4:愛の送り方と勘定の仕方と

「みやちゃんは三年生なんだね」


 ある程度の事情を聴き終え、時刻は五時半を回っていた。

 日は伸び始めたとはいえ、暮れる足は相変わらず早い。

 窓に映る窓はすでに際を朱にして、藍を深めている。


「つまるところ、ご両親が離婚なさって……」

「父親が家を出るときにぬいぐるみも持っていかれた、ってことっしょ」

「そんな……この子が大切にしていること、知っているんじゃないんですか?」

「大切にしているから、かもしれないね」


 桃奈としては、耳を疑ってしまう推測だ。

 実の父親が、そんな嫌がらせじみた真似をするものか。

 咲華は笑みのままで、少女と向き合っている。


「みやちゃん。携帯電話は持ってるかな?」

「うん……ママに持たされてる」

「そっか。ひなちゃん、事務室と職員室に来客の予定を伝えてよ」

「来客ですか?」

「そ、桃奈ちゃん。子供に持たせているんだ、GPS追跡くらいしているだろうからね」


 確かに、と頷いてひなたを見やる。

 けれども、変わらない不機嫌な顔のまま、腕を組んで動こうとしないので、首を傾げてしまう。


「支さん? あの、私が行ってきましょうか?」

「大丈夫。伝えるまでもないって」

「え」


 への字口は、不動の理由をつまらなげにこぼす。

 真意を測りかねるけれども、解答がすぐさまに足音荒く届けられた。

 

「みやちゃん! ここね⁉」


 目いっぱいの力でドアを叩き開け、咎める声音で妙齢の女性が怒鳴りこむ。

 目を丸くした桃奈が見つめる先で、


「ママ」

「なんでこんなところに……!」


 親と子が再会を果たしていた。

 子は、親ほどに明色を浮かべてはいないけれども。


      ※


「ええ。ぬいぐるみは、この子が小学校に上がるときに、夫がお祝いにと」


 少女の母親である香奈枝かなえは、面倒を厭うような口ぶりで事情を教えてくれた。

 彼女をここまで案内した教員が戻るのを見計らって、咲華がその身元を晒したためだ。


「まさか『怪盗』にお願いしに、こんなところまで来るなんて……」

「まあ『どこぞから持ち出す』のが仕事ですからねえ」

「身元が完全にバレているのも、この街じゃ咲華だけだし」


 必然、正規の手続きを踏めない話が集まることになる。

 いま、母親の傍らでうつむく少女もまた、何処からか『スプリングテイル』の話を聞いて訪れたのだろう。

 大切な『友達』を取り戻したくて。


 けれども、傍で聞いている桃奈は首をかしげる。


「どうして、旦那さんはみやちゃんのぬいぐるみを?」


 ごくごく、当然の疑問。

 先に言っていた通り、子供じみた嫌がらせとしか思えないのだ。

 意味や意図があるのではないか。

 無いとしたら、実子に害を与えることが目的であり、救いがないではないか。


 問いに母親が、口を曲げて非難を鳴らす。


「きっと、お金に困ったんです」

「お金、ですか?」

「有名な海外の職人が作ったと、昔に言っていましたから」


 真実は、輪にかけて救いようがなかった。

 思い出を、金銭苦から奪ったというのだ。


 口にすれば溢れてしまいそうな黒々とした、ヘドロのような激情が渦巻く。

 声に詰まったこちらを助けるかのように、咲華が前に。


「失礼ですけど、離婚の理由をお聞きしても?」

「……価値観の不一致と経済面からですわ」


 若い実業家であったが、多忙ゆえに家族を顧みてくれなかった。

 その事業が躓き、大きな負債となり生活に影響が出てきた。

 おおよそでこの二点が原因なのだという。


 うんうん、と笑顔で耳を傾けていた怪盗は、ですが、と言葉を続ける。


「生活に困って離婚をした、という割に、あなたもみやちゃんもなかなか素敵な着こなしですね」


 高級品を身につけている、と言いたいのか。

 確かに、腕時計や靴などは見る限り良い物とわかる。衣服までは桃奈には判ずるに難しく、さすがの識別眼であると舌を巻く。


「困っているときに助けてくれた方がいまして。再婚を考えていますの」


 なるほど、『新しい』パパか。


「ええ。すごく良い人で……だからねみやちゃん、新しいぬいぐるみを買ってあげるから、ね?」


 昔の。

 実父の残滓が残る品は諦めろ、と。


「ごめんなさいね、振り回してしまって。さ、帰りましょ」


 軽く頭を下げると、娘の手を引いて立ち上がる。

 言われるまま引かれるまま、みやは母親に付き従う。

 うつむき加減で。

 子供騙しな手品で浮かべていた笑顔を、微塵も見せないままに。


「え、え……! いいんですか、的屋さん?」

「そんなに慌てても、家族の事情においそれと首は突っ込めないよ」

「そんな」


 少女にとって、ただのぬいぐるみではないのだ。

 自身の成長のなかで共にいた友人であり、時を経ても変わらない唯一の家族だったはず。

 愛着、などよりもなお、深い感情を注ぐ存在。


 それが、大人の都合で奪われようとしている。

 父親だけでなく、代替品で解決しようとしている母親も。

 桃奈は、やはり自身の『大切な物』を奪われたことと重ね合わせてしまい、胸が震える思いなのだ。


 音が鳴りそうなほどに拳を握りしめる。

 が、相棒がそっと掴んで温もりを注ぎ解けば。


「みやちゃん。誰から、僕のことを聞いたのかな?」


 部屋を出ようとしていた少女に、最後の質問を投げかけた。


「えっと」


 彼女はちらと先を行く母親を盗み見て、注意が携帯電話に向いているのを確かめると、


「パパ。パパが、おうちからさよならするときに」


 こっそりと、秘密を教えてくれたのだった。


      ※


 教室は、すでに夜の中。

 LED灯がなければ、窓から闇の侵入を許してしまう時刻だ。


 海野親子が帰って、残されたのは学生が三人。


「どういう……ことでしょう?」


 桃奈に引っかかるのは、最後の言葉だ。


「持ち出した父親が、取り戻すために的屋さんのことを?」

「不思議だね。本当に不思議だ」


 けれども、相棒から返るのは変わらない笑顔ばかり。


「的屋さん、その口ぶり……事情が分かったんですか?」

「どうだろうね。確信、には足りないくらいかな。ね、ひなちゃん」

「……仕事にする気なん?」

「仕事にするために『お願い』するのさ」


 ため息をついて、裏方担当が肩を落とす。

 渋々了承、の意思表示だ。


「傾いた元旦那さんの会社状況だね。特に経理周りで」

「それだけ?」

「再婚相手の素性も分かれば、なお万全かな?」


 二人が状況を進めていく。

 桃奈は「え、え?」と二人の間で視線を往復させるばかり。

 疑問は尽きないけれども、少年の振る舞いで一つ確かにわかることがある。


「あの子を、助けてあげるんですよね?」

「もちろん。大切な相棒が、そう望んでいることだしね」

「……ありがとうございます!」

「……裏方の言い分にも耳を傾けて欲しいんけど」

「へーきへーき。推察通りなら、採算も問題ないよ」


 チームが、正しい方向へ舵を切ってくれたのだ、と。

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