第10話 白州へ

人通りの多い道を歩く二人がいる。

 まだ薄暗い時間帯から馬を飛ばし、日が真上に昇るより前に白州に着いた藤李と央玲は馬を預け、建ち並ぶ店に目を奪われながら賑わう通りを歩いていた。


 昨日に大規模な宴が行われ、今日から五日間は連休となる。

 一年に二回しかない春の長期連休である。その連休を利用して白州を訪れることにしたのだ。


 藤李はいつも通り男物の服を身に着けて央玲の隣を離れ過ぎないようについていく。


 白州の慶陽というこの町は赤州との州境で白州と赤州の特産品が多く集まり、とても栄えている雰囲気がある。


「とりあえず、腹ごしらえでもするか」

「そうだね」


 央玲の言葉に藤李は頷く。

 品の良さそうな茶屋に入り、軽食を取り、今後の予定について話し合う。


「俺は知り合いの情報屋の所に行って来る」

「私は金貸しに会いに行くわ」


 二人は神獣に関する情報を集めに白州を訪れていた。

 昨晩の怪しげな男達の会話が気になり、央玲と瑠庵に報告した藤李は最初に白州の神獣を調査対象に決めた。


 神獣白虎は白州の聖域に存在すると言われているし、白州の森には虎が多く生息すると聞く。


 効率よく情報を得るために二手に分かれることを決めた。


「金貸し……駿鈴羽だな。俺も用事が済んだら駿家に向かうから」


 駿鈴羽とは白州で幅を利かせている金貸しである。

 金の集まる所には情報も集まるものだ。

 昨晩のうちに文を出し、今朝方来訪を歓迎する文が返って来た。


「分かった」


 央玲の言葉に藤李は頷く。


「そう言えば仕事はどうだ?」

「……上司の口からは嫌味しか出て来ないし、クソみたいに忙しいし。正直連休後が憂鬱で仕方ない。そっちはどうなの?」


 吏部で働く央玲は藤李の言葉にげっそりとする。


「……上司の笑顔がいつも恐怖」


 吏部の尚書もまた曲者であり、彼は『吏部の化け狐』と呼ばれている。

 常に笑顔を浮かべているがその笑顔の裏では口では憚られることばかり考えている。


 ちなみに藤李には優しい。


「白真誠……白家の次期当主か。本家には当主代理として母親の木蓮殿が就いているらしい」


 白家の当主は央玲と藤李の父である雅英の補佐で付きっ切りだ。


 たまには奥方の元に返してやればいいのにと思う。


「尚書のお母さまか……」


 どんな人なのか気になる。


 大貴族白家の当主代理を務めて一族を纏め上げることのできる女性だ。

 きっと女傑に違いない。


「白真誠があの顔だし、父親も男前だからな。奥方も相当な美人だろ」

「だよね。男のくせにあの無駄な美しさだよ? もう美しすぎて罪だよ」


 あの美貌を作り出した女性はどれだけ美しいのか、とっても気になる。


「しかもあの人は美しいだけじゃないわ。かつての神童の名は伊達じゃないわよ。知識、判断力、記憶力、仕事の処理能力も一級品。彼以上に仕事が出来る人が王都にいるかしら」


 いや、いないに違いない。


「そう思わなければあの嫌味に耐えられない」


 尊敬に値する人間の元には人が集まるものだ。

 尊敬の念があるからこそ、戸部のみんなは尚書の元で働けている。


 この人には敵わない、何を言われても仕方がない、自分が未熟だと思えるから耐えられるのだ。


「お前も大変だな」

「でも、優しいところもあるよ」

「そうなのか? あの嫌味男が?」


 信じられない、とでも言いたげな顔で央玲は言う。


「迷ったら道案内してくれるし、下手くそな舞でもご褒美に髪紐くれた」

「……髪紐?」


 央玲は藤李の言葉に厳めしい表情を作る。


「うん。白い玉の綺麗な深緑色の髪紐。簪はないからって言ってあの日、髪に結んでくれた」

「……へぇ……髪紐……尚書がねぇ……」


 据わった目をした央玲がぶつぶつと何かを呟いているが藤李は気にしない。

 店主から勧められた餡団子を口に頬張る。


「これ美味しいね」

「そうだな。柔らかくて餡も甘すぎないし」


 もぐもぐと口を動かしている時だった。


「つっ……」


 ビリっと心臓の辺りに電気が走るような微かな痛みを感じた。

 胸元を押さえてさすればすぐに違和感は収まる。


「どうかしたか?」

「いや、何でもない」


 心配そうに訊ねる央玲に笑顔で藤李は答えた。


「本当に最悪よっ!」


 突如、かん高い女性の声が店内に響く。

 その声に藤李はぞわぞわとした感覚を覚えた。


 何? この違和感は……。


 店内は机ごとに衝立があり、客の様子がわかりにくくなっているのだが、声の出所は藤李と央玲の卓の通路を挟んですぐ隣だった。


「お嬢様、もう少し小声で……」


 共の者がお嬢様と呼ばれる女性に周囲を気にしながら言う。


「何で私がわざわざこんな所まで来なければならないのっ? 婚約だって、私は嫌だと言ったのに!」


 盗み聞きは悪いと思いながらも央玲と藤李は耳を澄ます。


「結婚とは家同士の取り決めでございます……ですが、お相手は滅多にお目に掛かれない美丈夫だそうではないですか」

「そんなの、私を言い包めるための嘘に決まってるでしょ。絶対に嫌よ。私はこんな所に収まるような女じゃないの」


 央玲と藤李は無言で顔を見合わせる。


「それにこの婚約は必ず破談になるわ。私はもっと上へ行くの。王宮へよ」


 その言葉を聞いた途端、ごほっと央玲が派手に咽た。


「ちょっと、大丈夫?」


 小声で藤李は央玲にお茶を差し出す。

 飲み頃になったお茶を口にしながら、二人は引き続き話しを伺う。


「そのためにずっと妃になる教育を受けて来たんだもの。当然でしょ?」

「お嬢様! いけません! 誰が聞いているか分からないのですよ」


 その通り、そんな会話をこんなに人の目がある場所で口にするものじゃない。


 藤李は何だか心配になる。ついでにどこのお嬢様か気になるが衝立が邪魔で顔が見えない。

 お嬢様と付き人の会話は少しだけ小声になったが、お嬢様の不満はまだまだ続いている。


「出よう」

「そうね」


 央玲と藤李はお茶を飲み干し、店を後にした。

 外に出てしまえば先程感じた違和感も消えていた。


「どこのお嬢様かな?」

「さぁな。王宮ってことは瑠庵に嫁ぐ気か?」

「君かも知れないよ?」


 央玲も立派な王家の血筋だ。王族を名乗ることを許されている。


「勘弁してくれ。あんな気位の強い女は無理だ」


 まぁ、確かに央玲には合わないかもしれない。

 どうにも気が進まない婚姻のために白州へ来たお嬢様のようだが、彼女を娶るのであればその男性はなかなか大変だろう。


 だが、あれだけ気が強ければ恐妻家として夫と邸の主導権を握れるかもしれない。


「じゃあ、ここで別れるけど、その前に……」


 そう言って央玲が取り出したのは玉のついた紐である。透明だが黄色っぽい玉が日の光で輝く。紐は紺色でしっかりと編み込まれており、丈夫そうだ。


 央玲が藤李の左手の手首に紐をぐるぐると邪魔にならない強さで巻き付けて、固く縛る。


「本当であれば守印を付ければ良いんだが、お前は全部弾くからな」


 央玲は攻撃的な法術は苦手だが、結界や防衛に秀でた法術が得意だ。

 法術を藤李自身に掛けることが出来れば一番良いのだが、藤李の呪印が法術を弾いてしまうのだ。


 なので出掛ける時は決まって央玲の守の法術が込められた玉を持たされる。


「本当に、この呪印って何のためにあるのかしら。私を殺すこともしないし、蝕まれている感じもないわ」

「もしかしたら明日にでもぽっくり逝くかもしれないな」


 冗談めいて央玲は言う。


「もしそうなってもいいように後悔のない人生を送らなきゃならないわね」


 真顔で答えると央玲はバツの悪そうな表情をする。


「おい、冗談だぞ?」

「分かってるよ。心配しなさんな」


 藤李は苦笑して央玲には再三、気を付けるんだぞ、と言われて店の前で別れた。

 央玲の背中が見えなくなると藤李は嘆息する。


 本当に、この呪印の意味って何なのかしら?


 左胸の心臓があるその場所に咲いた蕾は藤李の成長に伴い大きくなり、身体の外に向かって蔓のようなものを伸ばし始めている。蕾も膨らみ、そのうち花が開くのではないかと予想された。


 花が開いたら私、死ぬのかしら?


 ここ最近、胸の呪印が痛むことがあった。

 戸部で尚書の元で働くことになった日と今日だ。

 あの日も先程のように胸がビリっと一瞬だけ強く痛んだ。


 もちろん、死にそうになるほどの激痛ではない。


 だんだん、頻度が増えるようであれば少し困るが、今の所はそこまで過剰に心配しなくても良さそうだ。


 そもそもこれは自分を呪うためのものではない気がする。


 しかし、誰が何のために付けた呪印なのかは分からない。

 生まれながらにしてこの印があったと言うのだから、呪詛は母の胎内にいた頃に掛けられたことになる。


 父母や王家に恨みのある者だとは思うのだが、丸っきり分からない。

 今まで命を狙われたこともほとんどないし、この呪印が藤李を殺そうとしたこともない。


 分かっているのは王宮の術師にも打ち破れないほどこの呪印を施した者が強い術師だということだ。


 無理矢理に呪詛を破ろうとすれば藤李の身が危険になる。

 そして厄介なのは王族や貴族が防衛のためにしている守印を受け付けないことだ。

 藤李に術を掛けようとしても全てが跳ね返されてしまう。


「本当に、何なのかしら……」


 青空に向かって問い掛けるが答えてくれる者はいなかった。

 




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