第11話 人攫い

 藤李は駿家の邸に向かって歩き出す。


 この大きな店が並ぶ区画の西側に大きな店を構えていると記憶している。

 手元に鈴羽直筆の地図を広げる。


 今朝方届いた文と一緒に届けられたものだ。

 これを見ながら行けばいいので土地勘のない藤李でも大丈夫そうだ。

 地図を広げて辺りを見渡してはまた手元の地図を見ながら少しずつ進んで行く。


 途中で綺麗な簪や手鏡、櫛など小物を打っているお店や反物屋の綺麗な布や服が視界に入る。


 ひやかしたい衝動に駆られるが遊びに来たわけではないのでぐっと堪える。


 それに今は男装をしているのだから、女物の小物を覗けば店主から贈り物におすすめの品を高値で買わされそうで嫌だ。


 建ち並ぶ店を横目に歩いていると進行方向が騒がしくなる。


「人攫いだ!」

「誰かっ! 子供を助けて!」


 道行く人達が何事かと騒ぎ始める。


 どこに人攫いがいるって?


 藤李は目を凝らして騒ぎの元凶を探す。

 その時、目の前を凄い勢いで何かが通り過ぎた。


 何者かの肩に担がれる幼い女児の姿を捉えた。

 女の子が母に向かって必死に手を伸ばしている。


 すぐさま藤李は駈け出した。


「おいっ! 待て!」


 体力はないが脚の速さだけは自身がある。

 デカい図体に子供を担いで走る男になら追いつける!


 腕と脚を全力で動かし、男に近付いて腕を伸ばす。


 もう少しっ!


 遂に藤李の手が男の服を掴んだ。

 思いっ切り体重をかけて後ろに引き倒す。


「うあっ!」


 ばたんっと大きな音と呻き声を上げて男が地面にひっくり返る。


「うあぁぁんっ」

「大丈夫だよ、おいで」


 藤李は投げ出されて泣き出す女の子の元に駆け寄り、抱き寄せてすぐさま男と距離を取った。


 何の為にこんなことをしたのか問い質してやりたいが今は子供の安全が最優先だ。


「てめぇ、何しやがる!」


 そう言って男は藤李に向かって怒鳴る。


「それはこっちの台詞だ! こんな小さな子供を親から引き離して一体どうするつもりだ!」


 藤李も負けじと怒鳴り返す。


 声はよく響き、藤李の声を聞きつけて更に人が増えていく。


「おいっ、坊主大丈夫か⁉」

「子供は無事だぞ!」


 人が大勢集まって来て、人攫いを取り囲む。


「雪、雪! あぁ、良かった!」


 女の子の母親が群衆を掻き分けてようやく女の子の元へたどり着いた。


「おい、警吏はまだか⁉」

「縛り上げろ!」


 その言葉に人攫いは慌てて起き上がり、取り囲む男性数人を突き飛ばして、逃亡を図ろうとする。


「逃げるな!」 


 藤李は女の子を周りの大人に任せて立ち上がり、もう一度走り出そうと地面蹴った時だ。

 縄のようなものが藤李の横を通り過ぎた。

 その縄のようなものは真っ直ぐに人攫いに向かって伸びていき、男の足首を捕えた。


「うわぁあああ!」


 男の足首に絡みつき、捕えてまま空高く吊るし上げて逆さづりにしてしまう。


「ぎゃああぁぁぁ!」


 空高くから男の悲鳴が轟き、少しだけ胸がすっとした。

 そして男の命綱である足首の縄のようなものが弾けるように消えた。


「あぁ! 落ちる!」


 高い位置から地面に向かって落下していく。


 死んじゃうって! 


 何も出来ずに立ち尽くしているうちに地面との距離は近づいている。


 見てられないっ!


 そう思って藤李だけでなく、その場にいた全員が男の死を覚悟して目を逸らした。しかし、大きな物音もせず、男の悲鳴も聞こえてこない。


 恐る恐る目を開けると一度は消えた縄の様なものが再び現れて男を地面のギリギリで助けていた。


 男は失神して白目を剥いている。


 何より目の前に死体がないことに安堵する。

 縄の様なものは男をぺっと汚い物を捨てるように男を離して溶けるように消えていった。


 見事な法術である。


 一体、誰の法術なのだろうか?


 そんな風に思っていると周りが異様にざわつき始める。

 先ほどの騒々しさとは違ったざわめきに空気の流れが変化した。


「ここが妾の収める土地と知っての悪事かえ?」


 鈴のような伸びやかで美しい声に振り返る。


 そこに立つのは白髪の美しい女性だ。


 ふんわりと波打つ白髪を緩くまとめ、仕立てのよい生地で作られた純白の衣には金糸と黒の刺繍が施されている。帯は真紅、目元と唇に惹かれた紅が白い肌に映え、妖しげな色香のようなものを感じた。


 どこかで見たことがあるような……ないような……。


 女性の姿に既視感を覚える。


 付き人に朱色の傘を持たせ、黒と金の扇を弄んでいる。

 町の人々が端に寄り通り道を作って深く腰を折り、頭を下げていた。


「そなた、余所者か?」


 それが自分に向けられた言葉と知り、藤李は慌てて頭を下げた。


 貴族だ。

 しかも町の人達がみんな知っているほどの高位の貴族だ。


「顔を上げて妾の問いに答えよ。どこから来た?」


 威圧感、というよりは不思議な雰囲気を纏った女性は藤李に言う。

 責められているわけではないが彼女の持つ圧倒的な雰囲気に思わず尻込みしてしまう。


「王都から参りました」

「……王都か……ふむ」


 藤李の言葉に表情を変えずに頷く。


 無言で凝視されると緊張してしまうんですけど……。


 藤李は少しだけ視線を目から外して緊張を和らげる。


「警吏達、何をしている。この男を捕えよ」


 藤李に一度背を向けて、指示を出す。


 白髪の女性の纏う羽織の背中に視線が向いた。


 白地に黒色で描かれているのは虎の紋様。

 虎の紋様は白家の証。それを身に纏うことが出来るのは家門を背負うことを許された者のみ。


 ということは……。


 女性は再び藤李に向き直ると、藤李に近付いて来る。

 見れば見る程そうとしか思えない。


「我が民を救ってくれた礼を言おう。そなた、名は?」


 扇の先で顎を持ち上げられると美しいご面相が間近に迫り、藤李は息を飲む。

 この涼し気な目元、色白で白髪、何より人並み外れたこの美貌。

 見知った誰かを彷彿とさせるこの容姿。


 間違いない。


「陣藤李と申します」


「藤李か。妾は白木蓮。白本家の当主代理じゃ」


 真誠よりも少しだけ薄い緑色の瞳が蛙を丸飲みにしようと狙う蛇のように細められた。


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