第三章:僕たちは『らしく』あるために、挑み戦うのだから
1:不発弾は引出しに潜む
涼やかな透明感に溢れる陽が、大窓から差し込んでいる。
ガラス越しの大通りは、常の雑踏が気配もない。通る自動車もまばらで、まれに巡回バスやタクシーが往くばかり。
小倶田外区屈指のビジネス街『御門町』は、今朝は日曜なのだ。
目を血走らせて足を早める『戦士たち』だが、今ばかりは息を抜く、そんな時間。
ビルの片隅に軒を構える喫茶店も、貸し切りにできるほどの静寂である。
喫茶『マスクド』は、田正・秋が愛する店だ。
特に、日曜八時前の今時分が。
自分一人だけの贅沢な空間に、コーヒーの苦甘い湯気をくゆらせて、朝刊をめくる音を響かせる。
「ふふ、さっちゃんも桃奈ちゃんも、頑張っているねえ」
経済欄に踊るのは『怪盗スプリングテイル、新相棒と共に大躍進』の見出しだ。
昨年度MVPの復活による経済効果、シーズン開始の出遅れを取り戻せるか否か、専門家による論評に、協会関係者とファンらへのインタビュー。
全体としては、厳しい評価だ。
やはり負傷への懸念が大きく、また復活後に掛かった仕事の規模が小さいものばかりであること。
あとは専門家と協会関係者は、感情的に否定の言葉を並べている。
逆に、ファンの言葉は『意味が不明瞭』なまでに絶賛と興奮の坩堝である。
「去年を思い出すじゃないか。デビュー直後と相も変わらずだ」
秋は、口元のしわをなお深く、一人ごちる。
好きに振舞える、些細な独壇場であるけれども、
「ご機嫌ですね、田正会長」
無粋にも上がりこんでくる輩に、笑みを向ける分別はある。
「これは、烏丸刑事じゃないか。久しぶりだね」
「ご無沙汰しています」
造りの良いスーツを着込んだ微笑む青年は、湯気立つカップを手に席へ腰をおろした。
※
若干二十五歳にして、対怪盗部署である警備部特殊警備課の班長を任される俊英である。
「前会長の葬儀以来だから……五年ぶりか。あの時はまだ、大学生だったかな」
「あの時はお世話になりました。葬儀の規模が規模だったので……」
「派手好きだったからねえ、前会長は」
「仰る通りで、まったく……ああ、派手好きといえば」
「ふふ……それが本題かい? もう少し、思い出話に花を咲かせたかったけれど?」
申し訳ない、と苦笑が返る。
整った髪をかきあげる仕草だけで呼吸を整えたと思えば、身を乗り出してくる。
「スプリングテイルの復帰、協会の意向なのですか」
「何が聞きたいのか、図りかねるのだけども?」
「負傷からの引退宣言を経て、突然の復帰。しかも素人同然の相棒を連れて、です」
「無謀を成すに私たちが共謀している、と?」
「意図があるなら慮る、ということです。通常の怪盗と同じ扱いで構わないのか否か」
なるほど。
この刑事さんは、客観的に対立構図にある怪盗に対し『意思共有』を目論んで訪れたのだ。
人気のない日曜のビジネス街に店を開ける喫茶店を狙い、自分がその店を愛用していることを知って。
……ご苦労様、だね。
おそらくは、彼もカレンダーに従い休日であろう。そこを返上し『目的』のために手を打ってきている。
若輩ながら責任を任されるだけの精力さを持っているのだ。
「ご足労かけてすまないが、協会はこれっぽっちも関与していないよ」
「これっぽっちも?」
「そうだね。逆に『関与しなかった』から復帰したんじゃあないかな」
「……あの、謎の『新人』ですか」
「協会は何もしていないし、しないつもりだ。だから、あの子は少年を『頼った』のかもしれないね」
いくばくかの沈黙を経て、烏谷は背もたれに体を戻せば、
「わかりました。憚りがないのであれば、それに越したことはない」
「是非とも。話題の怪盗が警察と生ぬるい追いかけっこなんかしていたら、お客さんは興醒めもいいところだろうからね」
「もちろん。彼の『保釈金』はなかなかの金額になっていますからね」
手心を加える理由はなくなった、と笑ってコーヒーに一口。
と、穏やかな日曜のビジネス街に、騒々しい足音が響きわたった。
「おや、慌ただしい。怪盗でも出ましたかね」
「いいや。怪盗が走っているのさ」
「なるほど、会長を探している職員さんですか」
大窓の外、閑静な通りを右に左に駆け回るスーツ姿が。
誰も中年を越えた年齢に似合わない、軽やかな足取りだ。
「現役を引退したあとも、ああやって駆けずりまわされる。怪盗ってのは大変ですねえ」
「もう少し齢を重ねれば、盆暮れなく会議会議、だしねえ」
「では、彼らも会議のためにあなたを探しているんです?」
言うまでもないので、笑うだけで席を立つ。
これで不意の邂逅は終わりなのだと、背中を見せれば、
「ああ、最後に一つ」
警察は、警察らしく、おまけを求めてきた。
些細なものをねだるような、気軽な声で。
「彼の『退会届』は、どう処理されたんです?」
「ふふ、気になるかい?」
「まあ。いわゆる爆弾でしょう?」
「怖いこと言うねえ。なら、私の引き出しには『不発弾』が眠っているわけだ」
青年の笑顔が驚きに丸くなり、それから「なるほど」と笑顔が戻された。
秋は笑みのまま新聞をたたんで小脇に抱えれば、静かな朝に別れを告げ、休日の会議へ赴くのであった。
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