第13話 婚約者
「お美しいですよ、藤李様」
そう言って百合は手際よく藤李の身支度を整えていく。
湯殿に浸かり、身体が温まったのは良かったが、それからが問題だった。
木蓮が用意してくれた服は女物だ。
「あの……できれば男物の方が……」
「何をおっしゃいます。木蓮様が手ずからお選びになられたのですよ」
百合の言葉には穏やかな表情であるのに物を言わせぬ圧がある。
「まぁまぁ、お肌もこんなに綺麗で。お化粧は軽くで良いですね」
そう言いながら百合は藤李に薄く化粧を施していく。
緑色の衣に青色の帯を締め、飾り紐は桃色だ。
降ろした黒髪には丁寧に櫛を入れられ、耳の側に花の髪飾りを付けてもらった。
「いかがですか?」
百合が鏡で自分の姿を確認するように促す。
「…………びっくりしてます」
こんなことになるなんて思わなかった。
自分の顔は見慣れているがいつもあるそばかすがないだけで落ち着かない。
「色んな事情がおありだとは思いますが、ここにいる間は何も心配せず、本来のお姿でお過ごしください」
そう言って百合は微笑む。
「……ありがとうございます」
普段から男の格好しかしていないので女物を着ることが少ない藤李だ。
昨夜の宴のように人前に出ることも滅多になく、仕事も外に出る時も男物の服がほとんどだ。
こんな風に余所で女性らしい格好をして綺麗に着飾るのは本当に久しぶりで本音は嬉しい。
それを見透かしたような百合の言葉に藤李は嬉しくなった。
「では参りましょうか」
そう言って案内されたのは真珠の間と呼ばれる部屋だ。
「ふむ。良く似合っておるぞ」
「あ、ありがとうございます」
真正面から褒められると何だか恥ずかしい。
気恥ずかしくなり、少し視線を泳がせる。
「照れているのか? 愛らしいのう」
「あの、恥ずかしいのでやめて下さい」
顔が熱い。
「木蓮様のように美しい方に褒められると……居たたまれません……」
耳が熱いのは恥ずかしさの現れだ。
そんな藤李を見て木蓮は扇を広げて、くっくと笑いを堪えている。
椅子に座るように促され、お茶とお茶菓子を摘まむことになった。
「それで、藤李。そなたは何故に男の格好を?」
「防犯上の理由です」
「ふむ。その姿を見れば納得は行くが……」
木蓮が藤李を凝視する。
やっぱり、似合わないのだろうか。
恐れ多くも藤李が着ているのは木蓮が若い頃に着ていた衣らしい。
こんな女神のような人が着ていた上等な衣を藤李が着ること自体がおかしいのでは。
先ほど鏡で確認した時は自分でもなかなか似合っていると思ったが人から見れば服に着られている状態なのかもしれない。
そんな風に思っていると控えめに扉が叩かれる。
「木蓮様、赤の姫が到着なさいました」
百合が恭しい態度で言うと木蓮は顔を歪める。
「ちっ」
盛大な舌打ちをして息をつき、立ち上がる。
「藤李、すまぬがなるべく早く戻るゆえ。くつろいでおいで」
「ありがとうございます」
木蓮と百合が部屋を出て行き、一人部屋に残された藤李はぼんやりと窓の外を眺めた。
森の奥に住まうという神獣は本当にいるのだろうか。
開いた窓からまだまだ涼しい春の風が藤李の頬を撫でる。
白州の聖域、虎、密猟、最近増えた人攫い……何か関係があるのだろうか。
この地域に起こっている問題はそれだけなのだろうか。
「藤李さん」
その声に振り向くとそこには獏斗が立っていた。
目を見開き、固まったように動かない獏斗に藤李は首を傾げた。
「獏斗さん?」
声を掛けると獏斗ははっと我に返る。
「え、えっと……木蓮様から庭を案内するように言われて。もし、藤李さんが良ければだけど」
何故か目を合わせない獏斗を不思議に思いながらも藤李はその提案に頷く。
「お願いするわ」
藤李は器に入ったお茶を飲み干し、立ち上がる。
「じ、じゃあ、行こうか」
「えぇ、お願いします」
そう言って二人は部屋を出た。
鬱陶しいことこの上ない。
真誠はなるべく顔に出ないように態度と表情を繕う。
必要以上に近い距離に並ばれて歩きにくくて仕方がない。
香と化粧品の匂いが混ざり合い、思わず鼻を摘まみたくなるのをぐっと堪えるながら廊下を進む。
こういう時に限って獏斗はどこに行ったのさ。
邸の案内を体よく獏斗に押し付けようと目論んでいたのに完全に当てが外れてしまった。
内心で大きく舌打ちする。
ふと中庭を挟んで向かいの廊下に視線が向く。
真珠の間から獏斗が出て来たのだ。
君ね、主の僕を放っておいて何してるの。
視線だけで獏斗に語り掛けるが獏斗は真誠の視線に気付かない。
「?」
人の気配や視線に敏感な獏斗がこの距離で自分の視線に気付かないとはどういうことか。
すると獏斗に続いてもう一人部屋から出る人物がいる。
真誠は思わず目を見開いて凝視する。
その姿には見覚えがあったからだ。
長い黒くて艶やかな髪、白くて小さい顔は利発そうで凛々しさも感じる。赤く小さな唇は弧を描き、大きな目は獏斗に向かって細められた。
何故彼女がここに?
胸の奥がざわつくような感覚を覚える。
すぐにでも追いかけたい衝動に駆られ、そちらに身体が僅かに傾く。
「どうかなさいましたか?」
ぴったりとわざとらしく身体を寄せられて不快感が高まった。
しかしそれを顔に出すわけにはいかない。
「いいえ、何でも」
真誠は女の視線を引き剥がすように前を向いて歩き出す。
しばらく歩くと一際目立つ扉が正面に見えて来た。
「こちらです、婚約者殿」
そう言うと女は満更でもなさそうにずかずかと部屋へと入室する。
そこに待ち受けるのは白家の当主代理である木蓮だ。
「ようこそ、白家へ。我が息の婚約者よ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。