7:宵に奔れば、華も躍るから
失敗というには、自己責任は薄かった。
されど、つまずきには違いがない。
「いったい、どうしましょうか……!」
呟きは、けれど諦めなど微塵もなくて。
制服で統一された警官と警備員に包囲されながら。
「大人しくしろ!」
「抵抗するなら拘束が必要になるぞ!」
「全国中継で『組み伏せる』とか、こっちの疵が凄いぞ!」
「な⁉ 助けると思って!」
無個性な投降勧告に、けれども構っている余裕などなし。
仮面の下に汗を伝わせ、いかに血路を掻い潜るかに意識を集めていく。
……ああ、これが怪盗なのか、と。
緊張と。
模索と。
夜空を焦がす煌々と。
遠く聞こえる歓声と。
全方位から、脳が興奮に刺激され。
四肢が毛細血管でも滾るように熱くなって。
息をするだけでも、高波のような心地よさが押し寄せてくる。
けれども、今まさに不利の只中だ。
突破口を見つけるか、こじ開けるか。
五日ばかりの付け焼刃を寄せ合わせて、いかに解答を導くか。
逡巡の少女に、じわ、と包囲が狭まれば、
「なんだ?」
「いや、規制線向こうの野次馬が……」
にわかに遠くで夜が沸き始めた。
※
「来ました! 伝説が姿を現しました!
ごらんいただけるでしょうか! トレードマークの黒ジャケットを翻し、夜闇に紛れてなお暗く! されどその存在は、輝く星のごとく!
彼が現れるなり、観衆の歓声が一回り、いや二回りは大きくなったでしょうか!
数多に輝く期待の眼差しで、今宵、いったい、どんな奇跡を見せてくれるのでしょう!」
※
輝く闇が、疾風のごとく迫りゆく。
「す、スプリングテイルだ!」
「捕まえろ! 中に入れるな!」
「中から好き勝手言うなよ!」
「中は良いよな! 相手が『ダイナマイツ(複数形)』だもんな!」
怒号を行き交わす警官隊の混乱に踊る視線に、口元をほころばす。
まだ、この身に。
引退を囁かれたスプリングテイルに。
彼らを脅かす『力』があったか、と。
遠くで巻き起こる人々の声もまた然り。
素直に嬉しい限りだ。
なれば、である。
「最高の『ショウ』をご覧入れないとね」
笑い、さらなる加速へギアを入れ込んだ。
※
包囲の姿勢を見せる警官隊に、怪盗は跳躍で応えた。
春風に舞う桜の花のごとく軽やかに。
生きている右手を差し伸ばし。
「うわ、なんだ!」
スプリングテイルが目を付けたのは、ひときわ体躯の大きい制服姿だった。
その頭部へ、手のひらを着地。
重心を足先へ移せば、そのままに回転して片手倒立前転に。
土台にされた巨漢は、けれども太い首を曲げることができず。
下手に振れば、態勢を崩した体の重みがままで頸椎に乗ってしまうから。
振り落とされないことをいいことに、怪盗は悠々と着地。
警官隊の包囲の只中、膝をクッションに、アスファルトへの衝撃を吞み込んでいく。
途端に、
「バク宙だと⁉」
反動をつけるように足を伸ばし切り、間髪入れずに身を翻す。
行く手は、高い柵のその上辺。
「馬鹿が! そんなジャンプじゃあ届かんぞ!」
言う通り、目指すには高さが足りず、回転も足りない。
だから、
「計算通りさ」
「なに!」
柵を掴み、腹背筋でもって、腰の回転位置を持ち上げ越えていく。
左手の握力が全くないためにいささか不格好な姿勢であるものの、最後に柵を蹴りやり跳躍をなお高く。
かくして、帰還した英雄は、
「なんのこともないね」
呼吸一つ乱さずに、見事、相棒の傍らに辿り着くことができたのだった。
※
しかしなお、目的地までは遠く。
「スイートアンカー!」
「はい!」
師匠に当たる若き伝説に見惚れる暇もなく、少女には突破が要求された。
着地で芝に膝をついたスプリングテイルは、白皮の手袋に覆われた手のひらを膝上に構える。
躊躇いなくその上に足裏を踏み出せば、
「レディファーストだよ!」
彼が冗談と共に、体を伸びあがらせる。
スイートアンカーが呼吸を合わせて飛び上がれば、人力によるカタパルトに。
向かうは新谷小路邸の正面玄関。
木彫にあつらえたドアであるものの、その正体は侵入を拒まんと立ちはだかる鉄製の強化扉。
少女は、芝をえぐるように着地を果たすと、相棒の姿を振り仰ぐ。
かの扉を突破するに、方策は相棒が用意してある予定なのだ。
加えて、内容を教えてもらっておらず、不安が眉根ににじむ。
けれども、そんな眼差しを否定するよう、スプリングテイルは疾駆する。
警備員の薄い囲みを縫うように突破せしめれば、こちらへ駆けよって、
「頭を下げてね!」
懐から何かを取り出し。
息もつかぬままに再度飛び上がった。
走ることで生み出したベクトルに乗って、ドロップキックのような姿勢だ。
不安定な姿勢でアンダーから、取り出した何やらをつぶてに。
飛ばされた何やらは計三つ。
二つは蝶番の傍らに、残るは錠の付近に。
柔らかな音をたてて外壁に張り付き、同時に怪盗の靴裏も左右揃ってドアへ。
「さあ『春の如く』花を咲かそうか!」
水平に着地した格好で、いつの間にやら握りこんでいた『スイッチ』をこちらに見せつける。
赤々と光るボタンへ、気軽に指がかけられて、
「爆発……⁉」
二か所の蝶番と錠前付近の外壁が吹き飛ばされたのだ。
目を丸くするスイートアンカーの目の前で、建てつける根拠を失った鉄扉は、スプリングテイルの両足の蹴り上げに耐え切れない。
名残惜しむようゆるりと倒れこんでいく。
道が、夜に乱れ咲いた花によって、こじ開けられたのだ。
「さ、急いで!」
「いやいやいや! いいんですか、おうち壊しちゃって⁉」
「へーきへーき。ほら、みんな喜んでいるし!」
確かに拍手喝采で、しかし、それでいいのだろうか。いや、自分の些細な人生経験では他人の家を破壊するのはダメ絶対! なのだけれども。
「中に入れるな!」
「金庫は死守しろ!」
状況は、思春期の少女の懊悩など置き去りに、無慈悲に加速していくのだった。
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