第7話 髪紐

 さぁーっと身体の血の気が音を立てて引いていく。


 何でここにいるんですか……⁉


「あぁ、痛いな。噛まれた所。あぁ、爪も立てられたな。せっかく助けてあげたのに、仇で返されたよ」


 藤李が咬んだ手の平を大袈裟に労わり、真誠は言う。


「も、申し訳ありません……見せて下さい」

「見せたってどうにもならないでしょ」


 あんたの口からは嫌味しか出て来ないんですか!?

 叫びたい気持ちをぐっと堪えて藤李は半ば無理やり手を取ると、自分が噛み付いた場所を月明かりを頼りに確認する。


 よく見なくても歯型が出来上がり、薄らと血が出ていた。


 マズい……貴族の、そもそもこの人に怪我をさせてしまったと知れれば大事である。


「申し訳ありません……助けて頂いたのに……」


 どうする? 法力を使って治療する?


 竜の末裔に受け継がれた法力を藤李も僅かだが持っている。力を術に変えて使用することが出来るのだが、藤李の術は拙い。


 精神力と体力を大幅に削ることになるため、滅多に使わない。

 

 今、力を使えば疲労でひっくり返ることが予想された。


 手を取ったまま藤李は思考する。

 まぁ、助けてもらったのに怪我をさせてしまっては申し訳が立たない。


 意を決して血の滲む真誠の手に、自分の手を翳す。


「それで、こんな所で何をしていたの?」


 藤李の手を振りほどき、腕を組み、真誠は言った。


「え……えぇと……」


 藤李は思い出した。今は『藤李』ではなく、宮妓の『李』である。


「ま、迷ってしまったんです!」

「は? 迷った?」


 藤李の渾身の言い訳に真誠の疑念を含む声が返ってくる。


「その、そとの空気が吸いたくて……初めて来た場所なので、その……」


 物珍しさに散策をしていたら迷ってしまったというと、真誠は首を傾げる。


 どうにか、これで通したい!


 少々苦しい言い訳だが、もうこれしかない。


「ふーん……そう」


 しばらくして、真誠は納得してくれた。

 ほっと胸を撫で下ろす。


「行くよ」


 踵を返して歩き出す。


「どこに行くんですか?」

「迷ったんでしょ」


 あぁ、そうか!


 迷った宮妓を案内してくれるらしい。

 藤李は黙って真誠の背中を追いかけた。



 ゆったりとした歩調に合わせて真誠の首の後ろで結われた美髪が揺れる。

 銀糸の束というよりも、艶めかしい白蛇のように見えた。白い二つの飾り玉が目のようで濃い緑の髪紐が頭に見える。


 真っ直ぐに伸びた背筋に、広い背中を見つめると何だか不思議な気持ちになる。


 優しいところもある。少なくとも身に危険が迫る宮妓を助けて道案内までしてくれるのだから、口は悪くても悪人ではない。


「そう言えば、先の舞だけど」


 唐突に真誠が話し出す。


「見て下さったのですか」

「うん。酷かったね」


 その一言に藤李は頭上から岩を落とされた気分になった。


「腕の上がりも悪いし、踏み出す足は一拍遅れるし、付け焼刃で覚えましたって感じで味はあったよ。実に珍妙」


 全て仰る通りですけどね。


 ぐさぐさと言い当てられて藤李は視線を彷徨わせる。


「珍しいものも見れたし、たまに宴に参加するのも悪くないね」

「楽しんで頂けたようで何よりです」


 珍しいものって私のことか?


 笑顔を引き攣らせて藤李は言う。

 そんな会話をしていると賑やかな声と酒の匂いが強くなる。


 むせそうな酒香に無意識に袖で鼻を覆う。


「助けて頂き、ありがとうございました。ここまで来れば大丈夫ですので」


 藤李は頭を下げる。


「そうでなければ困るよ」


 本当にこの言い方さえなければ、良い男なのにっ!


 藤李は拳をきつく握り締めて湧き起こる不満を必死に押さえ込む。


「あぁ、そうだ」


 何かを思い出したように真誠が藤李に向き直る。

 藤李が小首を傾げると真誠はくるっと藤李に後ろを向かせる。


「あの、どうしました?」

「前向いてて」


 振り向こうとすると強引に顔を前に向かされた。

 髪に手が触れる。

 急に触れられて心臓がどきりと跳ねる。


「な、何ですか?」


 何? もしかして虫でも付けてるわけじゃないよね?


 子供の悪戯を想像してしまい、藤李は眉を顰めた。


「生憎、簪は持って来てないんだよね」


 そう言いながら真誠は藤李の髪をいじる。

 その手付きは優しくて、上司が自分の髪に触れているという状況に落ち付かない気持ちになる。


「簪?」


 藤李が首を傾げると真誠の手が離れる。

 なんとなく名残惜しい気がして、胸の奥がムズムズした。


「はい、良いよ」


 真誠に言われて藤李は振り向く。


 真誠に触れられていた辺りに手で触れてみる。

 自分の頭に触れても何が違うのか分からない。


「私の頭に虫を乗せたりしたわけではないですよね?」

「何でそんなことしなきゃならないの」


 不満そうな顔をする真誠に藤李は首を傾げる。


 でもそうでなければ私の頭に何したの?


「じゃあね。下手くそな舞姫」


 最後にイラっとする一言を残して真誠は踵を返す。


「あれ?」


 真誠の後ろ姿が先程と違う。

 長い銀糸の髪が背中に広がり、靡いている。


髪紐で結んでいたはずの髪が解かれ、縛り癖のない髪がたおやかに揺れていた。


そんな姿も美しく、思わずその姿が消えるまで眺めてしまう自分がいる。

何だか左胸が熱い。呪印のある辺りがジンジンと熱を持っている。


普段から真誠を見慣れている藤李でも彼を近くに感じるとこの有様だ。

変に心臓がドキドキして落ち着かなくなるのだ。


これが免疫のない女性達であればどうなるか……想像に難くない。

そして形の良い唇から飛び出る嫌味にどう反応するかも……想像に難くない。 


「勿体ない人」


去り際も美しい美貌の上司に藤李は大きな溜め息をついた。



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