8:春に咲く花のよう、あざやかに

「スプリングテイルの突入から三分が経過しました! 未だ姿を現しません!

 警官隊に警備員が後を追っており、ごく狭い民家内では不利が必至!

 果たして、内部の状況はどうなってい……あ、居ました! 見えるでしょうか!

 いつの間にか、屋根上にてコートを翻し、その手には金色に輝く招き猫像が!

 ですが、悪手と言わざるを得ません! 周囲を警官隊に取り囲まれております! ああっと、はしごが掛けられました!

 どうする、スプリングテイルにスイートアンカー!」


      ※


 地下金庫の突破から屋外への脱出まで。

 スイートアンカーには理解しえない手際で、師は悠々と駆け抜けていた。


 手を引かれるままに、計画通り、家屋の屋根へと辿り着いている。


「逃げられんぞ!」

「早く降りろ!」

「じゃないと、スカートを覗き込む姿が全国ネットに流されるんだよ!」

「妻と娘になんて言えばいいんだ! なあ!」


 鬼気迫る警官たちがはしごを持ち出し、こちらへ詰め寄ってくる。

 予定通り、ではあるが包囲には変わらない。

 危機をいかにするつもりか、相棒に目をむける。

 彼は、どうしてか口端を大きく持ち上げて笑っていた。


「んん、いい風だ」

「え?」

「いろんな人の、いろんな熱気が、混じりあって吹き付けてきているだろう?」


 確かに。

 遠くの観客たちも。

 目の前の警察官たちも。


「心地良いよね」


 懐かし気に息をつく。

 感慨を、であるがすぐさま鋭い吐息で切り替える。


「さ、逃げるよ。帰るまでが『怪盗』だからね!」

「でも、どこから……えっ⁉」


 途端、空を裂く乱打音が耳朶を削り、頭を圧される。

 同じく驚いた警官隊が振り仰げば、


「ヘリコプター……!」


 ローダーを振り回して急降下する、乗り物の名が叫ばれる。呆然と。


 投下された縄はしごに、師はひょいと飛び乗る。

 ほら、と促され、スイートアンカーも慌てて追いかければ、


「ま、まて!」


 制止の声も虚しく、怪盗たちは夜の空へと舞い上がっていくのだった。


      ※


 効かぬ左手を庇うよう、彼は右手一つではしごに捕まっていた。

 そんな師匠を支えるよう、彼女は一段ずらしで乗っている。


 まるで抱き合うような距離感で以て、頬に迫る男性の胸元を意識してしまう。

 けれど、相手はこちらに目を向けず、目下に広がる熱気吹き上げる夜景を見つめるばかり。


 今晩の一件は、神業を見せつけられた気分だった。

 理解し難い手順と手際で、想像の埒外に進捗を見せつけられた。

 現場では必死に、熱に押された。

 けれど、夜の風に額を洗われれば、


「……やっぱり、的屋さんにお願いした方がいいのかもしれません」


 弱気に、胸を喰われてしまう。

 けれど、頭の上から、伝説は微笑む。


「駄目だよ、相棒。僕には無理なんだ。怪我がね、どうにもならない」


 弱く、そう、私の声よりも弱々しく。


「それに、一度『負け』てしまった側だからね」


 悔恨のような諦観のような。

 そんな独白に首を傾げてしまう。


「負け、ですか? 怪我で引退、と聞いていましたけど」

「うん。怪盗としては負けたつもりはないよ。だけど……いや、そんなことより、ほら!」


 はぐらかすように、彼の力ない左手が彼方を指す。

 それは、一際大きな街頭ビジョンであり、


『聞こえるでしょうか! 奇跡の復活劇を成し遂げた伝説への喝采が!

 そして、デビューながらその伝説を支えた少女を称える声が!」


 スイートアンカーの名を謳う群衆の声であった。

 遠く、けれど確実に、うねる波濤が押して、なお寄せてくる。


 沈み冷えていた胸の底が、熱く揺らされるのを自覚する。

 肺が膨らんで、目元が熱く。

 嬉しい、のだ。


 神業の前に自分の努力は霞んでしまったものと思っていた。

 けれども、こうして彼らの声を勝ち取ることができた喜びが。


「いずれは、逆転していくよ? 君が主役にならないとね」

「はい! はい、頑張ります……!」


 だから、


「いろいろ、たくさん教えてください!」


 先へ踏み出す決意を結ぶことができるのだ。


      ※


 偉大な先達に、教わりたいことは山とある。

 まずは、事前の準備についてだ。


「最初に遅れたのは、このヘリコプターを手配していたせいですか?」


 脱出路について腐心するのは、ごく当たり前だ。

 現地を見て、必要と判断したのだろう。

 状況に応じて臨機応変な適応を採ることも、怪盗としての腕前になるということ。


 けれど、彼は首を横に。


「これは予定通り。第一、ヘリを飛ばすには許可が必要だからね」

「思い付きでは飛ばせないんですね。勉強になります」


 では、遅刻してまでの準備とは?

 疑問に答えるよう、スプリングテイルは懐に左手を差し込む。

 黒いジャケットから取り出されるのは、一つのスイッチ。見る限り、正面の鉄扉突破に使用したものと同型である。


「はい、これお願い」


 押してくれ、ということだろう。

 確かに、右手がはしごに掴まり、左手は握力がなく、自力で押すには手が足りない。

 求めるところはわかったけれども、では、何を意図しているのか。


「なんですか、これ?」


 とりあえず請われるままに指をかければ、


「え?」


 眼下、新谷小路邸が『火を噴い』た。


      ※


『仕事の最後を飾る『大掃除』も健在です! ここに、昨年度MVP完全復活出であります!』

「きたぁ! やっぱ『これ』がないと締まらないよな!」

「また毎週見れるんですね⁉ 仕事に精が出ますよ!」

「よ! まーとやー!」


      ※


「え⁉ え⁉」

「現場への潜入はリスクが高いからね。当日にしているんだ」


 混乱に彼を見上げれば、


「怪盗は一夜にのみ現れるフィクション。痕跡を残すのは無粋でしょ」


 はにかみ顔でそれっぽいこと言っていますけど、完全に何かしらの罪になるでしょう?

 スイッチを押した私にも累が及びませんか? ねえ? はにかんでないで、答えてくれませんか?

 あと、目に見える現実の八割方が肯定的なのは、こちらの常識と脳のどちらが狂っているんでしょう?  テレビで血管切れそうになっている家主の反応が正常だと思うんですが?


 まんまるな目で、地上の爆炎と師匠を見比べる。


「ああ、名前ね。安心して、僕がバレてるのはすごい『特殊な例』だからさ」


 いや、そこじゃないです。いや、それもあるんですが。

 

「怪盗仕事で発生した損害は、協会が責任を以て復旧するよ」

「協会が?」

「うん。予告状を出した時点で、効力があるんだ。今のお宅、新築だったでしょ?」

「え、ええ。それが?」

「去年に僕が爆破して、協会の補填で建て直したんだよ」

「ああ、なるほど……」


 だから、あの議員さんはあんな血相をしているのか。

 二年連続二度目ではさもありなん。

 それと、ずっと不可解だった事実に答えを得た気分だ。


「もしかして、お仕事のたびに……?」

「え? うん。みんなも喜んでくれるし」

「じゃあ、それも協会からの補填で……?」

「もちろん。ほら、あそこのビルもさ。下に破片を落とさないように、すっごく頭を使ったんだよ?」


 スプリングテイルは協会から嫌われている。

 スイートアンカーは、それが妬みや急進的な行動によると思っていたけれど、


「単純に迷惑がっているだけじゃないですか!」

「え? え? いや、だって、派手だし……みんな楽しそうだし……」


 協会の人間が含まれないのは、いかな倫理観に基づくものか。

 

 怪盗という人種に恐れを抱き抱かせ、二人は夜の空へと消えていく。

 華々しい、初仕事の白星で、群衆を沸かせるままにして。


 余談だが、翌朝の新聞見出しがやはり『肯定的』だったのを見て、新人怪盗は『もしやこの街がやべーのでは?』という深刻な疑義をいだくのだったが、それはまた別のお話である。



第一章 了

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