第二章:『好』と『嫌』の関係図

1:リスクの対価は誰が手に

「三〇〇! 他にありませんか⁉」

「五〇〇!」

「えぇい、六〇〇!」


 喧騒が、熱をもって響きこもる。

 吹き抜けになったホールであっても、最新鋭の空調機器であっても、脂ぎった熱気は排しきれていない。


 官公庁舎の集まる御門町、その一角。

 全国怪盗技術管理協会の名を冠するビルの、三階ホールにて、オークションは執り行われていた。

 ひしめく人々は不可視の現金を握りしめ、汗と怒号を飛ばし、欲望を求める。


「お次は出品番号十二番。新谷小路家より持ち出された『招き猫像』になります」

「きた……! 今回の目玉だ……!」

「優先権は先生にありますが、ぜひにも……」

「こちら、昨年度MVPたるスプリングテイルのデビューを飾り、今回また再起の足掛かりとなった至極の一品となります」


      ※


「つまるところ『泥棒市』ってことだね」


 四階より直接入ることとなる、ホール上部席。

 席の外周を囲む薄暗い通路で、的屋・咲華は肩をすくめて見せた。

 隣で手すりに張りつく相棒は、興味津々に見回している。


「じゃあ、怪盗が手に入れたお宝は、ここで現金化されるんですか?」

「そう、僕らの収入になるんだ。莫大な手数料を吸い上げられた残りが、さ」

「ふふ、じゃあ良い事ですね」

「?」

「協会の事業になっているってことですもんね」


 彼女が煌びやかな夜へ踏み出して、三日ばかりが過ぎていた。

 反省を踏まえた訓練メニューが組まれ、次の目標は、と逡巡しているタイミングである。

 折よく、この『泥棒市』が開催されることとなり、教育の一環で顔を覗かせることに。


「まあねえ。管理団体が潤うのは、所属員にも対外にも、悪い事じゃあない」

「仕事で起きた事故にも、補償してくれるんですから。一軒家を新築してくれるんですもんね」

「そう考えれば、二割持っていかれるのも納得できるかな」


 二人で笑って、手にしたカップコーヒーに口をつけた。


      ※


『では、昨年度の落札額である二〇〇万から』

「あ! 始まりますよ!」


 自分の仕事の成果に評価を貰えるのだ、心躍らないはずがない。


『まず、所有権者である新谷小路さまより『奪還』の意思を確かめさせていただきます』

『無論、奪還だ! 規定通りで良い!』

『承りました。では規定に従い、開始額の二倍。四〇〇万にて奪還。落札希望があればさらに倍、八〇〇万から競合を開始します』


 胸を慣らして成り行きを見つめていると、不可解な単語が飛び交い、眉を困らせてしまう。

 ドラマで見るように、欲しい人間が値を釣り上げて合うことを想像していた桃奈には肩透かしな光景である。

 そんなこちらの不知見に、師匠は柔らかく微笑んで解説をくれる。


「怪盗が盗み出した物は、例外なく『登録』が為されるんだ」

「登録、ですか?」

「うん。所有者情報に、価値価格。初件でなかったら、盗難履歴もね」

「履歴……何回盗まれたか、とかですか?」

「加えて、誰が盗みだしたか、かな」

「なるほど……けど、それにどんな意味があるんですか?」


 所有者情報と、価値価格は想像ができる。

 けれど、後者の存在意義とは?


「例えば、無名の怪盗が盗み出した古いキセルがあるとするでしょ?」

「はい」

「これが『稀代の大泥棒、石川五右衛門が盗み出したキセル』なら?」

「あ……」


 価値に付加が生まれるのだ。


「じゃあ、あの招き猫って……!」

「先生宅のリビングに飾ってあった、ただのお土産品だよ」

「スプリングテイルが盗み出したことで一〇〇万円になって、奪還で倍の二〇〇万円に、ってこと……?」

「協会の上座に座るお偉方と『マスタ―』と呼ばれる『上位怪盗らの査定』によってね」

「値付けにまで怪盗自身が? そんな、それじゃあ……!」

「しっ。オークション中の大きい声はご法度だよ?」

「けど……!」

「落札額に昨年度MVPを考査しないのは、協会の温情なのか嫌がらせなのか」


 どっちだろうね、と他人事のように笑って、オークションを見下ろしている。


『一〇〇〇! ありませんか⁉』

『一二〇〇!』

『一五〇〇!』


 あっという間に四桁へ乗る『成果』の様子を、桃奈は震えながら見つめる。


「じゃあ、どうして値を釣り上げてまで手に入れようとしているんです?」

「滑稽だよね、ただのガラクタをさ」

「そうは言いませんけど……頑張った証なんですから」

「そ。あの人たちは、怪盗の頑張りに値段をつけているんだ」

「はい?」

「正確には、怪盗のネームバリューが生む金額を見込んでいるの」


 つまり、五〇〇〇万で手に入れた物が、五五〇〇万の価値を生み出せばいい。


「実質的な開始額が、倍の倍の八〇〇万だったでしょ?」

「はい……まさか」

「あの『奪還額分』は元の所有者に戻される。つまり、昨年にガラクタを二〇〇で取り戻した新谷小路先生は今回、四〇〇の現金を得るんだ」


 他者の手に渡れば、だけれども。


『一八〇〇! 一八〇〇で新谷小路さま、奪還となります!』

「え?」

「酔狂だねえ。払い戻しも無し、全額持ち出しになるってのに」

「これは……?」

「先生の心持ちを無視でセオリーだけ話すなら、二〇〇万ぽっちは眼中にないってこと」


 近視眼で目前に転がった小銭を拾うのでなく、


「次に盗まれた時に、今回の落札額を得るということですか?」

「その通り」

「けど、それって……」


 懸念だ。

 嫌な気持ちが大きく育つ。

 決して、多額のお金が行き来することへの嫌悪感ではなく、膨らむ風船を見つめる不安感に近くて。


「そうだね」


 師匠は、変わらぬ笑みでこちらの胸中を察して、けれど口端は強くなって、


「価値だけをグルグル回して大きく膨らませて、どこまで昇るつもりなんだか」


 決して、目の前で行われるマネーゲームに肯定的ではないのだと、笑う。


「果てに待つのは、バベルかイカロスか、ってね」

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