3:少女の頬に笑顔を
「ああ、楽しかったね」
泥棒市からの帰路。
満足げな咲華は、常の笑みで足取りを軽くしていた。
並び歩く桃奈は、疲れた顔で顔を落としているというのに。
「どうして、壁面ボードに突き刺さったままで包囲お説教されるのを楽しい、なんて言えるんです……?」
結局のところ、彼は上半身を壁に突っ込んだまま、自分と被害者である作佐は正座で、協会の偉い人たちから叱責されることと相成った。
時刻はすでに夕の五時に迫り、おおよそ一時間は拘束されていたことになる。
「作佐さん、最初から最後まで被害者でしたねえ……」
「こっちも悪気はなかったんだけどねえ」
「悪気なしでブラ抜きからのオークションとか、なお悪くないですか?」
彼らが歩くのは、御門町の幹線道路脇。
夕暮れに塗れたビジネス街は、未だ一日を終える気配なく、数多の誰もがせわしなく足を進めていく。
二人は、世の歩みに抗うかのように、ゆるりとした足取りで地下鉄駅を目指す。
冷えてきた春の風に髪を洗われながら、桃奈は懸念を込めた疑問を口に。
「オークションは、ずっとああいう形で行われてきたんですか?」
「そうだね。資料では、明治時代に『怪盗という経済概念』が持ち込まれて、制度化は大正時代を待つことになったらしいけれど」
「それじゃあ、いま価値があるとされている様々な物も、最初はガラクタだった?」
どこぞのお土産屋で購入した二束三文の品が、怪盗とオークションによって価値が膨らませる現場を目の当たりにしてしまった。
故の疑問である。
けれど、師は首を横に。
「最初はね、ちゃんと価値があるものがターゲットだったんだ。由緒正しい瀬戸物や、純金でできた工芸品、名工が残した国宝級の一品とかね」
「それは、すんなり理解ができますよ」
「怪盗の『ネームバリュー』なんか付属にもならないような品々だもんね。盗み出すだけの価値がある代物ばかりだ」
「じゃあ、どうしてです? 現代になって、怪盗のあり方が変わったのですか?」
「まあ、そうだね」
笑みは変わらず。
けれど影が濃い。
まっすぐに飛んでくる西日のせいだろうか。
「事情は様々あるけれど、とあるビジネスモデルが成立してしまったからかな」
「怪盗の事業を利用した、ですか?」
「その結果を、かな」
業界に疎い新人には、ぴんとこない。
「例えば、盗み出された人は奪還に現金を使用するよね?」
「そうですね、はい」
「じゃあ、奪還したらその分の現金が減ってしまう」
「当然そうなります」
「なので、落札した品を担保に銀行から融資を受ける」
「え?」
「銀行は『実質的価値』を見越して査定。自然、落札額より大きくなる」
「それは……いや、確かに落札値は利益を考えての金額でしょうから……ですけど……」
「気持ちはわかるよ。お金持ちが、ガラクタをグルグル回して、綿あめみたいに膨らませているだけなんだ」
笑みに憂いを、しかし、確固たる力を口端に込めて。
「悪い仕組みではないんだ。悪用する輩が多いってだけでね」
「え? 良い事なんか一つも……」
「本来、社会福祉として利用されていた手法なんだよ。意外にもね」
「社会福祉、ですか?」
「そう……あれ、電話だ」
不可解な単語を問い返した直後に、軽快なメロディが鳴り響く。
咲華の懐から取り出した携帯電話が着信を歌っていた。
疑問は棚晒しとなり、中断に。
「ひなちゃんだ。今日の予定は知ってるはずだけど……もしもし?」
彼の幼馴染であり、裏方担当員かららしい。
情報を共有しようと、スピーカで回線を開くと、
『いまどこ? お客さん来てるけど』
「え? 学校に?」
『そ。かわいいかわいいお客さん』
「いやあ、嬉しいねえ。けど、そんな予定はないはずだけど?」
『そらそうね。飛び込みだし。ほら』
ぶっきらぼうな業務連絡は、途中でテレビ電話に切り替わる。
場所は、咲華と桃奈が根城としている奇術クラブ部室。
そんな雑然とした物寂しい教室にてカメラが振られると、
「え? 女の子、ですか?」
長椅子で、紙コップを覗き込んでいる少女の姿が映し出されるのだった。
※
「どいうこと、咲華?」
部室に駆け込んだ怪盗二人を出迎えたのは、
「いや、こっちこそだよ、ひなちゃん。なにその有様」
思いつく限りのあらゆるパーティグッズを身に着けて『指外し』の手品を披露している、頼れる裏方の姿であった。
向かい合う少女は手を叩いて喜んでいるので、まあ目的はわかる。
「ひなたさん、子供好きだったんですね」
「薄汚いオッサンオバサンに比べたら天使だかんね。ほら、咲華」
「はいはい」
不機嫌そうなまま、パイプ椅子を立って幼馴染に席を譲る。
少女は不思議顔で怪盗の素顔を見上げると、
「お兄さんがスプリングテイル?」
「うん。よろしくね。お嬢ちゃんは?」
「
長テーブル上に置かれた赤のランドセルを見咎めながら、咲華は事情聴取を開始する。
「学校帰りかい? 遅くなって、パパとママが心配しない?」
「だいじょうぶ」
「そうなの?」
「うん。ママも『新しい』パパも、みんなお仕事だから」
不穏な一語に、思わず高校生たちは顔を見合わせてしまった。
咲華の背後で、桃奈はひなたへ身を寄せる。
「新しいって……」
「そ。名前と学区は分かったから、小学校に問い合わせるつもりだったんだけど」
「事情がありそうですもんね……」
「そもそも、怪盗に会いに来たって、もう厄介事じゃん? 心当たりあるっしょ?」
「え、あ、はい、ええ、まさにはい……」
完全に己が身を振り返って、返す言葉もない。
であれば、この歳幼い少女が、いかな『厄介事』を持ち込んだのかと窺うと、
「怪盗さんに取り戻して欲しいの」
「なにを、かな?」
「ジャンくん。くまのぬいぐるみ。ずっと一緒だったの」
笑顔で手品を楽しんでいた彼女は、胸の重しを思い出したように、俯いて眉をひしゃげさせながら、
「パパが連れて行っちゃった。おうちをさよならする時に」
不穏な言葉で、事情を飾るのであった。
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