第2話 女子会

 始まりは去年の10月にさかのぼる。


 私、関口典美は40代ながらに営業OLとして働き続けるバリキャリだ。関東を拠点に幅広い商材を扱う大手商社に勤めている。

 女性で営業部にいるというのもなかなか珍しいと思う。会社で一番の花形部署とはいえ、上司以外はほとんどが若手社員か新人なのだ。

 世代の違いに戸惑うこともあるけれど、みんな優しいし、フォローしあえる環境が整っているから長く続いている。私自身、この仕事にはやりがいを感じていた。


「関口さんは優秀だからうらやましいわ~」

「この前なんて、僕がやり残してた資料全部作り直してくれてたんだ。おかげでいい取引先と関係を結ぶことができたんだ、すごいだろ?」


 昼休憩の静かな時間。ときどき電話が鳴ることがあれど、若い連中はほとんど外回りに出ている。残っているのは弁当持参のオフィスランチ組だ。

 仕事の報告を終え、自分のデスクに戻ると、近くで聞いていた別班の佐々木さんと副課長が話し始めた。


「それは関口さんのおかげであって、副課長はたいして何もしてないでしょう?ちゃんとボーナス出したんですか?」

「そ、それはもちろんだとも。ねえ課長?」

「君塚くん、あとで話がある」

「か、課長?」

「それと、ボーナスはもちろん出したから安心したまえ。我らは営業だ、働いた分その対価を渡すのは上に立つものとして当然のことだよ」

「さすが~、私たちのお父さんですね」

「わ、私も契約締結には尽力したんですがね……」

「でも結局今もやりとしてるのは関口さんですよね?」


 ずいっと強気な部下に迫られて副課長はのけぞった。言い返したいが課長が見ている手前、本音を言えないのだろう。あるいはプライドがそうさせるのか。


「副課長の素案があったからできたことですよ。そもそも鈴木財閥系と縁を持てたのは副課長がゴルフパーティでお相手と親密になってくれていたからですから」


 他意がこもらないよう、私はにこやかに二人の間に立った。破顔した副課長が私を救いの神のように見てくる。


「関口くん……!」

「まったく、優しすぎますよ関口さんは。八方美人過ぎるといい男が逃げちゃいますよー」

「いいの、私にはもう過ぎたことだから」


 佐々木さんは困った子供を見るようにしていたが、私の本音だった。

 佐々木のように、以前は将来について心配されることも多かった。もっとも私がその手の話に乗り気でないこともあり、年齢も重ねた今ではほとんど言われることはない。話の流れで出てしまうことはあるが。


「いい人なのになー、仕事ばっかりしてるからですかね。でも、同期の先輩たちみんなもう結婚してるんじゃなかったでしたっけ?」

「私は仕事してる方が性に合ってるもの」


 いつもの営業スマイルでにこやかにそう言うと、佐々木さんはそれ以上何も言えないというように肩をすくめて自席に戻った。副課長はそのままトイレに立ったので、私も席に戻る。


 実際、同期の女性社員のほとんどは寿退社した。専業主婦になっていたり、別の会社に移って事務員や総務などの時間的拘束の少ない仕事を選んで、自由な生活をしているらしい。それぞれの生活で忙しくてめっきり会うこともなくなってしまったのが少し寂しいけれど、流行の感染症の影響もあるから仕方ないことかもしれない。


 ふと、専用のコーヒーミルで豆を挽いていた課長が声をかけてきた。


「そういえば関口くん、金曜は久しぶりの休暇ではなかったかな?」

「ただの有休消化ですよ。もらったものはちゃんと使わないともったいないですから」

「しっかり休んでくれたまえ、あまりハメをはずしすぎないようにな」

「もちろん、わきまえてますよ。遊ぶような年齢でもないですし、久しぶりに同期と会うくらいです」

「ああ、あの子たちか!離れてもつながりがあるのはいいことだ、楽しんできなさい」



 有給当日の昼過ぎ。私は銀座のレストランにいた。

 5人そろったメンツは、しばらく対面できていなかった隙間を埋めるように話し込んだ。年齢を重ねても互いの印象は変わらなかった。

 久しぶりの同期女子会。昔は一緒になって行きつけのレストランのランチを食べながら、仕事の雑な上司のグチや新入社員で誰が一番有能かとか他愛ない話をしていたものだ。

 けれど、このときは少し違った。


「え、マンション買ったの?」

「瑠美って実家じゃなかったっけ?」


 突然の報告に私は思わず声を上げて驚いた。ほわほわとした雰囲気の京香が続く。


「そうなのー、でも私たちだけだと広すぎて掃除とか管理とか大変なの。ほら、ウチって共働きだし、子供もいないじゃない?2人とも家が欲しいってわけじゃないし、自分たちのためだけの空間が欲しければマンションでもいいかなって」


 子育てで気疲れしているのか、少しやせた印象の瑠美は瑞々しさを取り戻すようにサラダをつまみながら答える。


「終の棲家ってやつね」

「そうなんだー、思い切ったわねー」


 私きどって反応すると、ニコニコ顔で柔和な印象の薫子が続いた。孫の近況を聞く実家のお母さんみたいだ。

 サラダのおかげで元気を取り戻したのか、瑠美は鼻を軽く鳴らして続けた。


「そうなのよ、結構奮発したからまた節約生活だわ」

「そこはほら、旦那の腕の見せ所でしょ!人材系の会社の常務だっけ?出世街道まっしぐらって感じじゃん、うらやましっ」


 食いつくように反応したのはせわしなくステーキを切る沙友里。話すのに一生懸命になってしまって、一口サイズの肉が次々につくられていた。この子は昔からこうだった。


「ちゃんと貯金もしてたからね。典美のおかげよ」

「そんな、私はこうしたらって言っただけだから」


 いい友人を持ったわというように返す瑠美に、私はあくまで謙遜した。たしかに多少のアドバイスはしたけれど、細かいところまで勉強して実績につなげたのは彼女の功績だ。昔から努力家だった彼女らしい謙遜だった。

 そんな二人の謙遜もよそに、京香がオムライスをほおばりながら瑠美を見つめた。


「いいなぁ、私も仕事のできる人と結婚したかった~」

「京香はいいじゃない、お金より家庭で選んだんでしょ?家のこと大事にしてくれる人って素敵。子育てに追われる今だから分かるもの」

「それはもちろん第一優先なんだけどね。沙友里のとこみたいに仕事仕事になりすぎてもらっても困るし……。あ、やだ、欲が出過ぎちゃってる?」


 はしたないこと言ってしまったかのように口元を手で押さえる京香だったが、そのセリフには少しだけわざとらしさがにじんでいた。フォローするように薫子が反応する。


「今の生活が満足なんでしょ、きっと。我らが京香お嬢様は」

「間違いないのよね~、今とっても楽しいもの」

「自分で言っても嫌味じゃないのがいいところよね。京香はかわいいし」


 京香は実際かわいかった。年相応の可愛さと言うのもあるが、それとも少し違っていて、若さと成熟さが同居した稀有な見た目をしていた。同期で女好きの男性曰く『あの子は魔性の女だ』と言わせるだけの美貌はまだ健在だった。

 私が素直に感心していると、再びせわしない言葉が飛んできた。


「そういう典美だって、仕事の成績いいらしいじゃない!本当に女性課長になれるかもしれないって」

「え、ほんと!さすが、同期の星だよ!」


 身を乗り出しながらまくしたてる沙友里に続いて、京香までもが持ち上げてくる。キラキラと輝く瞳には、先ほどまでのわざとらしさはなく、憧憬に近い色が混じっていた。


「やだ、どこで聞いたのよ、そんな根も葉もない噂」

「火のないところに煙は立たないのよ。株価今スゴいんだから」

「株の話かーい」


 ふと茶化すように瑠美が言うので思わず突っ込んだ。節約と同時に始めた投資の習慣で得たのだろうか、立派なものだ。


「ほんとは薫子が言ってたんだけどね」


 沙友里にネタ晴らしされ、いたずらっぽく笑う瑠美の横で薫子がこちらを横目で見てきた。瑠美と同じような顔を浮かべている。


「うふふ、この中で典美の活躍ずっと見てるの、私くらいじゃない」

「まったくも~、からかわないでよね~」


 一番付き合いの長い同期から言われて、少し固かった私の気持ちもすっかりほぐれてしまった。愚痴を言い合ったころに戻ったように感じた。


 私たちももう50代が見えてきた、もう半世紀だ。

 自分の老後を見据える時期になってきたからか、目先に転ぶくだらない話に花を咲かせていたころと比べ、会話の内容も色あせた感があって、現実的な話題が多くなってきた。

 お金の話、夫婦生活の話、性の話、子供の話、親の話、将来の話……。

 仕事以外に脳がない私には、それらいろいろをしっかり考えている彼女たちに若干ながら引け目があった。自分のことでいっぱいなのに、他人の命についてまで考えているなんて本当にすごい。

 人生は短いのに悩みは尽きない。


 プレートセットのコンソメスープのカップを啜りながら、ふと思い浮かんだことを口にしてみた。


「それにしても終の棲家か…、私も考えた方がいいかも」

「え、典美も買うの?」

「典美、結婚する気ないんでしょ?仕事できるもんね」


 京香と沙友里が好奇の目で聞いてくる。


「いいの、私モテないもの。いい歳してオタクだしね」

「諦めることないと思うけどな~、優良物件だと思うのに」

「ね~~」


 否定する私を瑠美と薫子が一緒になって持ち上げる。お互いにティーカップを持って頷きあう姿は、結婚してすっかり大人になったような動きだ。むろん、美しい奥様という印象だ。


「だからからかうのはやめてってば~」


 笑ってはぐらかしても、胸は痛まない。彼女たちの言う言葉が嫌味じゃなく聞こえるようになったのは、私自身が悟っているからだと思う。『自分の身はわきまえろ』っていう、毒父のクソ親が言った唯一含蓄のある言葉のおかげで、仕事一辺倒でも楽しい生活を送れている。


 人生は人それぞれだ。人の数だけ幸せの種類はあるから、私はそれを否定しない。


 箱入りお嬢様の京香は得意の料理をSNSに投稿して話題になった。以来本を出したり、料理教室をしたりと売れっ子だ。

 瑠美は結婚を機に専業主婦になった。3人の子供の育児は大変だったそうだけど、幸せな生活を送っているに違いない。

 沙友里と薫子も結婚しているが子供はいない。

 沙友里はスキルを活かして転職して、成長中のスタートアップ会社の支援をしているバリキャリウーマン。私と同じ仕事人間だけど、転職先で出会った男性と意気投合して結婚したらしい。

 薫子だけは転職せずに私と同じ会社に残っている。もともとは営業だったけれど、法務やネットワークなどいろんな部署を経て、今は総務の統括事務員として比較的落ち着いた日々を過ごしている。曰く『人脈は作っておいて損はない』、うちの課長と同じことを言っていた。今の旦那ともその人脈を使ってゲットしたと知っている。


 確かに生涯を共にする人がいてくれるのはいいことだと思う。

 そうはいってももう40代。しかもオタクで、仕事人間で、男性不信なところも少しある。春の盛りはとうに過ぎた。晩春を長く楽しむ余裕のある大人の方が私にはちょうどいい。

 楽しみにとっておいた食後のワインを軽く揺らしながら言った。


「たとえ独身貴族でも、自分の人生生きたいじゃない?」

「「「「かっこいい~~~!!」」」」


 わざとかっこつけてやると、旧友たちはみんな色めきだって声を上げた。思わず笑ってしまった。


――女性にはこんなにモテるのになぁ。


 そのままレストランの窓枠がオレンジ色に染まるまで、女子会は楽しく続いた。

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