9:『気に入らなく』て『面白くなく』て、だから足は止められなくて

『こちら、現場上空です! 警察隊が内部に戻りましたが、肝心の監視カメラ映像が届いておりません!

 いったい、中ではどのような激闘が繰り広げられ……え? 映像が来た? 通信が回復したようです! 御覧ください!

 これは……スイートアンカーです! 若き伝説に師事するミステリアス・ガールが、ぬいぐるみを片手に階段を駆け上がり……ああ!

 屋上に姿を現しました! 無名の新人が、ただ一人で仕事を成し遂げた模様です!」


      ※


 少女は息を吐いて、屋上を囲む網柵に飛び掛かる。

 足裏の柔い抵抗を頼りに蹴りあがって、指を上辺にかけた。

 勢いと、片腕の膂力を頼りに体を持ち上げれば、細い骨組みの上に両足をつく。


「待て! 逃がすか!」

「距離がある! テイザー銃は⁉」

「班長! さすがに特殊行為すぎますよ!」


 小さなドアからなだれ込んできた警察隊は、誰もが口々に間に合わないことを悔やんで吐き捨てる。

 仕事は最終盤で、怪盗の仕事は残り二つ。


「クマさんのぬいぐるみ、スイートアンカーが確かにいただきました!」


 仕事の完了を宣告し、


「それではごきげんよう! また『次の宵』まで!」


 現場からの離脱することだけだ。

 柵を蹴って、摩天楼の谷間へ身を躍らせれば、


「ああ、くそ! どうする気だ、ヘリはいないぞ!」

「あれは……パラグライダー?」

「ばかな! この高度じゃ、周りのビルに衝突するぞ!」


 仕込んであった簡易パラグライダーを開き、夜空に逃走経路を描き出す。

 勿論、滑空しかできない乗り物であるため、周囲より背の低いナナヌイ第四ビル屋上を起点としてしまっては、危険極まりないルートである。

 であるが、沈んだ少女の身体は、翼ごと舞い上がる。


「ビル風か!」


 谷間に逃げ込み、その隙間に吹き上げる春風が上昇気流となって持ち上げていくのだ。

 スイートアンカーの身体はみるみる舞い上がり、隣ビルよりも高く高く。


「追え! 着地点を予測させろ!」


 わらわらとビルを降りはじめた彼らを尻目に、怪盗は夜の空を往くのだった。


      ※


 春の風は冷たいけれど、撫ぜられる頬はひどく熱い。

 ハングライダー体を預けたスイートアンカーは、そんな熱の所在を探る。


 地上で巻き起こっている、この身の名を謳う歓声もそうだろう。

 相棒が師匠が、自分を期待してくれるという喜びもそうだろう。

 けれども。


「頑張らないと、いけなくなりましたね」


 おそらくは、誰かの思いを背負った、そのせいだろう。

 インカムが、謝罪を届けてくれる。


『ごめんね、追い込むような真似しちゃって』

「いえ……感謝しています、スプリングテイル」

『そう?』

「自分がしようとしていること、成し遂げた後のこと……大それたことなんだって、自覚ができました」


 傍から見て、正気ではない事を果たそうとしているのだ。

 そして、その望みに付随するあれこれを、信じてくれると、言ってくれる人がいる。


「退く道を、塞ぐことができました。私が失敗すると……」

『そのクマさんの価値は大幅に減らされる。つまり』

「みやちゃんもお父さんも、幸せにできない……ですよね」


 だから、頑張らないといけない。

 盗み出したお宝の手触りを確かめ、抱き寄せた。

 通信の向こうまで覚悟の気配が伝わったのか、満足げな笑いが返る。


『本来、怪盗の仕事にはこんな側面があったんだ』


 誰かのために、世の穴を埋めるために、ということだろうか。


『紛れもなく虚業だし、取り繕うならエンターテイメント』

「誰かを楽しませる、ということですか?」

『そう、サーカスさ。だけどね、サーカスを楽しむには必要なものがある』

「えっと……なんでしょうか?」

『充分なパンだよ』


 お腹が膨らまないと、生活が十分でないと、


『満足に笑えっこないでしょ』


 なるほど、そうか。

 人の懐を漁る仕事が、社会に知られ、認められ、地位を得ているには理由があったのだ。

 けれど、とスイートアンカーは不快の引っ掛かる疑問を抱く。


「それなら、あの泥棒市の様子は間違っていると?」


 資産現金を持つ者が、同じ盗品を怪盗とピンポンすることで価値を釣り上げていく様は、サーカスを楽しんでいる様相も、パンを分配する気配もなかった。


『間違っている、とまでは傲慢にはなれないなあ。あれ……実績と金額を優先する価値観だって、社会に貢献している側面もあるんだ』

「けれど……」

『ああ、そう。その気持ちだよ。僕も、同じ』


 え? と言葉を詰まらせる。

 突然の共感を示され、自分の胸にある言葉の『下劣さ』を見透かされたのだから。

 声は、努めて明るく、


『なにもかも『気に入らない』ね』


 凶行の動機を、乱暴な言葉で彩ってくる。

 そんな身勝手な言い分は、しかし、


「私は『面白くない』でした」

『はは、いいね。その意気だ』


 だから、と彼は独白の棘を納めて愉快そうに、


『笑顔を届けよう。前にも言ったけど、君自身にも、さ』


 こちらの胸を、柔らかく叩いてきたのだった。


      ※


『じゃあ』


 と、スプリングテイルは夢見る先のためのプランを提示してくる。


『左手のグリップに、スイッチあるでしょ?』

「え? あ、はい。真っ赤な」

『爆破スイッチだから』


 スイートアンカーは、覚悟に結んだ眉根がぐにゃりと歪める。


「やっぱり……今回もですか……?」

『もちろん! トレードマークみたいなものだからね、やらないとくまさんの価値も目減りするよ? ほら、観衆の皆さんも今や今やと待ち構えているし』


 覗き込むと、確かに『ば! く! は! ば! く! は!』と、上昇気流に運ばれてくる。


「えぇ……」

『あ、あと、タイミング合わせてね?』

「それは……えっと……?」

『街頭ビジョンでカウントダウンしているんだ!』

「え?」

『すごいでしょ! 大変だったんだから! あ、五秒前だ!』


 確かにインカムの向こうから『ご! よん! さん!』の大合唱が聞こえてくる。

 状況の進行速度に、こちらの疑問疑念は呑まれてしまった。

 新人怪盗はスイッチに指をかけて、


「今日はもう、なんか、いいですかね……」


 早く帰りたい一心で、投げやりにスイッチを押しやった。

 目下で、仕事の成果を誇示する爆発が巻き起こり、


『相棒! 早いよ! まだ一秒残ってた! だけど、みんな『サプライズ!』って大喝采だよ! すごい、みんな笑顔だ!』


 スイートアンカーはますます苦い顔に。

 路上に咲く無数の笑顔は私が望んだものなのでしょうか?

 みやちゃんのそれと同じにカウントしていいのでしょうか?

 その方たち、爆発したらなんでもいいんじゃないでしょうか?

 私たちの行いは、正義なんでしょうか?


 少女の切実な問いに、答えてくれる者はいない。

 月も。

 星も。

 宵も。

 ただ、結果となる狂騒だけが、夜を焦がすのだった。



第二章 了

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