第7話 制裁2

 時間は少し戻り月曜日。4人での女子会の翌日、私は営業一課課長の前に立っていた。


「30代って言っても、所詮は平社員でしょ?そのくせ足元見るような態度取ってくるっていうなら、勘違い男の鼻明かしてやろうじゃないの。人事のことは任せて、白川くんに言っておくから」


 名案を思い付いたと息を巻いて話し始めた薫子の提案に乗って、遊太を追い詰める計画を立てた。

 公然とプライベートに踏み込んでくる男には小さく抵抗するくらいでは埒が明かないことはすでに知っている。正規の手順を踏みつつ現場を見てもらうことがより効果的と考えた。

 そこで私は営業一課課長から経理課長に進言してもらうため、これまでのやり取りを報告することにした。


 書類確認と偽って私に声をかけるために営業課に出入りしている経理課社員がいて業務に支障が出ていること。

 経理課社員という会社の財布を守る立場にありながら、公私混同して社員のプライバシーや財産を狙っている気配があること。

 男女の差別でもって、私を愚弄するような態度を繰り返し精神的に追い詰められていること。

 ついでに仕事上の愚痴も交えて、いっそ会社を挙げて対処してもらえるように願い出た。


 座ってもその長身ぶりがわかる姿勢のまま、黒岩営業一課課長は部下の言葉を受け止めた。周防よりも大きな体をしている、さすが体育会系はすごみが違う。


「なるほど、実に腹立たしいことだ」

「ご検討いただけますか」

「検討なんてする意味もない!さっそく善次郎に言ってやらねば」


 机に拳を振り下ろしながら、周防の下の名を言った。


 黒岩と周防はかつて同じ営業課でコンビを組んでいた。周防が一線を退いてからは競うように課長に昇進し、互いに管理職として後進を支える立場にある。私たちの作戦は彼らを味方につけることだった。


 それができる確信もあった。周防は薫子の夫で恐妻家だ。親友の私でさえ何を考えているかわからないときがある薫子を制御することは、いかに体育会出身とはいえ困難だ。若いときの弱みでも握られているのだと思うけれど、詳しい話は知らない。君子危うきに近寄らず、だ。

 そして周防が動くとわかれば同期でライバルである黒岩も必ず動く。下準備さえ整えれば動線は引きやすい。加えて黒岩は短気で直情的、愛社精神も強かった。会社の不利益になることが自分のシマで行われており、その犯人ががかつて背中を預けた同志の部下となれば、間違いなく恩を売ろうと潰しに行くだろう。


 周防が勢いそのままに立ち上がり、部屋を出ていこうとする。私は大げさに気圧されたふうを装い、もう一押しと思って歩み出た。


「でも、いきなり怒鳴り込んでもあまり効果は……」


「私は営業一課課長で、君は一番の稼ぎ頭だ!うちのエースを愚弄するような社員がいていいわけがないだろうが!それに善次郎に作っておいて損な借りはない!白川にも動いてもらおう、社長にも話して裁定の場を設けてやる」


 想定以上の効果だった。バン!勢いよく閉められる扉を見つめて、私はため込んでいた感情を拳に乗せて突き上げていた。


 +++


 作戦は思った以上に上手くいった。まさか女子会での恋バナがヒントになるとは、まだまだ思いもかけないことはあるらしい。

 不安材料がどこかへ行って一安心した私は、仕事を片付けて席を立った。


――今日はお祝いにワインを買ってこうかしら


 帰り道にふとそう思い立ち、近くにあるスーパーに寄った。営業課の部屋を出るとき、黒岩から遊太に減俸と謹慎処分が下されたと聞いたのだ。積年の恨みを払えた思いに気持ちが高ぶり、鼻歌を鳴らしながらマンションに向かっていた。


 会社からマンションへの道に戻る。会社近くのビル街から近いとはいえ、街灯に照らされない道の端は暗い。ぽつぽつと見かけるマンションを見ると、もう少し近くてもよかったのにと感じる。


 ふと後ろから自分と同じペースで進む足音があることに気づいた。しばらくそのままだったがだんだんと近づいてくる気配があり、私は嫌な予感に駆られた。すでにマンションまでは一本道。振り返るとむしろ刺激しかねないと考えた私は、マンションまであと少しのところで走り出した。

 合わせるようにして後ろの足音が静かに走り出す。


――走りにくいんだから勘弁してよ!


 仕事帰りの私はパンプスだが、相手はスニーカーかもしれない。下手をしたらランニングシューズで、すぐに追いつかれる可能性がある。私は夢中になって走った。


 1分もかからないうちにマンションにたどり着く。セキュリティのガラス戸に入る直前に振り向いたときにはまだ数十メートル開いていた。

 大急ぎで開錠し、入り口を通った私は警備員室の前に立つ男性に叫んだ。


「誰かに追われてます!止めてください!」


 大きな男性は危険なことが起きていると瞬時に理解したようでこちらに顔を向けた。その瞬間、まさにセキュリティの扉が閉まろうというとき、追ってくる人影が隙間に両手をねじ込み、無理やりこじ開けて入ってきた。


 なんとなく予想していたが、鬼のような剣幕の遊太だった。飛びかかろうとしてきた彼だったが、先ほどの馬鹿力を発揮することもなくあっさりと警備員に捕らえられた。犬のような小さな体では、巨体の男に対抗できるはずもない。


「クソアマが!結局逃げるだけじゃねえか、最後に会ったときと何も変わらねえな!せっかく持て余した金を使ってやろうって言ってんのによ!」


 うつぶせにされたまま反論してくる彼を見てかわいそうにも思ったが、これまでに私が受けた言葉を思えばそんなわけがない。弾む息を抑えた私は、追い打ちとばかりに言い放った。


「実はこのマンションね、これからも会社に貢献できる仕事をするために買ったの。しっかり働いた分、正しく評価して報酬をしっかり払ってくれる会社のためにも、前に住んでいたところよりも近いところで、自分のパフォーマンスのためにお金を使いたかったの。

 あなたからしたら、大してモテない独身女性が持て余したお金を見栄のために使ってもったいないと思ってるんでしょうけど、バカにしないで。あなたみたいに仕事をおろそかにして、自分で稼がずに人のお金を当てにして、その上常識もない犯罪者が好きに扱えるようなお金じゃないの、このストーカー」


 なおも言いたげな様子の彼だったが、そのあとやってきた警察を見て怯んだようで大人しく連行されていった。


――ようやく、終わり……かな


 警察の事情聴取を終えて解放された私は、去っていくパトカーを見つめながら思った。やっと悩みの種が取れたのだ、安心しきった瞳に涙が浮かんだ。


 +++


 後日。


 黒岩から聞いた話では、遊太はストーカー規制法違反で逮捕されたことがきっかけで停職処分となった。もともと私への脅迫まがいの行為によって会社からも謹慎を言い渡されていたのだからちょうどよかったのかもしれない。

 ただ遊太にはそれ以上の問題がのしかかっていた。


「え、次は確実に懲役?ストーカー規制法って罰金もあったと思うけど確実なんて言えないんじゃない?実際今回罰金だったし」


 共有の休憩スペースの一角。帰りがけにコーヒーを一杯やろうという薫子に呼ばれて立ち寄っていた。そこで言われた言葉に驚いた私の声は思ったよりも響いたらしい。離れたところにはまだ別の社員がいる。薫子が指を口の前に立ててから、声を潜めて続けた。


「そうでもないのよこれが。彼、結婚する相手がいたらしいんだけど相手から破談を言い渡されたらしくてね。その相手の親があなたの事件を担当した裁判官らしいのよ。今回は罰金で済んだけど、少なからぬ温情かもね。社会復帰ってなかなか難しいって聞くし」


 まさかそんな裏事情があったとは思いもよらず、私はつばを飲み込む。彼のようなひょうひょうとした男が改心する未来はちょっと想像がつかない。


「でも望み薄でしょうね。相手の女の子とは違う女の子にも同じように金を無心していたみたいだし。その女性も社長令嬢みたいだし。結局お金のことしか頭にない男なのよ。今日停職前最後の出勤らしいから会わないように祈っとくことね」


 そうなったら神様のいたずらとしか思えない。男運のなさに関しては神様のいたずらと言って差し支えないかもしれないが、終わったことを蒸し返すのだけはやめてほしいものだ。

 それ以上に遊太の愚鈍さに呆れてしまう。そこまでのことをやっていたのならたしかに懲役は免れないかもしれない。職権乱用だと言われることだけはないようにしてほしいが、それ以上は気にしても意味はないだろう。


 眉を顰めながらも笑みを浮かべている薫子は、やはり生粋のゴシップガールのようだ。もっとも、笑みを浮かべている理由は別のところにあるようだったが。

 飲み終わった紙カップをごみ箱に捨て、エレベーターホールに向かうとちょうど下に向かうエレベーターが止まった。誰も乗っていない箱のなかで、私は話題を変えようと薫子を向いた。


「そういえば、周防さん悩んでるみたいね。次にどこに連れ出そうかって、地図広げていたらしいわよ」

「当然!それくらいしてくれなくっちゃ、どこに連れてってくれるのかしらね~」


 薫子は夫との月イチでの旅行が決まりウキウキしていた。きょう出発するわけでもないのに、ときどき意味もなく襟を正してはエレベーターの鏡をのぞいている。親友が楽しそうなのはいいことだ。

 1つずつ数字が減っていく電子板を見ていると、薫子が朗らかに聞いてきた。


「次の仕事はもう始まるの?」

「ううん、1週間くらいは余裕出来るかも。友梨ちゃんが目をきらめかせて仕事に励み始めて、私の分までやり始めちゃったからね」

「それ大丈夫?あの子張り切りすぎてない?」

「もともとあの子に任せようかなって案件だったし、やる気があるうちにいろいろ経験させたいから」

「仕事人間ねぇ」

「それが取柄ですからね」


 上品に笑う薫子に対して私は親指を立てて鼻を高くした。エレベーターは止まることなく進んでいく。


「どうせなら勝ち取った慰謝料で旅行でも行ってきたら?」

「それいいかも、美佳ちゃんにもお世話になったし。いつもの5人でもっといいレストランも行きたいしね」

「いいわね~それ!」


 遊太からはストーカー規制法違反の罰金とは別に、会社から言い渡された慰謝料をもらっていた。事態を重く見た社長の判断らしい。私としては願ってもないことだ。やはり権力者は味方につけて損はない。


 ポンと鳴って扉が開く。この前まで通りたくないと思っていた出入りゲートが見える。そちらに向かう途中、別のエレベーター口で待っていた男がこちらを見るのに気づいた。会わないようにしていたが、大事なときに神様は働いてくれないらしい。


 むくれた顔で立っていた遊太は、すれ違いざまにらみつけてきた。立場をわきまえることを覚えたのか何も言ってはこなかったが、代わりに到着音が鳴ると同時に、悔し紛れの舌打ちがエレベーターホールに響いた。


「チィッ」

「ほう、今度は本当にクビになりたいようだな」

「え、あっ!いや、今のは……」

「おい、善次郎。お前の元部下は口に出せる言い訳があるらしいぞ」

「ぜひ聞いてみたいものだな」


 遊太の立つ扉が開くと黒岩営業課長と周防経理課長が出てきた。180センチ越えの歴戦の猛者を目の前に、160センチほどの遊太は口を引くつかせるしかない。もはや龍虎に迫られた鼠だった。


 その様子を肩越しに見ながら、私は薫子とクスクスと笑いながら木漏れ日輝くビル前の広場を歩いていった。

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独身OLとウザい経理社員の話 松竹梅 @matu_take_ume_

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