第12話 ここでも小間使い

 

 本当に、私、こんな所にきてまで何してるのかしら?


 自問自答するが答える声ない。

 藤李は袖を捲り、必死に墨を擦っている。


「藤李、墨を足しておくれ」

「はい、只今。筆開いてきましたね。新しい筆を出します」


 硯に墨を足し、備品の入った引き出しから筆を取り出して先端を降ろす。


「その筆はもう駄目だ」

「そのようですね」


 受け取った筆は毛先から根元まで割れてしまっている。

 ここまでしっかり割れてしまえば美しい字は書けない。使えないことはないが効率よく仕事をこなすのであれば、この筆は不向きだ。


「この書類は私が触っても大丈夫ですか?」

「あぁ。だが、こっちはダメじゃ」


 触れていい書類とそうではない書類を分けて作業を続ける。


「印はこれを使え。妾の名の下に押せ」

「承知しました」


 指示された通りに大き目の印に墨を付けて丁寧に書類に押し付ける。

 押したものは広げて乾かし、完全に乾いた頃に重ねて纏める。

 時折、木蓮の硯の墨や筆の具合を確かめ、自分に与えられた作業を片付けていく。


 本当に何でこんなことしてるの? 


 それも白家の邸で。

 そんな風に思いながらも藤李は書類に印を推し続けた。




 時は少しだけ遡る。


『民を救った礼』と称して藤李は木蓮に白本家に招かれていた。

 まず驚いたことは門から母屋までが遠い。

 門を潜っても馬車は止まる事無く奥へと進んで行く。


 森と隣接しているこの邸はとても広く、敷地面積は広大だと予想される。

 豪華絢爛な造りは王族が住まう離宮で慣れているがこの邸は調度品に年季と趣きを感じるので全く違った空間に感じる。


 広々とした空間には余計な物がなく、棚や机、椅子、花瓶に至るまでが愛着を持って使い込まれており、歴史や貫禄のようなものを感じる事が出来る。


 そして庭がとにかく広い。


 どこまでが庭?


 藤李は整った庭先を眺める。

 池のほとりに菖蒲が艶やかに咲き誇り、鳥の囀りが聞こえてくる。


「何も面白いものはないが、ゆっくりして行くが良い」


 長椅子の脇息にもたれて木蓮は言う。


「ありがとうございます」


 藤李は振る舞われたお茶と焼き菓子を頂いているが、緊張していて正直なところ味がよく分からない。


「藤李、そなたは結婚しているのかえ?」

「いいえ、未婚です」

「年は幾つじゃ?」

「今年で二十歳になりますが……」

「子は?」

「おりません」


 何故、こんなことを聞かれるのだろうか。


 しかも、木蓮の表情が次第に楽しそうなもの変わる。

 そして広げていた扇をぴしゃりと閉じる。


「よろしい」


 何が?


 首を傾げていると一人の男性が入室してくる。


「何じゃ、獏斗」


 入室して早々、獏斗と呼ばれた青年は木蓮に不機嫌な声でねめつけられる。

 年は藤李と同じぐらいに見える。


「木蓮様、その……お客人とお茶もよろしいのですが……」


 手元に書簡と紙束を持ち、視線を彷徨わせている。


「その、急ぎの仕事がですね……終えてからのお茶であればいくらでも……」


 心底嫌そうに木蓮が顔を歪める。


「あの、私に出来る雑用がありましたら仰って下さい!」


 反射的に口から出たその言葉が藤李の首を絞めることになる。





 そうして普段の業務が板についている藤李は白家の邸でも優れた小間使いとしての技術を発揮していた。


 僅かな時間の中で既に備品の収納場所や捺印に関しては完璧だ。

 印鑑にも種類があり、どの印鑑がどの書類に必要なのかまで把握している。


「木蓮様。こちらの書類に誤字があるようですがいかがしますか?」

「その書類は構わん。そのまま処理しろ」

「こちらは脱字です」

「それはマズいな」


 書類を受け取った木蓮は唸り声を上げる。


「ふむ、そなた、誠に使い勝手がよいな」


 感心したように言う木蓮の言葉に藤李は頭を下げる。


「ありがとうございます」

「少し休憩しよう」


 木蓮は切りの良い所で筆を置く。


「何か礼をしよう。欲しい物はないかえ? 結婚相手でも良いぞ」

「いえ、結婚相手は間に合ってますので」


 冗談ぽく言う木蓮に藤李は首を振る。

 それよりもせっかく白州の本家に来たのだから、白州の話を詳しく聞きたい。


「木蓮様、先程のように人攫いは頻繁に出るのでしょうか?」


 藤李の言葉に木蓮は厳しい顔をして口を開く。


「ここ最近になって増えておる。主に女、そして幼い子供だ。美醜は関係なく」


 しかも女性に関しては妊婦が多いというのだ。

 藤李は木蓮の言葉を信じられないという顔で聞いていた。

 幼い子供達の誘拐も十分衝撃的なのだが、妊娠している女性というのが引っかかる。


「もしかして生まれてくる子供が欲しい……ということでしょうか?」


 一体、何のために?


 女性を攫う輩はいつの世にも存在する。子供は攫って売り飛ばして労働力にする程度しか考えられない。


「分からぬ。何にしても虫唾の走る話じゃ。調べさせているがなかなか尻尾を掴めぬ。故に藤李、そなたには感謝しているぞ」


 藤李の脚が役に立ったなら嬉しい。

 しかし、そんなに簡単な話だろうか。


「どうした?」

「いえ……最近になって、というのは具体的にいつぐらい前からなのでしょうか?」

「正確に言えばここ二年ぐらいじゃな」


 何故そのようなことを聞く? と目で問われる。


 藤李は白州の聖域に住まう神獣について調べに来た。

 いずれは他の地域も回らなければならないが、一か所目に白州を選んだのは宴の夜に男達の怪しげな会話の中に『虎』、『密猟』、『白家』この三つの言葉をしっかりと耳にしたからだ。


 聖域の神獣と直接的な関わりはないかも知れないが、虎の密猟に関する話は彼女の耳にも入れておいた方がいいのではないだろうか。


「実は……」


 藤李は聖域の神獣については伏せて、宴の夜の話を木蓮に伝えた。


 木蓮は表情なく藤李の言葉に耳を澄ます。

 一通り話を終えると木蓮は大きな溜め息をつく。


「なるほどな。もしその話が事実であれば到底許されるものではない。すぐに調べさせよう」


 木蓮は手元の鈴を鳴らして獏斗を呼びつけた。


「藤李、今日の仕事はこれで仕舞じゃ。隣の部屋で休んでおれ」

「では硯と筆だけ洗って参ります」


 そのままにしておけと木蓮は言うが、既に硯の墨は硬化が始まり、筆の先も硬くなっている。すぐに水で流さなければ完全に固まってしまい、次に使う時に大変だ。


 藤李は硯と筆、それから使えなくなった紙を持って教えられた洗い場へと急ぐ。

洗い場で硯と筆を丁寧に洗い、紙で水分をよくふき取り、自分の手に付着した墨も綺麗に落とす。


 水の冷たい時期にはこれがなかなかの苦行だが、今の季節はそこまで冷たさも感じない。


「落ちないな」


 爪の隙間に入った墨がなかなか落ちないのはいつものことだ。

 冬場よりも水は冷たくないが、ずっと水に濡れているとやはり手が冷えてくる。


「藤李さーん」


 振り向くと獏斗が桶を持ってやってくる。


「水、冷たいだろ? これぬるま湯だからこれで手を……うわっ!」


 小石に躓き、桶が放り出されてバシャっと大きな水音が響く。


「えぇー! ごめん! 大丈夫⁉ 熱くなかった⁉」

「……大丈夫、丁度いい温度だった」


 頭からぬるま湯を浴びてずぶ濡れになった藤李を見て獏斗は慌てて頭を下げた。 


 火傷の心配はないが、お湯が冷めてくると、身体も冷たくなってきた。

 このままではいられないし、服を脱いで乾かさなければいけない。


 でも……どうしよう……。


 流石に獏斗の前で服を脱ぐわけにはいかないし。


 困っていると声が掛かる。


「何事じゃ」


 ゆったりとした歩調で廊下を歩いていた木蓮が声を掛けてくる。

 ずぶ濡れになった藤李を見て木蓮は目を丸くし、侍女を呼んだ。


「まぁまぁ、ずぶ濡れではありませんか」


 年嵩の侍女は百合と名乗った。


「こちらにいらっしゃいませ。風邪を引いてしまいます」

「百合、終わったら真珠の間に通せ」

「承知いたしました。さぁ、藤李様、参りましょう」



 目元のシワが優しく細められ、藤李の歩みを促した。

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