第9話 宴の後に
賑やかな宮殿を出て門を抜ければ迎えの馬車や牛車がずらりと並んでいる。
白家の家門である白虎の紋様がある馬車を見つけ、扉の前でうたた寝している男の頭を小突く。
「いでっ……あれ~随分と早いお帰りではないですか」
額を擦りながら白獏斗は呑気に欠伸をする。
「帰るよ」
真誠はそう言って馬者に乗り込むと獏斗は御者に合図を出す。
獏斗は真誠の斜め向かいの扉前に座り、間もなく馬車が動き出した。
「宴はどうでした?」
その言葉に真誠は藤李のことを思い出す。
ある日突然、国王瑠庵に呼び出され小間使いをつけるから大事に使えと言われたのだ。
邪魔になるような者ならすぐに引き払うと言えば、自信満々に瑠庵は邪魔にはなるまいと言ってのける。
ただ、『大事に使え』とその一言が気掛かりだった。
現れたのは陣藤李と名乗る少女だ。女が男の服を着ただけの下手な男装に真誠は眉を顰めた。
本人も必死に男として振る舞っているし、誰も何も言わない。
仕草や言葉遣い、歩き方、誰を真似ているのかは分からないが男のように振る舞う藤李を見て瑠庵の言葉が腑に落ちた。
『大事に使え』というのは藤李を守れというのと同じ意味なのだ。
面倒なことになった。
しかし、藤李は瑠庵の言う通り邪魔になることはなかった。
記憶力が良く、判断力もある。目上の者にも物怖じしないし、驚くほど知識もある。もし男であったなら官吏の道もあっただろうと思うほどだ。
最初はびくびくしながら仕事をしていたのに、最近は仕事にも自分にも慣れてきたのか、生意気になっている。
今日の宴に参加したのは瑠庵に参加しろと命じられたからだ。
『いいものが見れるぞ』
瑠庵はそう言った。
黒く艶やかな長い髪を揺らし、回る度に扇のように広がる様子はまるで蝶。
微笑みを散らして舞うその姿は人を惑わす精霊のようだ。
下手くそなことにはかわりないのだが。
腕の角度や高さも合ってないし、何をしても一瞬他の舞手よりも遅れるのだから、とても目立っていたんじゃないかと思う。
そうでもないか。
既に酔いが回った連中は宮妓の顔と身体しか見えてないだろうし。
舞が終わって姿が見えなくなり、姿を探したら、何やらこそこそと尚書省の建屋に向かって行くのが見えた。
気配を殺して跡を付けるとあろうことか、自分の陰口を叩いている者がいた。
しかも、藤李が大きく頷いて相槌を繰り返していたことには些か腹が立つが人に陰口を叩かれるのは今更気にすることでもない。
少し様子を見ていたら藤李が小枝を踏んで会話をしていた男達に気取られ、咄嗟に物陰に引き込み、口を塞いだ。
真誠は噛み付かれて歯型のついた手を見つめる。
驚くほどあっけなく、腕に閉じ込めることができ、暴れる身体を後ろから押さえ付けるように抱き締めれば、嫌だ嫌だと抵抗する。
そんな抵抗も自分にとっては些細なもので拘束する腕を緩めるまでもなかった。流石に噛み付かれた時は驚いたが、人を噛むことに躊躇したようで本気ではないようだった。
本当に身の危険を感じたならば嚙み切るぐらいの心持ちでなければ困る。
華奢な身体に細い腕、男に押さえ付けられたら声も出せないほどか弱いのだ。
危機管理ぐらいきちんとするべきだ。
「全く」
真誠は息をつく。
しかも、貴方とは初対面です、と言わんばかりの下手くそな演技も如何なものか。
始めて来た場所だから迷ったと言われ、真誠は首を傾げた。
懸命に訴えるので仕方ないからその話に乗ることにした。
人の多い廊下まで戻った所で宴に戻るのかどうか、無性に気になった。
自分は明日も気鬱になる予定があるので、宴には戻るつもりはなかったが、この娘はどうするのかと。
他の宮妓の娘達に比べたら需要は低そうだけど物好きも一定数は存在する。
そう思とこのまま宴に戻すのも気が進まない。
真誠は自分の髪紐を彼女の髪に落ちないように結び付けた。
これで下っ端官吏にウザ絡みされる危険は減るだろう。
その後にすぐ彼女の帯に差さる簪に目を留めた。
銀製の緻密な細工と石の付いた簪は決して安物ではない。
誰のだ?
決して下位官吏の給料では手に出来ない品だ。
少なくとも何かしらの役職についているものでなければ難しいはずだ。
「まさかと思いますけど、その顔で女性に逃げられたんですか?」
思考を広げていると飄々とした声で獏斗が言う。
「もしかして! その手! 噛まれたんですか⁉」
手の噛み痕を見て騒ぎ出す。
「うるさいよ」
きゃー! と喧しく騒ぎ立てる獏斗を一瞥するが、効果はない。
「もう、だから簪持って行かなくて良いんですかって聞いたのに。必要ないとか言っちゃって……あぁ、だから髪紐を渡したんですか?」
「本当にうるさい」
きゃー! 色男! と再び茶化すように言われ、本当に苛立って来た。
「どんな女性だったんですか?」
「どんな……?」
興味津々と言わんばかりの獏斗の欲求を満たしてやる気は毛頭ないが、どんな女性かと言われれば、真誠は考え込んでしまう。
「舞は下手くそだったね……あと嘘つきだし……そうだね、生意気な子」
「……真誠さまの好みって以外ですね」
「そういうのじゃない」
真誠は会話に疲れて腕を組み、双眸を閉じる。
こうしていれば獏斗は話し掛けて来ない。
そんな真誠の様子を見て獏斗は心が躍る。
今まで宴やお茶会で誰にも簪を渡したことのない主が自ら女性に簪の代わりになる物を贈ったのだ。
少なくとも、主がその女性を気に入っているのは確かなのだ。
その女性について話した時、声がいつもよりも楽し気だったことに獏斗は気付いていた。
長く彼の幼馴染兼、側仕えとして過ごしている自分には分かる。
それだけでなく、ここ一か月ぐらい前に真誠の小間仕えになったという少年の話も頻繁にしてくれる。
これはとてもいいことだ。
何せ、この人には不穏な噂も多く、人から恐れられている。
彼は今まで沢山傷付き、そのせいで全く笑わなくなったし、口を開けば嫌味ばかりの男になり、性格も捻くれてしまった。
どうにか矯正したいがこれがまた困難を極めている。
この人はこれからも沢山傷付き、沢山の物を背負わなければならない。
彼が一緒にいると少しでも心休まると思える人がいてくれればいいのにと獏斗はずっと思っていた。
気が重い。
明日のことを考えると獏斗は頭痛がした。
真誠が婚約をした赤家の姫、杏樹に会わなければならないのだ。
赤家の直系ではなく、分家の姫だが法力が強く、年齢的に釣り合うことから婚約が成立した。
婚礼はまだまだ先だが、婚約期間に親交を深めるために定期的なお茶会を義務付けられている。
明日はそのお茶会なのだ。
獏斗は目を閉じたまま動かない真誠に視線を向ける。
黙っていれば女神と見紛う美貌の主はこの婚約をどう思っているのだろうか。
自分は真誠の幸せを願っている。
彼が幸せを掴めるのであれば何でも協力したい。
真誠に気付かれないように髪紐を贈った相手を探そうと決めた。
自分の感は当たるのだ。何となく、その女性が真誠の心を救ってくれそうな気がしたのだ。
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