7:許せなくて、されど、すべからく

 スイートアンカーは廊下をひた走る。


「本当に、なにも起こらないんですね」


 先の議員先生自宅のような、キテレツなセキュリティは皆無。

 対怪盗用の準備がない、ということは無人の荒野を進むが如くなのだ。


 通常の監視カメラがこちらの姿を追いかけ、外の街灯ビジョンに映しだされているはず。

 怪盗を『ショー』として成立させる一端だ、破壊することはできないし必要もない。


 一週間ほどの訓練で、だいぶ体の使い方は良くなってきた。

 相棒は筋が良いと褒めてくれるから、自身の上達を楽しく思えている。加えて、こうして結果が出ていることが嬉しい。


「だから応えないと、ですね」


 単独で先陣を任された、そんな期待に。

 スプリングテイルは、私が先に辿り着くべきだ、と言い張っていた。


 何故と、疑問はずっと付きまとっている。

 彼のほうが、手際も良く実績も高い。自分では手間取ることもまばたきの間に解決するし、報道や協会が口から出す名も、彼のものばかり。

 どんな意図があるものか。


『スイートアンカー。どのへん?』


 インカムから、裏方の声が届いた。

 思考に昏がりを陰らせていた少女は、頭を跳ねて声に応える。


「はい! もう間もなく、ターゲットのオフィスです!」

『ん。バカは遅れてるから、予定通りそっちは進めて』

「スプリングテイル、どうしたんです?」

『アレよ。前も遅刻したっしょ』

「ああ……」


 つまり『〆の準備』をしている、と。


「リスクあるから、仕込みは当日って言ってましたもんね」

『カメラのアングルとかヘリの位置とか確認してから、見栄えの良いとこ探すんよ』


 熱心ですねえ、と昏い感心を示す。

 取り柄だから、と不機嫌そうな声が返るのは信頼のためか、本当に不機嫌なのか。

 藪を突く必要もないので、怪盗は話題を変える。


「けど、それで新人に任せるんですから、すごいですよね」


 些細な気持ちで口にしたけれど、短い沈黙が報いた。

 え? と、声を待てば、変わらない不機嫌声が返る。


『スイートアンカー。今回の、父親のことどう思う?』

「父親って、ぬいぐるみを持っていったお父さんですか?」

『そ。僅かな金銭のために娘の宝物を取り上げた、元が付くのも時間の問題な父親』


 評価を問われたなら、持てる答えは一つきりだ。


「許せませんよ、本当に」


      ※


 歳幼いみやが一人高校へ赴くほど、思い詰めていたことに。

 対面したとき、俯いて笑顔を失っていた様子に。


「あの子、私に似ているんですよ」

『ん。父親との思い出がどっか持っていかれてるね』

「私のは所在不明、あの子はその父親自身が、ですけども」


 疵の大きさは、等身大で理解できているつもりだ。

 だからこそ許せない。


「どうしてそんなことを、実の父親ができるんです?」

『どうしてだと思う?』


 非難のつもりだった言葉に問いが返された。

 けれど父親の気持ちなど、分かりようもない。

 沈黙は、それが答えなのだと、インカム越しの彼女に届けられた。


『だからこそアイツは、スイートアンカーに任せたんかもね』

「え?」

『うちら『怪盗の仕事』ってのが、どんな意味を持つのか教えるつもりなんよ。この、ガバガバなセキュリティで待ち構える『悪役』に頼ってね』


 それは、今この瞬間に味わっているものと、違うというのか。


『さ、もうオフィスじゃない?』


 言われる通り、確かに『海野設計事務所』のプレートが。

 小さな非常灯を頼りに読み取れば、その木目調のドアに取りつく。


「……静か、ですね。怪盗が迫っているのに……」

『慌てる必要がない、んかもね』


 また、投げやるような不明瞭な言葉だ。

 けれど、問い詰める暇はない。

 電子キーとなっているドアは、当然侵入者を拒んで食いしばっている。


 想定通り、なんて言葉が馬鹿らしいほどの常識的対応だ。

 だからこそ、対応は十分。

 けれども、スイートアンカー自身の胸は、収まるところを見失ってしまっていて。


      ※


 正面ドアを蝶番ごと爆破せしめる。

 スプリングテイルお手製の小規模爆薬は見事なもので、図ったような最低限の威力を以て、最後の牙城をこじ開けていった。


「スイートアンカー、参上です!」


 しん、と。

 爆破の余韻ばかりが揺れる、暗く静かなオフィス。

 廊下から忍び込む窓外の夜景と細い非常灯の明かりだけが、冷たい暗闇を浮かばせる。


「……スイートアンカー?」


 その夜の中から、名を呼ばれる。

 目を凝らせば、オフィスチェアに体を預ける壮年の姿が。

 疲れた頬に驚きと不審を浮かべ、体に抱く熊のぬいぐるみを撫で愛でていた。


「はい! 予告状の通り、ぬいぐるみをいただきます!」


 敵対者である、と声高く告げるが、


「スプリングテイルはどうしたんです? 娘には彼のことを教えたつもりだったが」


 敵意はなく、奪われることへの忌避感も見せない。

 ただ、稀代の超新星たる昨年度MVP怪盗が、不在であることに困惑を浮かべるだけだ。

 スイートアンカーとしても、戸惑うしかない。

 想定していたリアクションの、どれにもかすりすらしないのだから。


「いや、ああ、申し訳ない。ちょっと驚いてしまっただけです」


 挙句、軽く頭を下げ、けれどそこで空気が変わった。


「だけど、このぬいぐるみは大切なものなんです」

「ええ、そうでしょう」


 彼女が想定していた『被害者』の姿に接岸し、


「みやちゃんにとって、大切な思い出のはずです。それを……」

「ええ。だからこそ、スプリングテイルに渡さないといけないんです」

「……え?」


 すぐさまに離岸していってしまった。


「どういう……ことですか?」


 心に構えていた拳が、バラバラに解されてしまう。

 怪盗を警戒するわけでなく。

 けれど、自分には渡すつもりはなく。

 スプリングテイルになら盗まれる用意がある、と彼は言うのだ。

 スイートアンカーは、困惑を混乱に強めていく。支離滅裂に見える、被害者の言動が理解できないのだ。


 そんな姿勢を崩した少女に、


「初めまして、海野・佐仲うんの・さなかさん。ご指名はありがたいですけども」


 相棒の、変わらない軽い声が届く。


      ※


 振り返れば、ゆるりとした足取りで、黒革のジャケットを揺らす俊英が。


「申し訳ないが、今回は僕の仕事じゃあない。侵入経路もスイートアンカーが作り、中継を兼ねた監視カメラもずっと彼女を追いかけていたからね」


 え? いま、外はそういうことになっているんですか? というか、つまりスプリングテイルは監視カメラをわざわざ避けて、ここまで来たと?

 こちらの疑念はさておき、状況はシリアスに進んでいく。


「スプリングテイル……だがそれでは」

「ご心配なく。あなたが『求めているモノ』はすべからく手に入ります。彼女、スイートアンカーの手によって、ね」

「えっと……どういうことでしょうか……?」


 なぜか脳裏で、前回のラストで『御自宅爆破ボタン』を騙されて押してしまったことが過ぎっては戻って、反復横飛びが開始されていた。


 眼前の悪と断じていた父親への感情よりも、さまざま伏せて状況を進める相棒への『お気持ち』のほうが大きくなりつつある。

 けれども、


「そう、すべからく。みやちゃんの笑顔も」


 ただその一言が。


「それに未来も、ですよ」


 求めるところ目指すところが、同じであるのだと安心を教えてくれるのだった。

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