第5話 密談

 学生時代、恋に恋する夢見がちな頃が私にもあった。


 でも私には男を見る目が皆無らしく、惚れた男たちはたいていクズのヒモ野郎。絶縁状態にある父親と同じタイプだった。

 めぐり合わせかどうかは知らないけれど、運命というものを呪った。


 私自身は尽くすのは嫌いじゃなかったし、好きなものには入れ込む性分だったので猛アタックを仕掛けていたことも何度かある。ちょっと守ってあげたくなるタイプが好みだった。

 交際に発展しかけたこともあったけれど、いざデートしてみると店員への態度が悪かったり、立ち寄っただけのコンビニの水を奢らせようとしたり、強引にホテルに連れ込まれそうになったり、世間から若い女性がどう見られているかの一端を見た気がして恐れを抱いた。

 私の着信履歴を勝手に見て去って行かれたときには怖くなってホテルを抜け出した。ビルの裏、暗がりにつながる外階段は下りても地獄につながっているようで足が震えた。その先の繁華街の光でさえ救いになるとは思いもしなかった。私にとって繁華街のネオンは愉悦と肉欲を向上させる麻薬にしか見えなかったからだ。

 どれも交際につながるはずもなく、携帯を買い替えたのと一緒にアプリは消した。


 社会人になるまでは恋愛からは離れて就職活動にいそしんだ。おかげでいい職場に出会うことができ、仕事も順調に進んでいた。


 しかし周囲で寿退社が増えたころ、再び私のスマホに出会いを誘うようなアイコンが増えていた。

 久しぶりの時間を楽しめるときもあったけれど、”男”としてみるよりも”かわいい弟”を見ている気分なのを感づかれたのかもしれない。結局どれも長続きしなかった。


 唯一交際に至って何度かデートを重ねたのが遊太だった。しかし彼も結局、私が奢らないことを悟ると途端に態度を変えた。甘い表情マスクで隠しても話し方で分かった。営業部で培った人間観察能力は、相手の人間性を敏感に感じ取る。犬の嗅覚に似ていた。


――男は結局、自分に都合のいい女しか求めてない欲望の塊ね


 現実を見限った私は「いい人と出会えないなら結婚なんていらない」と、すべてのステータスを仕事に振り分けた。おかげで成績はうなぎ上り。

 いつしかコーヒーコーナーのそばで、後輩たちが雑談の流れで私のことを「営業一課のメインフラワー」と呼んでいるのを聞いた。もちろん私は公認していないのだが。

 それでも仕事は自分にとって楽しいもので、疲れて眠っても心地いい朝を迎えることができていた。


 +++


 朝起きるのが億劫な日々が続いていた。


 会いたくもない男に再会して、吐きたくなるような言葉を重ねられる気持ち悪さ。これなら仕事のプレッシャーの方がまだましだ。自力で解決しきれることの対処は得意だった。仕事人間なのはそのおかげともいえるが、それ以外の発想が陳腐なのは今となっては弱点にも思える。


 せっかくの年末年始は、私の人生史上最悪となった。

 毎晩のようにヤツの舐るような言葉が夢に出てきて感情をざらつかせる。跳ね起きるようにして起きると脂汗がにじんだ肌に髪が張り付いて汚かった。


 ちょっとでもあの男のことをいいと思ったのを後悔して、布団から出ては入るを繰り返す正月だった。


 +++


「それヤバくないですか!危険すぎますよ!」


 年が明け、1月も終わり。ようやく仕事も落ち着きを見せてきて、私は新居への引っ越し祝いと新年会もかねて、薫子を含め会社の親しいメンツと女子会をしていた。

 鬼気迫る様子で叫ぶのは後輩の友梨だ。自分と同様仕事人間で私を姉のように尊敬しているらしく、誘えばすぐに飛んできてくれる。ふだんは彼女の愚痴に対して私が意見する構図だったが、今日は立場が逆転していた。


「私もそう思うんだけどさ、もうしつこくってしつこくって……。どう断ってもついてくるからどうしようもないの」


 遊太の口説きは続いていた。

 年末、カフェにまで入り込んできた日の翌日問いただしてみたが、たまたま入っただけで、追ったわけじゃないと言い張るだけだった。


『自分が狙われてるなんて被害妄想はあまりしない方がいいですよ。ホルモンバランス崩れたりして女性にとってよくないです』


 不敵に笑い、立ち去っていく彼からは強者の余裕に似た優越感が漂っていた。


「きゅーに女性ホうモンについて語るとか気持ち悪いでしゅ、意味不明すぎまふ!」


 友梨が酔いつぶれた声で叫んだ。ろれつが回っていない。積もりに積もった仕事を片付けた達成感と、久しぶりの女子飲み会だったこともあって、ペースが早かったかもしれない。彼女を腕で支えて水の入ったグラスを渡そうとした薫子にもたれながら、友梨はわがままを言うように再び叫んだ。


「ぜえったい!縁切った方がいいですよお!」

「友梨ちゃん、落ち着いて。勝手にくっつけないで」


 興奮を諭すように、私はちょっとだけ冷たい声で言った。あの男と隣同士の絵を思い浮かべてほしくない。なんという構図、気持ちわる。

 すると私の横でソファに座りのんびりした女の子がお猪口を口元に運びながら言った。


「そうですよ~、そんな男は適当にあしらっておけばいいんですって~」

「美佳ちゃんは彼氏いるからいいやない!」

「今それ関係ないんで~」


 この会で最年少の美佳がさらりと友梨の悪態を躱すと、友梨が子供のようにしゃくりあげてしまった。


「クソー、モテ女め!どーせ私は喪女ですよーだ!」


 いがみ合う2人を諫めるでもなく、私はしばしやり取りを眺めていた。


 友梨は私と同じ営業一課の後輩で、大学のOBOG会で知り合った。私と同郷ということもあり、仕事のほか生活の悩みとかも聞いてあげたりしているうちに、すっかり懐かれてしまった。私としては有能な部下でいてくれるのでありがたいのだけど、酒癖が悪く、酔いが回ると自分の恋愛遍歴のなさに絶望し始めるタチがあった。それを聞けば聞くほど私と似たような境遇の子で、私とは違う幸せを見つけてほしいと常々思っているのだ。


 そんな彼女を肴に日本酒をたしなんでいる美佳は、会社のビルの受付嬢で朝一番に顔を合わせる子だ。印象的なえくぼがかわいらしく、こういう子がモテるんだろうなと出社するたびに思う。汚れのない挨拶の声に癒されたくて、こっそりアラームの音にしているほどだ。

 うら若い20代半ば。1つ年上の彼氏がいるらしいが、まだ遊びたい年ごろらしく、結婚はしていない。薫子とは当然のようにカフェ友達らしく、ときどき4人でランチに出かけることもあった。


 暴れ出す勢いの友梨から手際よくグラスを取り上げた薫子が、テーブルから落ちたミックスナッツを拾いながら言う。


「友梨ちゃんはそろそろ寝た方がいいかもね」

「まだ、ダイジョブ、です!典美しゃんの、平穏な日常と、滞りなく仕事する環境のために、わたし、やれること、やりむす!」

「とりあえず寝かせた方がいいですよ~、薫子さん」

「そうね、首の後ろ叩けばいいかしら」

「それはかわいそうだからやめてあげて……」


 怖いことを言い出す美佳と冗談に乗る薫子を軽くいさめながらワインをすする。はっきりしない態度の私も悪いが、当事者としてもどうにかしたほうがいい状況だとは感じていた。このままだと取り返しのつかないことになりかねない。何かが起きてからでは遅いのだ。


「でも私、モテてこなかったからなー。こういうときどう対処すればいいかわからないのよ」


 もやもやとした気持ちを吐き出すようにつぶやくと、徳利3本目に突入した美佳が言った。


「典美さんがもっときっぱり断ればいいんですよ~。いつまでも同じこと言ってくる男は執着が強いんで、はっきり脈ナシだって言った方が諦めてくれますよ」

「いや、容姿目的ではないと思うのよね。明らかにマンションに住みつこうとしてる。寄生虫ね、あれは」


 汚いものを見るような顔で言うと、薫子が口を挟んだ。


「顔は典美の好きそうなタイプだけどね。ほら、2人の好きなアイドルゲームのあの子に似てるじゃない?颯真くん」

「「颯真くんはしつこくないし、腹黒くない!!」です~!」


 美佳と一緒になって、食って掛かるように反論する。鬼気迫る勢いの私たちに対し、薫子はチーズに生ハムを巻きながらとぼけた風に応えた。


「ふうん、2次元ってよくわからないわね」

「それに、ヤツは絶対マザコンね」

「私もそう思います、自分かわいさに何でも許されると思っているタイプですね。前の彼氏がそうでしたもん」

「え、そうだったの?」

「そうなんですよ~。けっこう顔はよかったんですけど、だんだん態度に現れるようになってきて。最後の方は本当に露骨で、生理的に無理!ってなりましたね~」


 思い出したのか、嫌な顔を浮かべた美佳は、流し込むようにお猪口の中身を一気に口に入れた。

 女子会をしているとはいえ、美佳からその話題が上がることは多くなかった。酔いが回って口が軽くなっているのかもしれないが、これはいい機会だ。もしかしたら解決の糸口が見つかるかもしれない。


 私はとろんとした目で船をこぎ始めそうな美佳に近寄ってびしっと聞いた。


「それで、その男とはどう別れたの?」

「あるとき、私がスマホ忘れて買い物に出てったことあったんですよ。その日あの人が泊まる予定で。家に着くなりソファで寝始めちゃって、ご飯一緒に作ろうねって言ってたのにできなくなったんです。仕事で疲れてたのか、結構ぐっすりで。あの人一度深く寝ちゃうと全然起きないんで、仕方なく起きるまでゲームでもしよーって思ってお菓子買いに行ったんですよ。

 コンビニ近いんですぐ帰ってこれるし、たくさん買うつもりもなかったんで多分20分くらい?だと思います。それでマンションに戻ってる途中でスマホ忘れたことに気付きました。そんなに治安悪い地域じゃないですけど、何かあったら怖いなと思って不安になって、パッとマンション見上げたら私の部屋の電気が点いてたんですよね。出るとき消したはずなのに。

 あの人が起きてるはずない、まさか別の誰か?と思って急いで戻ってみたら、あの人私のスマホ探ってたんですよ。ありえなくないですか?」


 興奮してきたのか、口調が上がり気味になる美佳につられて、私は聴き入っていた。薫子は拾い上げたミックスナッツをティッシュできれいに包み、そのうえに剥いたミカンの皮を器用に乗せ始めた。


「やばいなその人。それで?」

「で、言ってやったんですよ。『何してるの、勝手に触んないで』って。それまでにもときどき、私のカバンとかコートとか勝手に使われて怒ったことあったんです。でもそのたびにはぐらかされて、適当な言い訳言うんですよ。『別にいいじゃん、減るわけじゃないし、ユニセックスだし。お前の物を俺が使ってもいいだろ、付き合ってるんだから』って」

「うわー、危険生物ー!」

「それでもう我慢ならなくなって、次泊まりに来る予定の日にお父さんを家に呼んだんです。気持ち悪い彼氏を追い出してほしいって頼んで。親に修羅場を見られるのは結構イヤでしたけど、娘全肯定の父なんでもう勝ち確でしたね。ことに至る前に合図して出てきてもらいました。

『誰だ、あんた!俺ん家に勝手に……』

『ほう、誰の家だって?』

『俺は美佳の彼氏だ、だからこの家は俺のもんだ!』

『ここは俺が美佳のために借りている家だが?』

『……へ?』

『俺は美佳の父親だ!そして美佳は俺の娘だ!貴様のようなへっぽこが隣に立っていいわけがないだろうが!』

 そこまで言われた彼はもう蛇ににらまれた蛙でしたね、尻込みして勝手に使ってたカバンに財布やらなにやら残して行っちゃいました。あの人が使ってたものは中身ごと捨ててやりましたし、その後は連絡も取ってないんでどうなったか知りません。ま、知りたくもないんですけど」


 言い終わって満足したのか、4本目の徳利に日本酒を注ぎ始める。

 まるで歴戦の戦士の語る武勇伝のようだった。珍しく素直に感心した様子の薫子が、私たちの方を向いた。


「はあー、お父様かっこいいねぇ。年齢的には私たちの上司くらいかしら?」

「すごいなぁ、モテる子から聞くモテエピソード……。私にはない経験だわ」


 しみじみと聞いている私のすぐ下から、悔しがる友梨の声が漏れ聞こえてきた。


「私も男どもにちやほやされたい……」


 今のは聞かなかったことにしてあげよう。


 お猪口を口から下げた美佳は、大きな仕事を終えた後のように苦笑いを浮かべて続けた。


「そんないいもんじゃないですけどね、モテるのも。親からの詮索とか問い詰めがすごいんで交際に至るまでが遠いんですよ、うちは。今の彼氏は父親にも認められてる、礼儀正しくて健康的なエリート警察官ですけど」

「それなら将来安泰だわ、いい出会いがあったのね」

「ちなみに、お父様ってお仕事何されてる方なの?」


 興味本位で薫子が問うと、美佳はなんでもないように答えた。


「警視庁で刑事やってます。今は捜査一課長だったはずですよ」

「「ええー-!!」」


 私と薫子の驚嘆の声を聞いても慣れているのか、美佳は自慢げにもならなかった。モテすぎるが故の苦労というのがあるのだろう、私には推し量れない苦労だ。

 予想外のことで思考が止まった私と裏腹に、薫子は面白い話を聞いたとばかりに笑っている。


「決定的な瞬間に突きつけてやったわけね」


 たしかにそういうことになる。自分より立場が上なのが確定的な人間に立つふさがれては太刀打ちできない。まして相手は警察官なだけでなく美佳の実父だ。家庭の支えにもならなかった私の父親とは大違いだ。


「男は権力もってなんぼね~」


 最年少ガールのとんでもエピソードにほれぼれして出た私の感想に、薫子ははっとして私の肩をつかんだ。


「典美!それよ!!」

「?」


 目を光らせて詰め寄る薫子の膝が、友梨の腹にクリーンヒットして危ない嗚咽が漏れた。

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