずと何も知らない馬鹿だけだ。


 木蓮様も隣に立つ獏斗も並々ならぬ法力を身体から感じる。


 普段から桁違いに強い法力を持つ真誠の側にいるので、身体が麻痺しているが、獏斗もこの邸ですれ違った使用人達も人並みか、それ以上の法力を有しているのは藤李も感じている。


 強盗が押し入ってもボコボコにされて終わりだ。


「……せっかくだから、ここでお茶をしない? 向こうへ行くとまた鉢合わせしそうだし」


 唐突な提案に藤李は目を瞬かせる。


 先ほどお茶は頂いたばかりだが、今の一瞬で既に喉は渇きを覚えている。

 正直、真誠と遭遇しても面倒なことになりそうで嫌なので藤李はありがたい提案に頷く。


「そうだね……せっかくだし、そうしようかな」

「寒くはない?」


 今日は天気も良くて日差しが温かい。風は涼しいが、寒いという程ではない。

 そういった気遣いができる獏斗はとても優しいと思った。


「大丈夫」

「じゃあ、お茶の準備をしてくるから、少し待っていて」


 余所様の邸で勝手に動きまわるのも迷惑だ。

 藤李は獏斗の言葉に甘えて東屋の椅子に腰を降ろして待つことにした。


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